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イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2025年2月24日
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* * *
十字架の血による洗礼
溝口 正
・・・
ところで、われわれ無教会はイエスの名による〔水の〕洗礼〔式〕も按手〔礼〕も、その他いっさいの礼典〔祭儀〕(サクラメント。カトリックでは「秘跡」)を行わない。
もし〔水の〕洗礼(注1)と按手〔礼〕(注2)によってしか《聖霊》(注3)がくだらないとすれば、無教会には聖霊の賜物(たまもの)が与えられていないこととなるであろう。
この問題は、無教会キリスト者にとってゆるがせにできない重要問題の一つであることは否定できないであろう。
そこで、この問題に関する洗礼者ヨハネの言葉にまず耳を傾けてみよう。
「私よりも力のある方(=イエス)が、後からおいでになる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
私は水であなたがたに洗礼(バプテスマ)を授けたが、その方は、聖霊によって洗礼をお授けになる」(マルコによる福音書 1:7~8)。
「私は、悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、私の後から来る人は、私よりも力のある方で、私は、その履物をお脱がせする値打ちもない。
その方は、聖霊と火とであなたがたに洗礼お授けになる」(マタイによる福音書 3:11参照)。
マルコとマタイでは「聖霊によるバプテスマ(洗礼)」と「聖霊と火によるバプテスマ(洗礼)」という若干の相違はあるが、重要なことは、ともに〔主〕イエスが直接お授けになるバプテスマ〔を言い表しているの〕であって、人の手を介しての「イエスの名による〔水の〕バプテスマ」ではないことであろう。
イエスご自身からじかに〔霊の〕バプテスマを受けることによって、〔われわれは〕神と交わる聖霊と罪を火で焼き切る罪の赦しの恵みを受け取る・・・これが〔洗礼者〕ヨハネの悔改めのバプテスマ(水の洗礼)と、イエスのバプテスマ(聖霊の洗礼)との根本的相違であると言えよう。
・・・
ここで〔コロサイ人への手紙2章11~12節(注4)から〕私に鮮烈に啓示された真理は、キリストの〔霊による〕洗礼(つまり、まことの洗礼)とは十字架の血による洗礼であるとのことであった。
この洗礼は、〔制度教会で執行されているような〕人の手を介した水による洗礼ではなく(注5)、まさにキリストが御自身の生命(いのち)を捨てて十字架の血(=イエスの真実と愛の究極の表れ)によってなし給(たも)う直接の洗礼である〔注5、ガラテヤ 3:15~21、聖書協会共同訳参照〕。
これは私にとって大発見であり、まさしく天啓(天からの啓示、インスピレーション)であった。
無教会キリスト者は、礼典〔儀式〕としての水によるバプテスマは受けていないが(注6)、主イエスのバプテスマ、すなわち、十字架の血によるバプテスマを受けて彼の死に合わせられなければならない。
そこではじめて《古い人間》に死に、キリストの復活に合わせられて新しいキリスト者としてよみがえるのである。
かくて罪のゆるしと聖霊とすべての賜物(たまもの)とが〔その人に〕豊かにそそがれるのである。
無教会が宗教改革の徹底〔、すなわち第二の宗教改革の実現〕という使命を帯びているとすれば、十字架の血によるキリストの洗礼をじかに受けて〔古き己おのれに〕死んで〔、キリストの復活の生命に新たに〕生かされるところに、その原点があるのではあるまいか。
これを純粋に信じ〔て生き〕るならば〔、制度〕教会に属さなくても救われる、洗礼〔式〕とか聖餐〔式〕とかの礼典や教会制度の中にあるさまざまな伝統にあやからなくても救われるという無教会の主張は、十字架の血による洗礼というイエスに直結した〔積極的〕真理に根ざしていることを知るのである(注7)。
この真理に固く立つ限り、教会もまた祝福の中にあることは言うまでもない。
♢ ♢ ♢ ♢
(溝口正主筆『復活』第193号、1982年8月より抜粋。( )、〔 〕内、下線は補足)
注1 洗礼の起源
高橋三郎「宗教改革者イエス」の注4を参照
注2 按手礼(あんしゅれい)ordination
キリスト教会で、信徒を聖職(牧師、司祭など)に任命する際に行われる聖別の儀礼であり、上長(司教や監督、按手礼式司会者:教区総会議長など)や先輩の聖職者が祈りとともにその人の頭に手を置き、霊的な力が与えられるようにする儀式のこと。
ローマ・カトリックの《叙階》、聖公会の《聖職按手式》に同じ。
按手礼を受けた聖職者には、洗礼、聖餐(ミサ)などの「礼典執行権」が与えられる(按手礼を受けていない者が礼典を執(と)り行うことは、許されていない)。
上記のように制度教会では、按手礼式によって神の霊を付与することができる、また按手礼を受けた聖職者だけが洗礼を授け、聖餐式(ミサ)を執行する資格(礼典執行権)があるとしている。
しかし、これらは教会的伝統(教会の慣習・しきたり)によるものであって、聖書的根拠に乏しいことに留意すべきである。
なぜなら、聖職者(教職)の任命式としての按手礼式は紀元 2 世紀以降に登場したのであって、聖書の時代には存在しなかったからである。当然、聖職者の「礼典執行権」などというものも、存在しなかった(下記「按手礼の歴史」参照)。
また、一定の儀式的行為に伴って必然的に神の霊を付与できるとするならば、それは《呪術》と呼ぶべきではないだろうか(ヨハネ 3:8参照)。
按手礼の歴史
キリスト教会の《按手》については、ユダヤ教の《按手》から受け継いだものという説が有力である。
紀元前 4、5世紀の《初期ユダヤ教》の時代に、すでに後継者の祝福の儀礼として按手、つまり「手を置く」という観念があったということが確認できる。
また、ユダヤ教の《律法学者》の任命式(紀元前 1、2世紀)では、律法学者たる教師が証人たちの前で弟子に《按手》することによって、公的な権威を認定し、知恵の賜物を授与するということを儀式化していた。
新約聖書には、「手を置く」ということが様々な文脈で語られている。
その主なものは、マルコ 10:16(祝福)、マルコ 8:23(病気の癒し)、使徒言行録 13:3(派遣)、使徒言行録 6:6、I テモテ 4:14、Ⅱテモテ 1:6(任命)、使徒言行録 8:17(聖霊の出来事)などである。
これらは「按手」という行為にこめられた意味内容の多様性を示しており、様々な按手があったと考えてよい。つまり、新約聖書に従えば、(聖職者に恒久的な資格を与えるという意味での)任命は、少なくとも按手礼の中心的な意味ではなかった。
〔新約聖書学者〕E・シュヴァイツァーによれば、新約聖書の中では《牧会書簡》を例外として、教職(聖職者)とよぶべき特別な教会内の身分はなかった。
はっきりと教会の教師の任命に、長老や使徒による《按手》が行われたと書いてあるのは、2 世紀(使徒教父時代以後)のものだとされる《牧会書簡》だけである。
つまり教職(聖職者)の任命式としての按手礼は、聖書の時代には存在せず、2世紀以降に登場したのである。
また、按手礼の形態(按手礼の主体、それによって任命される教職、その教職に付随する職務内容)は、その時代の社会と教会の形態に応じて変化してきた。
(参考文献:西南学院大学リポジトリ・片山 寛「按手礼についての議論の整理― 教理史を学ぶ立場から ―」)
注3 聖霊について
注4 コロサイ 2:11~12
「あなたがたはキリストにあって、〔人間の〕手によらない割礼(かつれい)を受けました。
それは肉の体(=罪に蝕まれた体、ローマ 6:6)を脱ぎ捨てること、すなわち、キリストの割礼です。
あなたがたは、洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に〔死んで〕葬(ほうむ)られ、〔同時に〕キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです」。
(聖書協会共同訳、( )、〔 〕内は補足)
注5 「十字架の血による洗礼」とは何か - イエスの生と言葉に注目する
残された問い
この短い論考によって溝口は、人の手による「水の洗礼」ではなく、イエスから直接、受ける「霊の洗礼」つまり「十字架の血による洗礼」こそが、われらの《古い人間》を根本的に洗い清め(=罪を赦し)、《新しい人間》に生まれ変わらせると主張する。
しかしイエスが十字架にかけられたのは、今から2,000年以上も前のことである。
にもかかわらず、現代に生きるわれわれが「十字架の血によって洗礼を受ける」とは、どういうことか。
もちろんこれは、「十字架上で流されたイエスの血」と称するもの(聖遺物!)を頭に浴びることではない。
そのような奇怪(グロテスク)なことではない。
それでは、溝口の言う「十字架の血による洗礼」とは何か。
そもそも、イエスの十字架とは何か。なぜイエスは十字架にかけられたのか。われわれにとって、イエスの十字架とは一体、何か。
十字架=イエスの生の帰結
イエスの十字架のできごとは、はるか昔、遠いローマ帝国の辺境・パレスチナで起きた「不幸な一事件」ではない。
福音書を読むとき、イエスの十字架はイエスの生涯の必然的帰結であった、またイエスの生きざま・彼の生が極点まで凝縮したもの、それがイエスの十字架であった、と言えるのではないだろうか。
今日同様、イエス在世当時、彼の回りには多くの貧しき者、悲しむ者たちがいた。また、長き病(やまい)に苦しみ、ユダヤ民族の宗教(ユダヤ教)からも、社会からも、ときには家族からさえも忌(い)み嫌われ、遠ざけられた者たちがいた。
そのような中、イエスは生涯、彼らの傍(かたわ)らに立ち続けた。彼らから始めて、すべての人を神の許(もと)に連れ帰るために。
イエスは、当時の社会規範の根幹であった《ユダヤ律法》の規定(ユダヤ教の諸戒律)をあえて犯してでも彼らに癒(いや)しを与え、また彼らを苦しみから救い出して、神の《赦し》を宣言した。彼らに《神の子》としての尊厳を回復した(マルコ 2:8b~12a 参照)。
またイエスは、人々の救済よりも暴利を貪(むさぼ)ることに腐心していたエルサレムの神殿宗教を批判し、これを粛清した。そればかりか、エルサレム神殿の崩壊さえ予告した(マルコ 11:15~18、13:1~2 参照)。
インマヌエル。神、われらと共にあり(イザヤ 7:14、8:10 参照)。
イエスは、まさに《インマヌエルの神》の慈愛を体現した方、むしろインマヌエルそのものであった。
しかしそのために、彼はユダヤ 民族の国体(=聖、宗教指導者たち(サドカイ派、ファリサイ派、律法学者たち なるユダヤ律法とエルサレム神殿)の尊厳を破壊する者として)の怒りを買い、彼らに憎まれ、告発され、命を付け狙(ねら)われたのである。
イエスは、宗教指導者たちとの摩擦を避けよう思えば、避けられたはずである。
《地の民》(アム・ハ・アレツ)と呼ばれた人々との接触はほどほどにして、彼らと距離を置いて「賢く」行動したならば、おそらくイエスは十字架に追い込まれることはなかったであろう。
しかし彼は、そのような方ではなかった。彼は逃げようとはしなかった。イエスは《十字架の道》を進まれた(ルカ 13:31~34 参照)。
彼はどこまでも、苦しむ者たち、貧しき者たちと共に、また彼らの傍らにあり続けようとした。
こうして、イエスはついに宗教指導者たち、世の権力者たち、そして群衆とによって十字架につけられるに至った。
イエスは死に至るまで人々に、そし神に仕える生き様-奉仕の生-を貫(つらぬ)いたのである。
十字架の祈り
イエスは十字架に釘(くぎ)付けられた。
・・・しかし彼は死の苦しみの中から、ある祈りの言葉を発した。
それは次のようなものだった。
「父よ、彼らを赦したまえ。自分で何をしているのか分からないのですから」と(ルカ 23:34 参照)。
驚くべきことにイエスは、自分を十字架に付ける敵のために、その赦しを祈られたのだ!
イエスの十字架は、今も、この祈りの言葉を発し続けている。
イエスの十字架と十字架を囲む群像(ぐんぞう)をジッと見つめるとき、人は思いがけないことに気づく。
イエスを十字架につけた群衆の中に自分もいる、自分もまた群衆の一人であることを。
またイエスが、他ならぬ自分のために祈ってくださっていることを。彼はまさに命がけで、わが罪の赦しを求めて祈ってくださったのだ。
われわれは、この祈りは神によって確かに聞き届けられたと信じることができる。
なぜなら、イエスご自身が弟子たちに次のように教えておられるからだ。
「 求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。〔門を〕叩(たた)きなさい。そうすれば、開かれる。
誰でも、求め者は受け、探す者は見つけ、〔門を〕叩く者には開かれる。
あなたがたの誰が、パンを欲(ほ)しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このようにあなたがたは悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。
まして、天におられるあなたがたの父(なる神)は、〔ご自身に〕求める者に良い物を与えてくださる 」と(マタイ 7:7~11)。
独(ひと)り子イエスの切なる祈りが父なる神に聞かれないことなど、あり得るだろうか。
またこの祈りによって、イエスはわれわれにこう語りかけている。
「あなたは私をムチ打ち、私を十字架につけるがよい。だがたとえ、あなたが私に対して何をしようとも、私があなたを愛するのを止めることはできない。私はあなたを愛している!」。
これはまた、イエスの生涯と十字架を通して神が私たちに語りかけていることではないだろうか(ウイリアム・バークレー『奇跡の人生』ヨルダン社、1976年、87~88項参照)。
十字架と新生
イエスは言われた。
「 私(イエス)は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っている。羊も私を知っている。・・私は羊のために命を捨てる。
・・・
私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、私の手から奪う者はいない 」(ヨハネ 10:14、15b、28)。
この言葉どおりに十字架上に注ぎ出された、イエスの真実と愛(=恩寵)。これこそが、「十字架の血」が意味するものではないだろうか。
イエスの十字架は、わが救いのため(プロ メ pro me)。
神はイエスの十字架の血、すなわちイエスの真実と愛(=恩寵)によって、わがたましいを洗い清め、罪を拭(ぬぐ)ってくださった(注 ※)。
私は、今までの《古い人間》ではない。十字架に顕(あらわ)れたイエスの真実と愛(=恩寵)によって、新しい命、《新しい人間》に生まれ変わったのだ。
私はもはや、イエスから離れることはできない。否(いな)、いかなるときも主イエスの御手は私を捉(とら)えて、離さない(詩篇 139:7~10 参照)。
主イエスこそ、わが平和、わがいのち、わが喜び、わがすべて!
これが、溝口が指し示した「十字架の血による洗礼」の意味するものではないだろうか。
* *
「 私はキリストと共に十字架につけられたのだ。
生きているのは、もはやこの私(古き自己)ではない。〔古き自己の死と引き換えに、〕キリストがわが内に生きておられる。
私が今〔なお〕、〔この世で〕肉にあって生きているのは、私を愛して、私のために己(おの)が身を引き渡された神の御子〔キリスト〕の真実にあって生きていることなのだ 」。
(ガラテヤ 2:19~20 。〔 〕、( )内は補足・敷衍。参考文献:聖書協会共同訳、H・W・バイヤー著、P・アルトハウス改訂、杉山好(よしむ)・大島智夫訳『ATD 新約聖書註解 8 パウロ小書簡』ATD 新約聖書註解刊行会、1979年)
注 ※ 刑罰代受説の問題点
(論者は注5において、十字架の真実と愛(=恩寵)による罪の赦し(恩寵による贖罪)を論じた。以下の論考は、これを背後に踏まえつつ、刑罰代受説の問題点を取り上げたものである)
この伝統的な教説は、「人間の罪に対するご自身の怒りを鎮(しず)め、正義を全(まっと)うするために、神が罪なき御子イエスを人類の身代わりとして十字架に付け、処罰した(イエスが人間の代わりに神の刑罰を受けた)」、「キリストの代理的な苦難と死を通して、人類が受けるべき刑罰は克服され、罪許される道が開かれた」とする(伊藤忠彦著『キリスト教教理入門』ヨルダン社、1987年、125~126項参照)。
この刑罰代受説には重大な問題がある。
第一は、この教説には歴史的事実と人間の残虐性に関する認識が欠落している、という問題であり、第二は神観(しんかん、神をどのような方としてみるか)の問題、第三はこの教説とキリスト教の加虐生との関わりである。
歴史的事実として先ず確認しておきたいことは、イエスは自ら十字架の道(徹底した奉仕の生)を選び取ったこと。その結果、彼はユダヤ教体制に対する〈危険人物〉と見なされたこと。
そしてサンヘドリン(ユダヤ教最高法院)の要人たちが、ローマの官憲、群集までも巻き込み、イエスを十字架の死へと追い詰めたことである。
つまりイエスを十字架に付けたのは人間であって、神ではないことである。
また、「人間が神の子(つまり神)を裁くという宗教的倒錯(とうさく)がここに噴出したのであり、十字架という残忍な処刑の仕方の中に、人間の残虐(ざんぎゃく)性が、恐ろしいまでに立ち現れている」
このように《刑罰代受説》には、歴史的事実と人間の残虐性に関する認識がすっぽり抜け落ちている(☆神学・論文 高橋三郎〖刑罰代受説の問題点〗へ)。
第二は、《刑罰代受説》に表された神観-怒りと審きの神-の問題である。
刑罰代受説の神は、イエス時代の律法学者たちが考えていた「神」と見まがうような「神」である。
イエスが私たちに教えてくれた《神》は、果たして、このような「神」だろうか。
《アバ》(天のお父ちゃん)としての神(マルコ 14:36、マタイ 7:7~11 参照)。
99 匹を野に残してでも、迷い出た1匹の羊を探し続ける〈良き羊飼い〉としての神(ルカ 15:3~6 参照、☆信仰と人生 三谷隆正〖S童子を葬る言葉 -神の絶対愛-〗へ)。
迷い出た放蕩(ほうとう)息子の帰還を待ちわび、はるか遠くに息子の姿を見つけて駆け寄る〈父親〉としての神(ルカ 15:11~24 参照)。
ここに描かれているのは、《罪人》(周辺に追いやられた者たち)を探し求めて、救わなければ止(や)まない神の姿である。
これこそが、イエスが示された《父なる神》の特質ではないだろうか。
この革命的な神観とこれに基づくイエスの振るまいがユダヤ教体制に対する深刻な脅威と見なされたからこそ、イエスは十字架に付けられたのである。
内村鑑三は、自らの《実験》を通して示された父なる神の愛と罪の赦しの関係について、次のように証言している。
「忿怒(いかり)によって罪はなくならない。愛だけが罪に打ち勝つことができる。
少なくとも、私自身の場合はそうであった。そして私は、すべての人の場合でも同じであると思う。
《悔い改め》は、羞恥(しゅうち)に始まるものである。
自分は〔その人を〕愛していない〔、気にもとめていなかった〕のに、〔その〕人が〔自らの命をかけて〕わたしを愛して〔くれて〕いると聞いて、私は〔心揺り動かされ〕、自らに恥(は)じ自分の罪を悔(く)いて、彼に赦しを乞(こ)うに至るのである。
人に対して〔すら〕、そうなのである。神に対しても、また同じである。
〔まさに〕私がキリストを十字架に付けつつあった〔その〕時に、神はそのキリストの、その十字架によって私〔の罪〕を赦してくださった〔のだ〕と聞いて、私は自らに恥じて〔、自らの罪深さに〕耐えられなくなるのである〔。そして、神に罪の赦しを乞うに至るのである〕。
罪は、鉄槌(てっつい)によって砕くことはできない。しかし、愛によって罪を鎔(と)かすことができる。
神は、人の心の何たるかを良く知っておられる。
それゆえ神は、恐怖をもって人に臨(のぞ)まれない。〔神は、〕無限の愛をもって彼ら〔の許〕を訪ね、彼らがなお神の敵であったときに〔黙って〕彼らの罪を贖(あが)ない、〔そのことによって〕彼らが神の愛に心動かされて自ら〔、罪〕を〔悔い〕改め、神のもとに帰るようにされるのである。
宇宙万物の創造主である父なる神は、このようにされないだろうか。」
(出典:「余(よ)の信仰の真髄」(『聖書之研究』111号、1909年7月に掲載)より現代語による引用。( )、〔 〕内、下線は補足・敷衍)
第三の問題は、《刑罰代受説》と〈キリスト教の残虐性〉との関わりである。
キリスト教史における《異端審問》や激烈な《異端迫害》(カトリック・プロテスタント両教会は《再洗礼派》に対し、幾十年にもわたり、火刑、四つ裂き、水死、絞首等を執行した)、また幾多の《宗教戦争》(三十年戦争等)は、キリスト教史の暗黒面として知られており、〈キリスト教の残虐性〉を示すとも言われている(カール・ホイシ著、荒井献ら訳『教会史概説』新教出版社、1966年、106項参照)。
このキリスト教の加虐生・残虐性と《刑罰代受説》は、何か関係があるのだろうか?
《刑罰代受説》が教えるように、神がご自分の聖なる怒りを鎮(しず)めるために御子イエスさえも十字架に付けたのであれば、自分たちが「神の教えに反する者たち」また「異端者」を神の審きの日よりも少しばかり早めに処刑したとしても、それはむしろ神に喜ばれるだろう。
それは神の《審判》に協力することなのだから・・・
こうして、「われわれには、真のキリスト教を護(まも)る使命が課されている」との御旗(みはた)のもと、かつて残酷な行為が繰り返され、今も繰り返されているのではないだろうか(「プーチンは、堕落した西側の教会を撃つ神のムチ」との弁護)。
これは、《刑罰代受説》の恐るべき副作用-害毒-ではないだろうか。
以上のように、刑罰代受説には克服すべき様々な課題があることを忘れてはいけないだろう。
注6 制度教会の発生
10「洗礼・聖餐の祭儀化と制度教会の発生」へ
注7 洗礼式・聖餐式は「救い」を保証しない
日本宣教リサーチ「JMR調査レポート 2018年度版」(東京基督教大学ホームページに公開)によれば、日本の代表的な教団・教派の2018年度の礼拝出席率(礼拝出席者数/信徒総数)は、以下の通りである。
・カトリック教会:約23%
・日本基督教団:約30%
・日本聖公会:約15%
・日本福音ルーテル教会:約16%
・日本キリスト教改革派教会:約45%
・日本バプテスト連盟:約36%
この統計データから分かることは、「教会籍」がある、つまり水の洗礼を受けて陪餐(ばいさん)会員(教会信徒)となった者で、実際に教会に来ている者はせいぜい3割にすぎず、残りの約7割は教会に来ていない、つまり教会から離れているという事実である。
教会から離れている人々の中には、もちろん、主イエスを信じ慕いつつも様々な事情で教会へ通えなくなった、気の毒な人々もいるはずである。
しかし、かなりの人々は教会を離れると同時にキリスト教そのものから離れてしまっていると考えられる。
またフランス・カトリック教会の司祭約 3,000人が児童の性的虐待に関与していたことが報告され(独立調査委員会の調査報告。BBC NEWS 2021年10月4日報道)、ロシア正教会トップのキリル総主教〔と多くのロシア正教会聖職者たち〕がプーチンのウクライナ侵攻を「祝福」し(東洋経済ONLINE 2022年11月19日報道)、独裁的指導者プーチンを救世主のように讃美している。
教会内にあって、これらの「聖職者」たちは主イエスの精神と正反対の行動をとっている。
以上の事実は、制度教会で執行される水の洗礼式や聖餐式などの礼典(サクラメント)は必ずしも人間を根源的に変革するものではないこと、つまり礼典は救いを「保証」するものではないことを如実(にょじつ)に物語っているのではないだろうか。
注8 宗教改革の原点
溝口の論考に基づくならば、パウロの手紙に倣(なら)って無教会は次のように自己紹介できるであろう。
「〔制度〕教会への所属にもよらず、儀礼にもよらず、ただ十字架にかかられたイエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによって《宗教改革》貫徹の使命を託された無教会から、日本と世界の諸集会(エクレシア)へ」。
紀元55年頃、使徒パウロは「律法の遵守」を要求する《ユダヤ主義者》から《福音の真理》を守るため、ガラテヤの諸集会(エクレシア)に宛てて手紙を書いた。
この手紙の初めで、パウロは自らの《使徒職》について次のように記している。
「人々から〔使徒にされたの〕でもなく、〔ある〕人間を通してでもなく〔すなわち、人間の命令や委任によってでなく〕、イエス・キリストと、この方を死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされたパウロ・・・から、ガラテヤの諸集会(エクレシア)へ」(聖書協会共同訳参照、〔 〕内は補足)。
パウロは、自らの使徒職を二重の否定によって明らかにしている。
つまり、自分は「人々から」の使徒ではなく、「人間を通して」の使徒でもない。そうではなく、自らの使徒職は「イエス・キリストと神とによるのだ」と。
こうして彼は、自分の使徒職は直接にイエス・キリストから、したがってまた、まさしく父なる神から受けたものであって、それ以外の誰からでもないという確信を、手紙の読者に単刀直入にぶつけて行く。
そして、彼が使徒として立てられたのは、「ある人間によってではない」とすれば、もちろんまた自分自身で自分を使徒に仕立てたわけでもない。
《使徒》という名称には、そのすべての権威にもかかわらず、いかばかりに低いへりくだりの姿勢が込められているものかを、ルターは力説している(上掲『NTD新約聖書注解 8 パウロ小書簡』10項参照)。
溝口が《宗教改革》貫徹の原点として発見した真理(=十字架の血による洗礼)は、パウロの使徒職の自覚と同様に、直接に神から(聖霊によって)啓示されたものと言えよう。
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