― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年11月11日
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7月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
7月16日~7月20日
(2021年 6月14日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【7月16日】正義の小学-福音の大学の前提
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【7月17日】まことの謙遜
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【7月18日】神がわれらに求めるもの
そこで彼ら(弟子たち)が、「神の業(わざ)を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、 イエスは答えて言われた。
「神がお遣(つか)わしになった者〔である私〕を信じること、それが神の業である」。
(ヨハネ 6:28、29 聖書協会共同訳)
■ある時〔、われら〕は、無益(むえき)に一日を送って、〔神と人々に対し〕非常に済まなく感じる。
その時〔われらは〕、「主よ、この無益な僕(しもべ)をあわれんで下さい」と叫ばざるを得ない。
事業(活動・仕事、Work)なしの一日は、失われた永遠の一部分のように感じられる〔からである〕。
しかしながら、翻(ひるがえ)って〔私は〕思う。
働くだけが人生ではない。労働に果てしがない。
人〔間〕には労働以上の仕事がある。
それは信じることである。
「私が今、肉〔体〕において生きているのは、私を愛し、私のために〔ご自〕身を献(ささ)げられた神の〔御〕子〔キリスト〕に対する信仰によるものです」〔と聖書にあるとおり〕である(ガラテヤ書 2:20 新共同訳、注1)。
そうして、われらがしばしば信じることをやめて、ただ働くことだけを求めるがゆえに、神は〔時々、〕われらから労働の機会と能力と精神を奪って、われらが何事もできないようにされるのである。
神はわれらにまず第一に、信頼の心〔=信仰、Faith〕を要求される〔。
キリスト教は、儀式(サクラメント)ではない。信徒をせき立てる奉仕活動でもない。
真正(ほんとう)のキリスト教は、キリストを信じることである。ヨハネ 6:29参照〕。
〔神に〕依(よ)り頼むことは、働くことよりもはるかに善(よ)きことである〔。
そしてすべての良きことは、ここから始まり、ここに終わる〕。
〔われらは、自己(おのれ)を神に明け渡し静かに待って、自己を通して神に聖旨(みこころ)を成し遂げていただくのである。〕
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(1919年12月『聖書之研究』所収「ただ信ぜよ」の抜粋を現代語化。〔 〕、( )内、下線は補足。信16・81、82)
注1 ガラテヤ書 2:20 の別訳
「私が今、肉〔体〕において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献(ささ)げられた神の〔御〕子〔キリスト〕の真実によるものです」。(聖書協会共同訳)
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