イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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悲しみの
極(きわ)みにありて
風を静め
湖(うみ)を歩み給(たま)ひし
イエスを (注1)
信ぜむとす
語注:
「歩(あゆ)み給ひ(い)し」:歩まれた
「信ぜむ(ん)とす」:信じようとする
♢ ♢ ♢ ♢
(南原 繁『歌集 形相』岩波文庫、1984年)
注1 嵐を静め、湖上を歩かれたイエスと共に
ユー・レイズ・ミー・アップ(You Raise Me Up)の歌詞を参照。
人物紹介011〖イエス・キリスト〗新訳You Raise Me Upへ
注2 南原 繁(なんばら しげる)
年譜
・1889年9月5日、香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)に生まれる。
・1907年、第一高等学校(一部甲類)入学。
・1910年、東京帝国大学法科大学政治学科入学。
・1911年10月、内村鑑三の聖書講義に出席。
・1912年1月、坂田祐らとともに白雨会発会(内村聖書研究会内)。
・1914年、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。
・1914年、12月内務省に入省。
・1916年11月、白雨会会員星野鉄男の妹、百合子と結婚。
・1921年5月、東京帝国大学法学部助教授。
8月、在外研究のためヨーロッパに出発。
10月、ロンドン大学経済・政治学校にて研究。
・1922年5月ベルリン大学(ドイツ)にて研究
・1924年1月、ブルノーブル大学(パリ)にて研究。
7月、ロンドン、アメリカを経て帰国。
・1925年8月、東京帝国大学教授。
8月、妻百合子永眠。
11月、母きく、妹カヲルをつれて上京、同居。
・1927年4月、西川博子と結婚。司式内村鑑三。
・1930年3月、恩師内村鑑三逝く。
・1936年『形相』の歌を詠み始める。
2月、2・26事件発生。
・1941年12月、太平洋戦争勃発。真珠湾奇襲攻撃、マレー沖海戦。
・1942年11月、『国家と宗教』出版(岩波書店)
6月、ミッドウェー海戦に日本敗北。
・1945年3月、東京帝国大学法学部長。
3月10日東京大空襲。
5月、ナチス崩壊、ドイツ軍無条件降伏。
3月から8月にかけて、法学部6教授と共に終戦工作に挺身。
8月15日、日本国敗戦。
12月、東京帝国大学総長に就任。
・1946年1月、『国家と宗教』増補版出版。
3月、貴族院議員に勅選。
9月、卒業式で「祖国を興(おこ)すもの」講演。貴族院日本国憲法草案審議で質疑。
・1948年3月、『歌集 形相』(創元社)、『人間革命』(東京大学新聞社出版部)出版。
・1949年11月、『真理の戦ひ』出版。
12月、東京大学総長に再選。
・1950年3月、卒業式で「世界の破局的危機と日本の使命」講演。
・1951年2月、東京大学出版会を設立(初代会長)。
・1952年、『大学の自由』(東京大学出版会)出版。
・1957年5月、『文化と国家』出版。
・1961年12月、矢内原忠雄逝去、告別追悼式で追悼の辞。
・1965年9月、『三谷隆正全集』全5巻(岩波書店)刊行開始。
・1969年9月、『江原万里全集』の「序」を執筆。
・1972年1月、『藤井武全集』の「序」を執筆。
・1973年7月、『政治哲学序説』出版(著作集第5巻)。
8月『南原繁著作集』全10巻(岩波書店)完結。
10月発病。
・1974年5月19日、永眠(84歳)。
5月25日、女子学院講堂にて告別式。
(参考文献:山口周三『南原繁の生涯 信仰・思想・業績』教文館、2012年)
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