イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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* * * *
〔 2 〕
回心と無教会
〔2-①〕
無教会信仰とは、一体、どういうものでしょうか。
私はこの講演のために、3日ほどかけて『内村鑑三全集』〔全〕20巻に目を通し、直接、無教会について書かれた先生の文章を調べました。
なるほど、この問題を直接に論じた文章もたくさんあります。
しかしよく見ると、それ以外の先生の文章の至る所に、同じ《無教会精神》が脈々と流れており、その一つ一つの言葉が、この信仰に息づいている〔ことに気づく〕のです。
否(いな)、〔先生の文章だけでなく、〕実は先生の人物、信仰と思想、生涯の実践そのものが無教会的であるのを知りました。
私は先生の特定の文章〔を抜き出して、そ〕の上に無教会論を組み立て〔て、報告し〕ようとの考えをやめました。〔なぜなら、〕その必要がないからです。
それよりも、先生の信仰そのものを見れば良い。無教会とは要するに、先生の信仰から生まれた自然な結果にすぎないからです。
〔2-②〕
先生は幼少年時代からすでに、神を信ずる熱心を心に宿していました。
その信仰は最初は神社宗教の形をとり、やがて札幌農学校でキリスト教信仰に回心したのです。
しかし先生の信仰を決定的なものとしたのは、言うまでもなく、アメリカで経験された回心です。
〔先生の回心は〕1886(明治19)年3月8日、先生が数え年26歳の時です。
その〔日の〕日記に次のようにあります。
「3月8日。私の生涯で最も重大な日。
キリストの贖(あがな)いの力が今日ほどはっきりと私に啓示されたことは、かつてなかった。
神の子の十字架において、これまで私を苦しめてきたあらゆる難問題の解決がある。キリストは私の一切の負債を支払うことにより、私を堕落以前の純潔と無罪に返(かえ)すことができる。
今や私は、神の子供である。そして私の義務は、イエスを信ずるにある。
『彼(イエス)』のために、神は私の望むものをすべて与えてくださるであろう。神はご自身の栄光のために、私を用いられるであろう。そして遂には、私を天の救いに入れてくださるであろう」。
(How I Became a Christian. Chapter eight.『全集』15巻120ページ)
〔2-③〕
回心というのは要するに、キリストによる救いの経験です。
〔実際に〕神の子キリストの十字架の贖いによって罪から救われ、神の子としての恵みに与(あずか)った、との経験です。
単に贖罪(しょくざい)の教義が〔頭で〕分かったというのではない。
〔先生は〕実際に、キリストの贖いの力に接したのです。「啓示された」とあるように、その力が神からの恩恵として〔じかに〕臨んだのです。
〔2-④〕
教義〔や神学、儀式〕はいかに立派でも、〔それ自体に〕人を救う力はありません。
〔圧倒的な〕《生けるキリスト》の力が、先生を救ったのです。〔救いできごとの〕すべてが、キリストの力、神の恵み〔によるもの〕です。これが先生の経験した救いです。
〔救済のわざの〕全部(すべて)が、神のものです。
そこには人間的条件は何ひとつ、介入しません〔。また介入の余地はありません〕。人はただ信仰をもって、感謝してその〔救いの〕恩恵(めぐみ)に与(あずか)るのみです。
ですから、先生は言われました。
「私の義務は〔、救い主〕イエスを信ずる〔こと〕にある」と。これが先生の信仰であり、信仰の全部(すべて)です。
〔まことに、〕単純そのものです。そして無教会とは、ただこの信仰だけに生きることにほかならない〔のです〕。
〔そして、〕この〔回心の〕時から生涯の終りにいたるまで、先生の信仰は少しも変りませんでした。
〔晩年の〕1928〔昭和3〕年、先生は〔次のように〕書いています。
「教会も聖書も、われらに自由を与えない。ただ〔生ける〕御子〔イエス〕だけが、われらを自由にする。
新プロテスタント教〔と〕は、復活し、今、生きておられる神の御子イエス・キリストを信ずる以外のことではない」と。
(「新プロテスタント教」、『全集』15巻536~537ページ、『著作集』7巻289ページ)
〔2-⑤〕
要するに、先生の経験された救いとそれに基づく信仰は、使徒パウロのそれと同じです。
〔つまり、〕「人が〔神の前に〕義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」ということです(ローマ人への手紙3章28節、パウロの言葉)。
パウロの場合、「律法の行い」とはユダヤ教会(ユダヤ教団)の定める宗教的誡律(かいりつ)を指〔しま〕す。
〔パウロは、〕救いのためには、それら(ユダヤ教団の伝統・しきたりによる)一切の宗教儀式や誡律を守る必要はない。ただ救い主イエス・キリストを信ずる信仰によって〔人は〕救われる、と言ったのです。
〔2-⑥〕
内村先生はこの信仰の原則を、 〔教会史の伝統・しきたりによる「律法の行い」としての〕教会〔制度〕とその定める儀式や典礼(=洗礼式や聖餐式など 注1)に当てはめただけです。
つまりキリストによる救いと、その救いに基づく信仰生活のためには、教会制度〔による儀式や戒律、組織〕は〔無くてはならぬ〕必要条件ではなく、ただキリストを信ずる信仰だけでよい、と〔先生は〕主張したのです。
これが、キリストの福音から必然的に生まれた無教会信仰だったのです。
先生自身のことばによれば、要するに、無教会〔主義〕は宗教改革者M・ルターが主張したプロテスタント主義(「信仰のみによる救い」)を、その論理的帰結にまで徹底させたものです。
〔2-⑦〕
〔先生は言います。〕
「〔宗教改革の仕直しによる〕新プロテスタント主義は〔、人為的宗教性から〕完全に自由であって、その内に教会主義の痕跡(こんせき)さえとどめないものでなければならない。
〔新プロテスタント主義によるエクレシアは、〕制度〔的組織体〕ではなく〔、キリストを首(かしら)とする信徒の〕親しき〔愛の〕交わりであり、〔宗教〕組織または〔勢力〕団体ではなく、霊魂の自由な交わり〔すなわち、キリストにある霊的・人格的共同体〕でなければならない。
実際的に言えば、それは、神の子イエス・キリスト以外の誰をも監督〔、法王〕、または牧師〔、神父〕と呼ぶことのない、〔また、「救済機関」としての制度〕教会を必要としないキリスト教でなければならない。
そして神は、この日本において、このような〔、イエス・キリストのみを信じ仰ぐ〕キリスト教が現れることを望んでおられないと、誰が言えるだろうか。
人類の霊的向上の歴史において試みられるべき、この新しい試み、すなわち、日出(い)ずる〔極東の〕国においてキリスト教の根本(=イエス・キリストその人のもたらした福音)に遡(さかのぼ)り、これを新たに始めようとする偉大な試みが、われら日本人の間で試みられるべきではないと、誰が言えるだろうか。
神よ、われらに聖霊を〔豊かに〕注ぎ、われらの内に大望(たいぼう)を起こし、この大事に当たらせてください」。
(「宗教改革仕直しの必要」『聖書之研究』333号、1928(昭和3)年、『全集』15巻535ページ、『著作集』7巻287ページを現代語化)。
〔2-⑧〕
〔制度教会とその儀礼、聖職者階級を必要条件としない〕この無教会キリスト教は確かに、世界のキリスト教史上まったく新しい試みであり、真に独創的なものです(注2)。
しかしこれは、決して人間的な思いから出た新奇な思いつき〔など〕ではありません。それどころか、「キリスト教の根本に溯(さかのぼ)る」ことです。
先生の経験によれば、〔無教会信仰は〕回心に基(もと)づく信仰、つまり生けるキリストを信ずる信仰に、あくまで生きぬこうとする〔、その結果としての〕生き方です。
「私の義務は、イエスを信ずることにある」と言われたのが、それです。
パウロの言葉によれば、「私が今、肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」となるでしょう(ガラテヤ人への手紙2章20節。口語訳)。
〔2-⑨〕
イエスを信じて生きるというのは、幼児がすべてを母に委(まか)せてすがるように、救い主キリストにすべてを委せて、その導きのままに従う生き方(=キリストへの信従)です。
そうすればこのキリストにあって、神はすべての望むものを、御心のままに与えて下さる。聖霊によってなすべき仕事を命じ、またそれを行う力を与えてくださる。
その信仰生涯には、恩恵とともに多くの苦しみもまた来(きた)るであろう。しかしそれらすべてを通して、神は信ずる者を用いてご自身の栄光を表わされるのです。
「彼(イエス)のために、神は私の望むものをすべて与えてくださるであろう。神はご自身の栄光のために、私を用いられるであろう。」と、先生の回心日記にあるとおりです。
そしてそのことが、パウロの言う「イエスを信ずる信仰によって生きる」ということの実際的な意味です。
〔2-⑩〕
この点を正しく理解することが、内村先生の無教会信仰の何たるかを知る上で、最も大事であると私は考えます。
〔つまり、〕回心の第一はキリストによる救いであり。第二はその救い主キリストを信ずる信仰に生きること〔、キリストへの信従〕です。
第一の点については、《十字架の信仰》として(注3)、すべての無教会信者が最も熱心に論じています。言うまでもなくそれは《福音》の中心、内村先生の信仰の根本です。
しかし第二の点〔、つまり《キリストへの信従》〕は、多くの無教会信者によって閑却されているうらみがありませんか。
ところが〔閑却されて良いどころか〕実は、〔十字架の信仰とキリストへの信従の〕両者は一体的に結合されており、〔決して〕切り離すことはできません。
キリストに救われた者が、キリストの霊に導かれ〔、キリストに信じ従っ〕て〔この世を〕生きるのです(注4)。
〔実際、〕ここからキリスト者としの、また〔独立〕伝道者としての先生の生涯が始まったのであり、そしてまた、無教会信仰に生きぬかれた先生の真面目(しんめんぼく)が発揮されたのです。
〔つづく〕
♢ ♢ ♢ ♢
(出典:石原兵永「内村先生と無教会」、鈴木俊郎編『内村鑑三と現代』112~117項より引用。( )、〔 〕内、下線は補足。一部表現を現代語化)
注1 洗礼・聖餐の起源について
注2 内村の自然的な教会観、サクラメント観
「〔内村〕鑑三には、ルターの宗教改革以後もなお、多くのプロテスタント諸教会がサクラメント(聖礼典)として守っている洗礼〔式〕と聖餐〔式〕は、キリスト信徒にとって必要不可欠なものと〔は、〕みなされなかった。
・・・
『余は如何(いか)にしてキリスト信徒になりし乎』の中で〔鑑三が〕述べたように、洗礼が望まれるときには夕立(ゆうだち)の雨でもよく、聖餐にあずかりたいなら、野に出てそこに実っているブドウの汁でもよい、というのが、鑑三のサクラメントに対する基本的な考え方である。
『キリスト信徒の慰め』では、教会についても、それは、人の手で作られた白壁や赤瓦のうちにあるだけでなく、自然そのものが神の家とされている。
『無教会論』(1901年3月)でも〔、鑑三は〕こう言う。
『〔神の造られた宇宙であります。天然であります。これが、私ども無教会信徒のこの世における教会であります。〕
その天井は蒼穹(あおぞら)であります。その板に星がちりばめてあります。
その床(ゆか)は青い野であります。そのたたみは、いろいろの花であります。その楽器は松のこずえであります。
その楽人(がくじん)は森の小鳥であります。
その高壇(こうだん)は山の高根でありまして、その説教師は神様ご自身であります。
これが私ども無教会信徒の教会であります』。
要するに、鑑三のいう無教会は、直接、聖書に参入したことにより、〔キリスト教界の人々が〕西洋のキリスト教のみを唯一の在り方とみるのに対し、〔西洋のキリスト教を相対化し、〕そこから人工的な聖職者制、教職者の資格、礼典、建物などの制度、儀礼を取り外そうとしたものである。
〔つまり、制度〕教会から人工的〔・人為的な〕要素の除去をはかる、自然的な教会観である」。
(鈴木範久著『内村鑑三』岩波書店、1984年、118~119項より引用。「無教会論」の引用部分を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)
注3 十字架の信仰
注4 キリスト教的エートス=到来しつつある《御国》に向かって生きる
「キリスト教的エートスは『御国(みくに)を来たらせたまえ』と祈るように解放され〔、自由を与えられ〕た人間が、自分たちの側でも、その自由を用いて神の戒(いまし)めに従い、到来しつつある御国に向かって生きて行くということである」(K・バルト)
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