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信仰と人生

詩歌 074

2024年10月27日改訂

​水野 源三

〖時の隔たりを越えて〗

原題:時の隔たり

Beyond the Distance of Time

Original title:The Distance of Time

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本ページ下部に​英訳掲載

​​English translation is posted at the bottom of the page.

* * * *

 

時の隔たりを越えて

水野源三

時の(へだ)たりを越えて​

時の隔たりを越えて

わが耳にやさしく響く

主イエス様のみ声が

時の隔たりを越えて​

時の隔たりを越えて

わが心に強く迫る

主イエス様のみ愛が

時の隔たりを越えて​

時の隔たりを越えて

わが生きて行くささえとなる

主イエス様のみ腕が

時の隔たりを越えて​

時の隔たりを越えて

わが喜び〔また〕望みとなる

主イエス様のみわざが

〔 〕内は補足

♢ ♢ ♢ ♢

(出典:水野源三第二詩集『主にまかせよ汝(な)が身を』アシュラムセンター、1978年)

英 訳
English translation
 

Beyond the Distance of Time
By Genzo Mizuno


                                   
Beyond the distance of time
Beyond the distance of time
The voice of the Lord Jesus rings gently in my ears


Beyond the distance of time
Beyond the distance of time
The love of the Lord Jesus touches my heart

 

Beyond the distance of time
Beyond the distance of time
The arms of the Lord Jesus are the support of my life

Beyond the distance of time
Beyond the distance of time
The works of the Lord Jesus are my joy and hope

12詩集-喜びと希望の歌 

以下、水野源三(げんぞう)第2詩集『主にまかせよ汝が身を』の序文より。

喜びと希望の歌

高橋三郎


源三さんの母上が、その切なる願いにもかかわらず、わが子に先立って召(め)されたことは、この母を唯一の頼りとして生きてきた源三さんにとって、どれほど大きな打撃であったことか、私もまた遙(はる)かなる地にあって、息をのむ思いでこれを見守りながら、主の御(おん)憐れみをひたすら祈り続けた一人であった。

 

神さまはどうしてこんなむごいことをされるのかと、その御旨(みむね)を測りかねる思いを、禁ずることができなかったのである。


しかしあれから3年余りを経た今、過ぎこしかたをかえりみるとき、まさに「わが恵み汝(なんじ)に足れり」との主の御言葉が、文字通り現実となって、源三さんをしっかと支えて下さったことを、もはや誰も疑うことができない。

 

この厳粛な消息(しょうそく)を、この詩集は生き生きと証言しているのである。


それは具体的には、〔弟〕哲男さんの全家族が真心をこめて源三さんの看(み)取りを続け、多くの師友が祈りをこめ彼を支えはげまして下さることによって、実現したことであったけれども、その背後にあってすべてを導かれたのは、ほかならぬ生ける主イエスその人であった。

 

このたび出版の運びとなったこの第2詩集の顕著(けんちょ)な特徴は、この消息を歌い上げている詩が圧倒的に多いということである。


母をうしなった私のために/泣かないでください/もう泣かないでください/心の中は/不思議なくらいに/静かなのです/キリストが/私と共に/おられるからでしょうか


主イエス様 あなたが/静かな夜道を近づく/足音だ 足音だと/すぐにわかりました/すぐにわかりました・・・・”


キリストのみ愛に触れたその時に/私の心は変わりました/憎しみも恨(うら)みも/霧のように消えさりました・・・・”


さりげなく語り出たこれらの告白の背後には、どれほど深い〔主イエスとの〕霊の交わりが息吹(いぶ)いているのか、測り知ることもできぬ厳粛な秘密を、私はそこに実感する。

 

十字架の上で贖(あがな)いの血を流されたイエスは、日ごとに源三さんと共に歩み、ねんごろに語りかけて下さる方であることを、源三さんはその全存在を挙げて、証言しているのである。

 

これを思うとき、耐えがたい苦難を負われた源三さんは、何というと尊い選びの器(うつわ)として用いられた人なのだろう、との思いを禁ずることができない。


今まで7年あまりの間、源三さんは日曜毎の私の聖書講義を、録音テープによって聞いて下さったが、毎月送られてくる報告の一節に、次のような言葉があった。


(み)言葉の真理が心にしみて、信仰が新たにされました。

 

脳性麻痺になり(体の自由を失って)、何の希望も喜びもなく、ただ植物のように生きる私でしたが、主イエス様の十字架に顕(あらわ)された真(まこと)の神様の愛と救いに触れ、喜びと希望をもって生きることができるようになりました

 

日々、主を見上げつつ、この喜びと希望を固く保って生きて行きたい、と願っています。・・・・」(1975年10月)


その「喜びと希望」がいかに深い忍耐と愛を生み出し、周囲の人々にまで豊かな祝福を注ぎ出す源となったことか。

 

その具体的みのりとして生み出されたこの尊い詩歌(しいか)集(注*)を前にして、私もまた心から讃美を唱和したいと願う者の一人である。


19787月27日   榎本保郎先生の記念日

 注*
水野源三は脳性麻痺によって手足と口の自由を奪われてから30年余り、五十音表を使い、まばたきで合図して、自分の意志を
伝えていた。

 

源三がまばたきし、その言葉を母親が必死に手帳に書きとめる作業を二人でくり返して、詩歌は作られていった。こうして出来上がったのが、「水野源三詩集」である。


母親亡き後は、義妹の秋子さんがこの作業を引き継ぎ、水野の手となって詩歌制作を続け、第2詩集が世に送り出されることになったのである。

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