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<信仰入門

無教会入門 008

2022年12月16日改訂

原 著:内村鑑三

現代語化:サカマキ・タカオ

キリスト教とキリスト

-生命と自由への道-

原文付き

人を(まこと)の生命(いのち)と自由へ導くものは、〕

 

狭く、冷たい教条〕主義ではない。〔神の愛の深さ、広さ、温かさを宿す〕性格〔、精神〕である。

 

死せる化石としての〕教理(ドグマ)ではない。〔神の〕生命(いのち)である。

 

キリスト教〔という宗教〕ではない。キリスト〔ご自身〕である

 

主義はいかに高くとも、教理はいかに深くとも、儀文(ぎぶん)であって〔、人の霊魂を〕束縛〔するもの〕である(注1)。

 

われらは直接(ただち)生けるキリスト〔のもと〕に到(いた)り、彼の生命〔の霊〕を受けて、真の自由に入るべきである。

 

♢ ♢ ♢ ♢

(原著:内村鑑三「基督教とキリスト」『聖書之研究』80号、1906年10月、〔 〕、( )内は補足)

注1 文字は殺し、キリストの霊は生かす

神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕(つか)える者とされたのである。

それは、〔律法の〕文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。

固定化した〕文字は〔律法として人〔に働いて、これ〕を殺し、〔キリスト・イエスにある生命の〕霊は人を生かす〔からである〕」。(コリントⅡ 3:6 口語訳、〔 〕内は補足)

原 文

基督教とキリスト

主義に非(あら)ず、性格なり、

 

教理に非ず、生命なり、

 

キリスト教に非ず、キリストなり、

 

主義は如何(いか)に高きも教理は如何に深きも儀文にして、束縛なり、

 

我等(われら)は直(ただち)に活けるキリストに到り、其(その)生命を受けて、真の自由に入るべきなり。

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