イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2025年1月14日
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<各地の集会だより
集会だより 005
那覇聖書研究会
2017年3月5日
いしはら
『ゆいの風だより』第14号
〖沖縄から平和を祈る〗
光からあらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。―実を結ばない暗闇(くらやみ)の業(わざ)に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。(エフェソ5:9、11)
★〔2014年に〕名護市辺野古(へのこ)、米軍海兵隊基地キャンプシュワブ ゲート前での辺野古新基地建設反対阻止行動を始めてから、7月7日で2年が経ち、2周年記念集会がテントの前で持たれました。
みんなの心がひとつに結ばれて、歌い踊りスピーチし、この2年間の厳しい戦いを想い、感謝と共に、新しい戦いへの決意を強くしました。
2年前、山城博治さんと共にゲート前に立ったのは20人位でした。
ブルーシートを日よけにした仮のテントで、全くの無から始まった行動でした。あったものはただ一人ひとりの内に燃える新基地阻止への情熱だけでした。(それから後のことは、『ゆいの風』12、13号に記してあります。)
2周年を迎えて、心からの感謝の思いを山城博治さんにお伝えしました。
「博治さん、本当にゝお疲れ様でした。そして本当にゝありがとうございました。
博治さんが居(い)て下さったから、みんなここまでやって来ることが出来ました。
いつも全体に心を配り、各地域からの人達、また個人など、各々の個性を引き出し、歌、スピーチなどゝ豊かに表現させて、楽しさの中に人と人との絆(きずな)を堅くして下さいました。
沖縄の人と本土からの人達との連帯の関係をより強くし、育てて下さって一体感を力強く前進させて下さいました。
厳しい現場の戦いの中で全体の流れを適格に判断されてケガや事故のないようにリーダーとして身を粉にして、先頭に立って熱いゝ思いを奮い立たせて、どんな弾圧にも屈しない心をひとつにして下さいました。
まさに大衆運動のリーダーとしての資質を100パーセント開花させて、この戦いの日のために山城博治さんを神様が備えて下さったと思いました。
悪性リンパ腫の病(やまい)に倒れた時、博治さんの姿がいつも目の前に見えていたから、みんなで力を合わせ頑張ることが出来ました。半年後、病を克服し、現場に復帰された博治さんを見て、神様は沖縄の民を憐れみ、民の声を聞き助けられたのだと思いました。
博治さん、病に打ち勝って下さって、本当にありがとうございました。どうかゝ再び病に倒れないように大切になさって下さい。」と。
今は高江の現場で全力投球の博治さんを思うと健康の事が心配でなりません。ただ祈るのみです。
★目を閉じると見えてくるひとつの光景があります。
それは1年前の春2月~3月のこと、島根県のキリスト教愛真(あいしん)高校(私共と深いつながりのある学校)の卒業生4人がテントに滞在して、抗議行動に参加してくれた時のことです。
フェンスに囲まれたゲートの前で、4人は愛真のコーラスを歌ってくれました。それは澄みきった美しい歌声でした。その歌声は今も、私の心に聞こえてきています。
そしてこの出来事は、私の内にひとつの希望を語りかけてくれています。
あの時の彼らこそは〔学生団体〕シールズ(SEALDs)のメンバーとなって立ち上がり、若者達の中に新しい風を巻き起こし、新しい言葉と行動を生み出した若者達でした。あの子たちは辺野古キャンプシュワブのテントで沖縄の人々の魂(たましい)に触れ、揺り動かされたに違いありません。
リーダーの山城博治さんの愛と正義、ほとばしる情熱、大衆運動のエネルギーを全身に感じたことでしょう。シールズの原点は沖縄に、辺野古にあったのだと私は思っています。
★私達は普天間(ふてんま)基地にオスプレイが飛来した時から3年以上も野嵩ゲートのフェンスの前に並んで、ゴスペルを歌い続けています。
歌うことは無力なのですか、愛真高校のあの子達の澄んだ歌声は無力ですか、違います。高潔な人格のもつ最高の表現としての神を賛美する歌声こそは、暗闇に住むサタンが最も恐れ嫌うものなのです。
歌うことは非暴力で戦う私達に与えられている最高の平和の武器であり真の抑止力だと信じます。世界中の人々が武器を持たず平和の歌を共に歌う日が来ますようにと切に祈ります。
★日本という国の国家権力は、沖縄住民の民意を全く無視して、機動隊という警察力を組織して、非暴力で抗議する私達を弾圧して新基地建設を強行しています。日米安保条約の下に、沖縄に基地を置くことを正当化しています。
敗戦後、銃剣とブルドーザーで住民の生活地域を奪って造った米軍基地が、71年経た現在も存在し続け、さらに普天間の移設という事にして、機能拡大強化の新たな基地を辺野古の海を埋め立ててまで、同じ沖縄に造るということはおかしいとは思いませんか、これはどう見ても沖縄差別としか言いようがありません。
穏やかで大らかな沖縄の民は、基地ある故のレイプや婦女暴行殺害事件(この〔2016年〕4月発生)など、事件・事故、環境汚染被害、教育環境の悪化(飲酒・麻薬など)などに耐えてきましたが、もう黙ってはおれません。
私達は、本土から連帯して下さる方達と共に非暴力の民衆の力を結集して抵抗しています。どこの国の支配者も最も恐れるものは、学者や反政治勢力などではなく、結集した民衆の力なのです。
私達はいかにも無力に見えますが、実は殺されても決して殺すことの出来ない魂を持った真の人間としてそこに生きているからです。
参議院選挙で私達は10万6千票もの大差で伊波洋一さんを当選させて民意を示してきましたのに、何とその翌朝、高江には500人とも言われる機動隊が本土からも投入されて、ヘリパット建設強行が始まりました。
その権力はすさまじく非暴力の民に襲いかかりケガ人続出、もう少しで殺されそうになる仲間も救急車で病院へ。ただヤンバルの森を守りたい、静かな生活をしたいだけの私達のどこが悪いというのですか。
★イエス・キリストは「平和をつくり出す人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」と言われました。
神の子とは、神の意志を行う人のことではないでしょうか。
弱い立場の人がいじめられ、踏みつけられていたら黙って見ていますか。もし傍観者でいるなら、加害者と同じ所に立っていることになります。
平和は小さく無力な者を守る正義と「あなたの隣人を愛しなさい」「殺してはならない」という神様の言葉を生きることの中からつくり出すものなのです。
ある牧師さんはキリスト教会が、福音派だとか社会派だとか言っていること自体がキリスト教の堕落(だらく)だと言われます。そして私達はみなイエス・キリスト派ではないのかと問われました。
また、ある神父さんは、「社会問題に積極的に取り組んでいること自体が、あなたは本当に信者なのか祈りはどうしたのか、と言われたり見られたりする」と言われます。
やっぱりそういうキリスト教世界は、どこか変で、間違っていると私は思います。
私たちは御国(みくに)が来ますように、御心(みこころ)が天に行われるとおり地にも行われますように、と祈るではありませんか。神の正義と神の平和が実現することを願うこの祈りの中にこそ、闇の勢力と戦う祈りの力があると信じます。
恐るべき闇がこの日本を世界を覆(おお)っています。
拝金主義、偶像(ぐうぞう)礼拝、利己主義、軍需産業(死の商人)具体的なひとつひとつの事柄が闇の勢力として私達をとり囲み、マインドコントロールによって私達を取り込み思考停止に。
安倍政権の支持率が50%もあるとは信じ難いことです。
私たちは、平和をつくる一人として、この闇のまっ只(ただ)中に身を置き、人と人との溝の中に身を置きつつ、そこでイエスさまと出会い、イエスさまと共に生きることだと思います。
本田哲郎神父はロマ書13章8節のパウロの言葉を次のように語っています。
「あなたたちは互いに大切にし合うこと以外にだれに対しても何の借りもあってはなりません。人を大切にしているなら、その人は律法をすべて守ったことになるのです。大切にする、それだけで十分なんですよ」と。
★今も普天間では軍用機やオスプレイが低空飛行で住宅の屋根スレスレに飛んでいます。どこの国でこんなことが許されていますか。
嘉手納(かでな)基地での戦闘機発着の爆音のすさまじさは、その場に居なければ決して分らないものです。
辺野古の山からは実弾訓練の音、廃弾処理の爆音、美しかった山肌は荒れ果て、人殺しの訓練によって傷つき泣いています。海も空も軍事支配に囲まれています。
私達はいよいよ、嘉手納基地ゲート前にも結集して抗議行動を始めました。「全基地撤去」の声をここにきてようやく上げることが出来るようになりました。
★苛酷(かこく)な福島の〔原発事故の〕現実と沖縄をいつも重ね合せて感じ考えています。
出てきた石棺(せきかん)という言葉は、これしかないという最終的な現実を表しているのかも知れません。チェルノブイリ〔原発事故現場〕を見たら分ります。
子供達の病気も放射能と関係ないという学者や医師達、日本という国は、民の命を守る気などないのです。
原発の再稼働と、軍需産業、死の商人としての道を進むこの国は滅びに向って突き進んでいます。もう間に合わない瀬戸際(せとぎわ)に来ているのに、どうして安倍政権なのですか。軍需産業は戦争への道です。
どうか沖縄からの声を聞いて、目を覚まして下さい。
沖縄の人達は、はっきりと民意を示して戦っているのです。一体どこに〔日本の〕希望はあるのですか。もう成長は要(い)りません。リニア新幹線も不要です。原発も基地も、オリンピックも要りません。
足(た)ることを学び、互いに支え合い助け合って生きましょう。
すべての人が人として認められ、病の人も、障害を負った人もみんな一人ひとりが尊ばれ、共に生きる社会を作りましょう。
農業をこそ第一に大切に育て、国土を守り、里山(さとやま)を守り国民の食糧は自給しましょう。
土に帰り人間らしい心をとりもどしましょう。
今、悔改めて根本から方向転換するなら、間に合うかもしれません。現実は絶望的に見えますが、今こそ危機感を共有し共に考え祈りましょう。そして今、何が出来るのか一人ひとりが考え行動しましょう。
主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
山々が生れる前から大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。
あなたは人を塵(ちり)に返し
「人の子よ、帰れ」と仰(おお)せになります。
千年といえども御目(おんめ)には
昨日(きのう)が今日へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません。
あなたはわたしたちの罪を御前(みまえ)に
隠れた罪を御顔(みかお)の光の中に置かれます。
(詩篇90篇から)
(『ゆいの風』第14号、2016年8月収載)