イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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<信仰入門
無教会入門 005
2015年7月26日
内村鑑三
現代語による
〖教義と儀式 〗
教会の信条(ドグマ)としての教義は、受け入れない。しかし、信仰の実験(現実経験)の表明としての教義は、唱(とな)える。
私は、〔自分が〕無教会信徒であるからといって、教義を無視しない。〔私は〕外から課される教義(信条)は絶対的に拒否するが、内なる実験の表明としての教義は、唱道せざるを得ない。
教会の要求する〔サクラメントとしての〕儀式は、認めない。しかし、罪の世に対する信仰発表の機会としての儀式は、進んで実行する。
私は、無教会信徒であるからといって、絶対的に儀式を無視しない。私は教会の〔サクラメントとしての〕洗礼、聖餐(せいさん)式等に〔人の〕霊魂を救う能力(ちから)があるとは信じない。
しかし、私がキリストの弟子であることを世に向かって発表するためには、私は適切な形式を挙行する。
〔私は〕儀式としての儀式は軽んじ、これを拒否するが、(信仰の)確信発表の機会としての儀式は尊重し、これを励行(れいこう)する。
♢ ♢ ♢ ♢
(「教義と儀式」『聖書之研究』193号、1928〔大正5〕年8月を現代語化。〔 〕、( )内は補足)