イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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内村鑑三
Kanzo Uchimura
* * * *
私の見た内村先生
1930年3月30日、内村先生の葬儀において述べたもの
藤井 武
〔 1 〕
〔1-①〕
「内村鑑三は〔、神から遣わされた近代日本の〕預言者である」と言いましたら、誰が反対するでしょうか(注1)。
先生が私どもの前に、日本全体の前に現した姿は、紛(まぎ)れもなく《預言者》のすがたでありました。
〔1-②〕
〔内村〕先生は学者でもなく、〔いわゆる〕宗教家でもありませんでした。
日本には多くの宗教家がおり、多くの学者その他の名士がおります。しかし、彼らの中に先生がおるのは〔まったく希有(けう)の出来事〕、「林の樹〔々〕の中に、リンゴ〔の木〕のあるがごとし」であります。
もし、彼らが風に揺れる葦(あし)であるならば、内村先生は《荒れ野に呼ばわる〔者の〕声》でありました(イザヤ 40:3、注2)。
日本における先生の出現は、ユダヤにおける〔預言者〕エリヤまたはアモスまたはイザヤの出現に似ておりました。
〔1-③〕
先生は、力強く 《神の義》を唱えました。近代の日本人に神の侮(あなど)るべきでない所以(ゆえん)を教えたのは、実に内村先生でありました。
その声はまさに、〔背きの民に神の審判を告げた〕テコアの牧者アモスのそれでありました。
先生は〔キリストの〕福音のために、〔神にある〕独立のために、〔そして〕非戦論のために、勇敢に戦いました。
その戦いはまさしく、〔バアル崇拝と戦った〕ティシュベ人エリヤのそれでありました。
先生はまた、十字架〔上〕のキリストを指さして叫びつづけました。
その叫びは、〔メシア到来の前駆者として、〕ヨルダン川のほとりで「見よ、世の罪を取り除く神の小羊を」と叫んだバプテスマのヨハネのそれでありました。
〔 2 〕
〔2-①〕
聞くところによれば、先生はご自分の最後が近づきましたときに、日本〔国〕の隆盛と人類の幸福と、そして宇宙の完成とについて祈られたそうであります。
宇宙の完成!
多くの人はそれが何を意味するのかさえ、〔理〕解しません。それほどに大きな事であります。
その事を臨終の床において祈って死ぬとは、実に何という偉大なたましいでありましょう。
〔2-②〕
私どもはアフリカのために祈って死んだ〔宣教師、〕リビングストンを知っています。敵のために〔その赦しを〕祈って死んだ〔最初の殉教者、〕ステパノを知っています。
けれども未(いま)だかつて、宇宙のために祈って死んだ人がいる〔という〕ことを聞いたことがありません。
〔2-③〕
〔しかし、ただ〕一人、わが〔内村〕先生の霊魂は死の岸において、すべての造られし物、天地万有の呻(うめ)きを憶(おも)いました。
そして〔宇宙完成の日に、〕それら一切のものが、その普遍的な悩みから解放されて、神の子の限りなき栄光に与(あずか)ることのために、同情の祈りを捧げました(ローマ 8:18~22、注3)。
ああ、われらの先生は《万物復興》の大いなる夢を見ながら眠りました。
これは、何者の最期(さいご)でありましょうか。これこそは実に、偉大なる《預言者》の最期ではありませんか。
〔 3 〕
〔3-①〕
私は自分の病気のために、先生の長い御療養中、一度もお見舞いすることができませんでした(注2)。
先日、〔先生、〕ご重体の由(よし)を聞いて、一昨日の朝、駆けつけたときには、すでに〔時〕遅しでした。わずか20分の差で間に合いませんでした。
〔3-②〕
しかし〔、代わりに〕御遺骸としては、最初にお目にかかりました。
どんなにお窶(やつ)れであろうかと想像して、顔覆(おお)いが除かれたところを覗(のぞ)きますと、これはまた何という立派さでしょう。
泰然(たいぜん)として岩石のように横たわる〔先生の〕お顔は!
私は〔未だ〕かつて、このような死に顔を見た憶(おぼ)えがありません。〔そのとき、〕私は直感しました。これは《預言者》の死に顔だ、と。
〔3-③〕
近代日本における《預言者》としての〔内村〕先生の立場は、実に独一〔無比〕(どくいつむひ)のものでありました。
何人(なんぴと)も、先生に代わることはできませんでした。
角筈(つのはず)または柏木の里から挙(あ)がったその声によってのみ、若き日本の子らは真理らしき真理を見出したのであります。
もし先生が〔日本に〕現れなかったならば、日本はどれほど暗かったでしょう。どんなに寂しかったでしょう。想うだけでも私は戦慄(せんりつ)を禁じ得ません。
先生を与えられましたことは、実にわれら日本人の言いがたい感謝であり、誇りであります。
〔 4 〕
〔4-①〕
しかしながら先生はまた、大きな〈謎の人〉でありました。
こんなことを申し上げては、先生に対する礼を失するでしょうか。しかしこの際、先生ご自身は多分、お許しくださるだろうと思います。私は私の観た先生をありのままに申し上げるほかないのであります。
〔私にとって〕先生は矛盾の多い方、矛盾だらけの方でありました。先生ほど矛盾に富んだ人格を私は知りません。そのため、多くの人が先生に躓(つまず)きました。〔先生に〕近づく者ほど、ひどく躓きました。
先生と親しくなった者で、この経験を持たなかった者が〔、果たして〕幾人いますか。
〔4-②〕
私は告白します。私自身、たびたび躓きを繰り返したことを。
先生のために心を掻(か)き裂かれて一晩〔中〕、泣いたこともありました。また先生ご自身のために悲しんで、祈り明かしたこともありました。
ほんとうに大きな《躓きの石》でありました。私にとって〔先生〕は、むしろ不可解で〔さえ、ありま〕した。
何だか解(わか)らない。どうしてもよく解らない。いくたびか私は、友人に語って申しました。「〔内村〕先生はグレート・エックス(Greate X)だ」と。
大いなるX、すなわり未知数です。謎です。私のような者に〔とって先生〕は、どうしても解くことのできない謎の人格でありました。
〔 5 〕
〔5-①〕
しかしながら今ようやく、その謎が解けたのであります。
矛盾そのものであるかのような先生の人格には、不思議なことに、また大きな調和が備わっていました。それは無限の調和、むしろ調和そのものでありました。
〔5-②〕
想い起こします。
今から10年前、あることが原因となりまして、私はしばらく〔の間、〕先生とお別れしました。およそ2年間、先生との間に交流が〔途〕絶えました。
ところがある時、お使いを介して先生から、私に会いたいとのお言葉がありました。
〔5-③〕
その夜、私は久しぶりに先生をお訪ねしました。あたかも敵地に臨(のぞ)むかのように、私の心は隙間なく武装しておりました。
私は今井館の階下8畳の部屋に案内されました。その上の2階は先生の書斎でした。やがて、階段に音がしました。私はますます固くなって、控(ひか)えていました。
〔5-④〕
しかし足音は、そのまま縁側から庭へと消えました。外は闇に包まれてシーンとしていました。5分くらい経(た)つと、ふたたび庭から音が聞こえてきました。障子〔戸〕が開きました。
〔そして、〕「おお藤井君、よく来てくれた!」〔とのお声。〕二つの眼は輝いていました。大きな手が伸びて、私の手を固く握りしめました。
〔さらに一言、〕「もう互いに赦しあって、過去のことは水に流そうじゃないか」。
〔5-⑤〕
そのとき私の心のわだかまりは、みんな融(と)けてしまいました。私は自分の武装を恥じて、これを全部かなぐり棄(す)てました。私の心の傷は跡形もなく癒やされました。
私にとって、実に記念すべき経験でありました。
〔 6 〕
〔6-①〕
このように〔内村〕先生に備わっていた力強い調和、それは何だった〔の〕でしょうか。
それこそ、他(ほか)ならなぬキリストの十字架でありました。先生は、しっかと十字架を握っておられました。いつでも、これを握って離されませんでした。
なぜですか。これなしでは、先生は生きることができなかったからであります。キリストの十字架による調和なしには、先生はご自身の人格の矛盾に堪(た)えられなかったのであります。
〔6-②〕
〔内村〕先生はよく言われました。
「私は、自分が潔(きよ)い者であるとか、正しい者であるとかいうようなことは一度も、言った憶(おぼ)えはない。
偉人だとか何だとか〔いうこと〕はみな、〔私をよく知らない〕人の言うことである。
〔実際の〕私はそんな者ではない。私は至(いた)って欠点の多い者である。私は自分の欠点を誰よりもよく知っているつもりである。
私は罪人(つみびと)である。
それゆえに私は、キリストの十字架に頼るのである。十字架の血によって罪を赦していただき、そうして初めて、私は生きることができるのである。
十字架に釘付けられたキリストを仰ぎ見ることよりほかに、私の生命(いのち)はないのである・・」と。
〔 7 〕
〔7-①〕
本当にそうでありました。
先生の先生たる所以(ゆえん)は、外に〔向かって〕力強く叫び、また戦われたことにあるのではなく、〔むしろ、〕密室に戸を閉じて一人、主キリストの聖名(みな)を呼ばれたこと、そのことにありました。
キリストの十字架は〔内村〕先生にとって、絶対的〔に〕必要〔な〕物でありました。何が無くても、これだけは〔決して〕無くてはならないものでした。
〔7-②〕
もし十字架がなかったなら、あるいは〔内村〕先生は狂死されたかも知れません。そんなことはない、と誰が断言できるでしょう〔か〕。
ただ、この一つのもの。それによって神が全人類、全宇宙と和解されたこの一つのもの〔、キリストの十字架〕において、先生は無限の平安を見出されたのでした。
これこそは、矛盾の〔人、内村〕先生にとって何物にも代えがたき《恩恵》でありました。
〔7-③〕
先年、私は誤って、キリストの贖(あがな)いを軽んずるような一論文を草し、『聖書之研究』(注- 内村の信仰雑誌)に掲載したことがありました(注3)。
〔このことによって、〕当時、〔内村〕先生はどれほど憤激されたか。
〔掲載後の〕ある夜、〔先生は〕私をテーブルのそばに座らせて、声を励まして私を責められました。そのとき、先生の着物に火鉢(ひばち)の火が〔燃え〕移って、次第に〔ブスブスと〕燃え上がりました。けれども先生は、それにさえ気づかれなかったのです。
私は怪訝(けげん)に思いました。どうして〔先生は〕これほどに激〔怒〕されるのだろうか、と。
〔7-④〕
今にして思えば〔実は〕、少しも不思議ではなかったのであります。私は〔内村〕先生の一番大事なものに触(さわ)ったのであります。
〔先生は〕何を許しても、これだけは許すことができなかったのであります。
私自身にとっても同じように、十字架が絶対的〔に〕必要〔な〕物となるに及んで、ようやくそのことが分かりました。実に申し訳ない次第でありました。
〔 8 〕
〔8-①〕
考えてみますと、私どもは最初から十字架の木の下に先生を発見したのでした。
先生はその信仰生活の角出(かどで)からして、しっかりとこの木を握っていました。そして爾来(じらい)50年間、一日もこれを離すことはしませんでした。
先生は十字架をかざして現れ、十字架によって戦い、十字架にすがって〔世を〕去りました。十字架を離れて内村先生なし、であります。
先生を十字架から引き離して考えるほど、無意味なことはありません。
〔8-②〕
〔それゆえ、〕先生に不満をもつきょうだいたちよ、どうかもう一度、十字架の下(もと)にある先生を見直してください。
先生に躓(つまず)く友よ〔、塚本よ!〕、先生自らイエス様の十字架のゆえに、その臨終の床で手を差し伸べて「〔僕も塚本を〕赦す、〔だから塚本も主イエスにあって僕の罪を〕赦してくれ」と言われたというではないか(注4)。
〔友よ。この言葉で十分ではないか!〕
この上、何〔のわだかまり〕が残る〔という〕のか。一切を忘れて、恩師の手を受けようではないか。
〔8-③〕
〔内村〕先生は今や、地上を去りました。そうして十字架の主〔イエス〕ご自身の許(もと)に往(ゆ)かれました。〔十字架の〕釘の痕(あと)のある聖手(みて)の下に〔在って〕、先生の満足は大でありましょう。
今よりのち永遠まで、先生は主と共に在るでしょう。天国に往(い)ってのちも、私どもはやはり、十字架の下に立つ先生を見出すでありましょう。
重ねて私は申し上げます。十字架を離れて内村先生なし、と。
〔 9 〕
〔9-①〕
このように〔内村〕先生は、〈十字架の人〉でありました。その生涯も事業もみな、十字架中心でありました。
先生の日々の歩みが十字架にすがっての歩みであったように、先生の説かれた福音もまた、〈十字架の音信〉より他(ほか)のものではありませんでした。
〔9-②〕
しかしながら先生は、単に十字架の音信を宣べ伝えた一人の〈伝道者〉に過ぎなかったのですか。
否(いな)、何と申しましても〔内村〕先生は、《預言者》でありました。
先生は〔、神の言葉を託され、〕神に代わって時代〔の人々〕に呼びかけました。先生によって時代は呼び覚(さ)まされました。したがってまた、時代は先生によって代表されました。
明治以来の日本の最も貴(とうと)いものが、一人の、わが内村鑑三先生によって代表されたのであります。私は確(かた)く、そう信じます。
先生を措(お)いて何処(いずこ)に、この〔ような〕大役(たいやく)を務めてくれた者がありますか。
〔 10 〕
〔10-①〕
ああ、〔内村〕先生は逝(ゆ)きました。預言者は去りました。何というさびしさでありましょう。〔まるで〕火が消えたようです。太陽が沈んだようです。
〔しかし、〕これは〔単なる一〕個人の死ではありません。〔実に、〕これは時代の終焉(しゅうえん)で〔ありま〕す。
〔10-②〕
〔内村〕先生〔の死〕と共に、大水が引くようにして、〔一つの〕時代が〔過ぎ〕去りました。そして〔今〕まさに、新しき時代が臨(のぞ)もうとしています。
先生の死は明白に、epoch-making(エポック・メイキング)な〔、時代を画(かく)する〕出来事であるに違いありません。
かつて明治天皇の死によって、日本の世俗史は〔大正時代へと〕一紀元を画しました。同じように今や、〔預言者〕内村鑑三の死によって、日本の霊的〔な〕歴史は一紀元を画したのであります。
〔 11 〕
〔11-①〕
新しき時代が〔今〕まさに臨もうとしています。〔それは、一体〕どのような時代ですか。
キリストの十字架を土台として、その上に立脚する時代であります。〔すなわち、〕すべてのものを十字架の上に築き上げる時代であります。新日本は、こうして築き上げられなければなりません。
〔11-②〕
生命(いのち)の泉であるキリストの十字架を除いて、新日本の拠(よ)って立つべき基礎は何処(いずこ)にありますか。
そして、日本のためにこの大きな礎石を据え付けてくれた者こそ、実に〔内村〕先生でありました。
70年の先生の生涯は、そのために用い尽くされました。十字架を日本人のものとするために、先生は〔幾多の〕労苦を重ねました。キリストの〔十字架の〕上に立つ新日本を産むために、先生は産みの苦しみを続けました。
〔11-③〕
そして今や、その時が満ちたのであります。十字架の信仰は、ようやく日本人のハートに根を下ろしたのであります。大いなる礎石は据え付けられたのであります。
新しき日本は、〔今〕まさに出現しようとしています。
〔内村〕先生は使命を果たしました。それゆえ、召されて天上の休みに入りました。やがて栄光の冠(かんむり)が先生〔の頭〕に被(かぶ)せられるでありましょう。
〔 12 〕
〔12-①〕
そうであるならば、今日のこの式は内村鑑三の告別式であるよりも、むしろ新日本の定礎式であります。希望と祝福に満たされた国民的大典(たいてん)であります。
光は洋々として、四方から私どもを囲んでいます。日本の礎石は据え付けられました。永遠の基礎は定められました。先生がこれを定めてくれました。
これは、われらから奪うことのできないものであります。
〔12-②〕
先生のこの尊き遺産を私どもは、堅く守りましょう。
この千歳(ちとせ)の岩の上に、私どもは丈夫(ますらお)のごとく立って、たとえどんな大浪が押し寄せましょうとも、一歩もこれに譲りますまい。
そしてこの永遠の礎石の上に、新しき日本を築き上げようではありませんか。
万世不易(ばんせいふえき)のキリストの十字架の上に、われらの愛する〔祖〕国を築き上げ、そのことによって私どももまた、光栄ある《宇宙の完成》のために参与させていただこうではありませんか。
アーメン、ハレルヤ! であります。
♢ ♢ ♢ ♢
(1930〔昭和5〕年3月30日、柏木聖書講堂に於ける内村鑑三の告別式において語った告別演説。出典:『藤井武全集 第10巻』岩波書店、1972年、111~118項を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足・敷衍)
注1 外国人研究者から見た「内村鑑三」
2005年、ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授 J.F.ハウズの大著 ” Japan's Modern Prophet: Uchimura Kanzo,1861-1930 "が上梓(じょうし)された(邦訳は、堤稔子訳『近代日本の預言者 - 内村鑑三、1861-1930年』教文館、2015年)。
邦訳に付された帯に、本書が次のように紹介されている。
「預言者としての自覚から、独自の思想を明晰(めいせき)な言葉で表現し続けた希有(けう)の天才、内村鑑三。
その孤高の生涯を、日本の伝統と西洋的価値観の狭間(はざま)で葛藤しつつ、統合を求めた精神的苦闘の軌跡(きせき)として描き出す。
門下生の証言と膨大(ぼうだい)な文献を元に、内村の心情にまで深く迫る比類なき論考」。
なお、「本書は学術書として高い評価を受け、「2005年にカナダで出版された日本に関する英語で書かれた最高の図書」として、カナダ・カウンシルから賞が贈られている」(『近代日本の預言者 - 内村鑑三、1861-1930年』の549-550項「訳者あとがき」より引用)。
注2 荒れ野に呼ばわる者の声
旧約聖書「イザヤ書」に、次のような預言者イザヤの言葉が記されている。
呼びかける声がする。
「荒れ野に主の道を備えよ。
私たちの神のために
荒れ地に大路をまっすぐに通せ」
(イザヤ書 40章3節)
注3 被造物の呻き・宇宙完成の希望
新約聖書「ローマの信徒への手紙」に、被造物(自然界)の呻きと宇宙完成の希望について述べたパウロの言葉がある。
「思うに、いまの時の苦難は、これからわたしたちの上に啓示されようとしている〔圧倒的な〕栄光に比べれば、ものの数ではない〔。この栄光こそ、わたしたちの確信する将来である〕。
〔すべての〕被造物は、いまか、いまかと首を長くして〔一日千秋の思いで、〕神の子たちが栄光の啓示に浴するのを待ちこがれている。
なぜなら被造物(自然界)が、無と帰して滅びゆく運命に服した〔、つまり、被造物が死滅の奴隷となった〕のは、自分からすすんで身を投じたのではなくて、〔咎(とが)ある人間と連座させて、共に呪いの下に〕服させたもう者(神)によることであるから、そこには望みがある。
すなわち被造物自身も〔人間の贖(あがな)いの成就(じょうじゅ)によって〕、〔人間の受けるべき死の呪いに連座させられて〕死滅の奴隷となっている今の状態から解放されて、神の子どもたちの栄光と自由にあずか〔り、神からの栄光が回復され〕ることになるのだから。
わたしたちは知っているではないか、被造物全体が〔死滅の宿命に終止符が打たれる日-新しき世-の到来のために、〕いまにいたるまで共に呻(うめ)き、共に産みの苦しみをしてくれていることを。
いな、被造物ばかりではない。〔神の〕御霊にあって(新しき世の)初穂(はつほ)をいただいているわたしたち自身も心の底から呻いて、子とされることを待ちこがれている。
それは、わたしたちのこの体が〔罪と死の手から完全に〕贖われる〔キリストの日、つまり宇宙完成の〕ときなのだ。わたしたちの救いと望みは、ひたすら〔これに〕賭(か)けること以外はない。
ところでその成就がちゃんと目に見えているような望みは、望み〔の名に値するもの〕ではない。目の前に見えるものを、どうしてわざわざ望みの対象とする必要があろうか。
だがわたしたちの目におよそ見えていないものを望みの対象とするのであれば、わたしたちは断固、忍耐をもってこれを待つ。
ところがわたしたちだけに任せじと、御霊(みたま)もわたしたちの弱さを共に負って助けたもう。わたしたちに正しい祈りのことばが出て来ないときに、聖霊みずからがサッとやって来て、言葉にならない呻きをもって執(と)り成ししてくださるのだ」。
(ローマの信徒への手紙 8章18~26節〔杉山 好(よしむ)訳〕。( )、〔 〕内、下線は引用者による補足・敷衍。参考文献:パウル・アルトハウス著・杉山 好訳『NTD新約聖書註解⑹ ローマ人への手紙』NTD新約聖書註解刊行会、1974年、222~228項)