イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
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最終更新日:2024年12月7日
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* * * *
1
〔1-①〕
〔1945年8月のアジア太平洋戦争敗戦以来、日本の〕社会は、大きな波動をもって動いています。
それに伴って、人々の思想も大きく波打って動いているようです。
私どもが学生だった頃、明治の末期から大正時代にかけて、文科系の学生が大学に入学する時には、その圧倒的大部分が法律学を志(こころざ)して、ことにドイツ法学の学生が一番多かったのです。
ところが昭和に入って、いわゆるファッショの時代になってからは、「政治の優越」ということが唱(とな)えられ、多くの学生が政治学科に入学したのです。
法律学科の学生数と政治学科の学生数が全く位置を転倒しました。
ところが敗戦後の今日は、世の中の情勢・日本の国情と照し合せて、経済学を志望する学生の数が多くなったのです。
私の勤めております東京大学の経済学部の入学試験がこの間ありましたが、昨年(1947年)までは、競争倍率は1.5倍でした。〔ところが〕今年は5倍というように、〔経済学部の〕入学志願者が激増したのです。京都大学の経済学部の話を聞きましても、全く同じ傾向が見られるそうです。
〔1-②〕
私は本年、入学試験の小論文の答案を調べました。
そこで、この受験生諸君がどういうことを考えているかを観察すると、なかなか面白いと言って済まされない重要な問題を含んでいるのです。
私は1,000人の小論文の答案を見ました。その問題は「日本の前途(ぜんと)」というものです。
終戦の翌年、すなわち昭和21年度(1946年度)の入試の小論文の答案に窺(うかが)われた学生の思想傾向には、二つの特色がありました。
一つは、戦争に敗れたのは当然のことであって、日本の犯した罪悪の報(むく)いであるという自覚と、この敗戦から我々は立ち上っていかなければならないという気迫と、この二つがきわめて素朴な、幼稚(ようち)な形でしたけれども、窺(うかが)われたのです。
〔1-③〕
今年の答案に現れた傾向で、一昨年に全然見られなかったものがあります。
それは虚無(きょむ)的な考えです。
すなわち思想が無いのです。「虚無主義」という一つの哲学を持っているわけではありません。〔真実の探究のために、既成の概念を〕「疑う」という〔気〕力さえ持っていないのです。
「『日本の前途』という問題を見て、自分は呆然(あぜん)としてしまった。
そんなことは〔今まで〕考えたことがない。今、考えようと思っても、考えることができない。日本ということを考えたことはないし、前途ということなどなおさら考えることはなかったし、今、考えることもできない。
前途なんか考えてもバカらしいことで、なるようにしかならない。前途がどうなるだろうと考えることや、どうしようと考えることは全く空虚(くうきょ)なことだ」。
こういう思想であります。
〔1-④〕
終戦直後に「虚脱(きょだつ)」ということが言われたけれども、その当時の虚脱は、いわば張り切った力が急に抜けてボンヤリしていたのであって、新しい力の充実を待つものでしたが、今日の虚無主義というものは、ただボンヤリでは済まされない退廃(たいはい)的な傾向を持っている。
虚無主義の人生観は、刹那(せつな)的・肉的な享楽(きょうらく)主義と通じるものがあるのです。
〔1-⑤〕
答案に現れた第二の著(いちじる)しい点は、共産主義の思想が非常に広がっていることです。
その中には二種類あって、一つは幼稚な唯物史観(ゆいぶつしかん)的な考えで、すべて社会の制度もしくは思想の下部構造は、経済関係である。だから、経済が一番重要である。
人は食べなければならないということから出発して、諸般(しょはん)の問題を考えてゆくべきであるという、きわめて素朴な理解ではありますが、唯物史観的な思想が非常に多い。
〔1-⑥〕
もう一つは、すでに確信を持った共産主義者です。
いずれ〔も〕共産党関係の書物なり話なりを聞いて、そのとおり憶(おぼ)えているのでしょうが、それにしてもちゃんと言い方を心得て〔いて〕、格好(かっこう)の整った、明確な共産党の態度と主張を持っている。
そういう答案が一昨年に比べて、目立って多くありました。
〔1-⑦〕
それから「科学主義」ということを論じている者が多くいました。
これはやはり社会科学の流行に刺激されたものであって、世間の雑誌や評論界にそういう主張が多いと思うのです。
今、日本の経済問題が非常に重要な問題であるが、それを科学的に研究するために経済学を志(こころざ)すのだ。そういう答案を書いた者が多かった。
〔1-⑧〕
それから、「主体性」ということを述べた者も多くいます。これも世間の議論を反映しているのでしょう。
どれほどそれを理解して述べているかは疑問ですが、とにかく主体性ということを人々が考えている。
主体性ということは、要するに人格的な個人の自覚、責任をもった個人の行動であると私は思いますけれども、〔残念ながら、〕腹のすわった個人の自覚、人間というものを突きつめて考えるという深味をもった思索を、受験生諸君の答案の中に見出すことはできなかった。
〔1-⑨〕
主体性に関連して、日本国民あるいは日本民族の自主独立の維持という一つの思想があります。
これは、今日の〔、連合国、実質的には米国〕占領政策下における日本人のものの考え方あるいは政策は、主体性を持っていない。すべて〔GHQ:連合国軍最高司令官総司令部に〕指図(さしず)されたままに動いてゆく。また、それに甘んじる傾向がある。それに対する批判です。
そして、この民族の主体性を論じる声は、共産主義者の陣営(じんえい)からあがっているのです。
共産主義の〔思想〕傾向の者たち〔自身〕が、はたして日本民族としての主体性を持っているか。
彼らは〔共産主義国〕ソ連の動き、ソ連の思想に依存しているのではないか。すなわち、やはり外部の影響を受けているのではないか。
そういうことは問題として残るけれども、とにかく日本民族は主体的に国を建設してゆかなければならないという思想は、今日、共産党的な〔思想傾向の〕人々によって支持されている。
これは、見逃すことのできない一つの事実です。
〔1-⑩〕
次に、「文化国家」とか「平和国家」とかいうことを書き並べた者もいました。
〔しかし、〕これ〔に〕は概して気迫がない、ただ言葉を並べただけにすぎない者が多くいました。
中には断(ことわ)り書きを添えて、文化国家とか平和国家とか言えば、空虚な観念主義と言われるかも知れないけれども、自分はそうは思わない、と主張した者もいる。
しかし、その主張を読んでも、結局、それ自身が空虚な観念主義にすぎない。
これは「文化国家」とか「平和国家」〔というもの〕の意味を深く自分のものとしていない。ただ言葉だけを並べたものであって、借り物である〔との〕感を抱かせられたのです。
〔1-⑪〕
キリスト教的なことを書いた者も少数いましたが、何と彼らの答案の確信を持っていないことか。ただ、言葉だけを並べている。
日本の前途を考える時、いかに歳は若くても、大学の受験生ともなる年頃であるならば、もっと腹から出た生きた信仰の声をもって、「日本の前途は、イエス・キリストを信じる信仰による」とハッキリ言えそうなものです。
内村鑑三先生が札幌農学校を卒業した時の年齢は、21歳でしょう。
学校を卒業した時、先生は同窓と共に日本の前途のために祈って、我々(われわれ)の身をキリストによって日本の国に献(ささ)げようじゃないか、と互いに誓われたということです。
〔1-⑫〕
これらの答案を見まして、私は日本の現実の情勢が私の身に強く押し迫ってくるのを感じたのです。
日本の状態は世界と連(つらな)っているから、世界全体の動きの中に日本も動いているのです。しかし、広く世界の情勢を論ぜずに日本の国のことだけを考えても、〔今は〕実に大きな激動期である。
我々は、歴史の激動の真唯中(まっただなか)にある。
そして、終戦後一年また一年と年を重ねるに従って、日本の困難は増すばかりである。日本の矛盾は増すばかりです。
この日本の前途に果して光明(こうみょう)があるか、光があるかということは、私どもの重大な関心事であります。
つづく
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(1948〔昭和23〕年3月28日、内村鑑三先生記念講演 於:東京・教育会館、『嘉信』第11巻、第4号、第5号、1948〔昭和23〕年4月、5月、( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による)