イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年12月7日
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<人物・評伝
人物紹介 006
2021年6月4日改訂
サカマキ・タカオ
〖E.ブルンナー〗
Emil Brunner 1889~1966
関連リンク
§ § § §
エーミル・ブルンナー(Emil Brunner)は、現代スイスの生んだ20世紀の世界的なプロテスタント神学者(改革派)。
1889.12.23. チューリヒ、ヴィンタートゥールにて出生、1966.4.6. チューリヒにて死去。
ブルンナーは、カール・バルトらと共に、第一次世界大戦・第二次世界大戦後のヨーロッパの混迷の時代に《弁証法神学》運動を推進し、指導的な役割を果たした(注1)。
ブルンナーの神学は、《出会いの神学》、《宣教の神学》と呼ばれる。
彼は、デンマークの思想家S.キルケゴール(1813~55年)と、そのキリスト教哲学を高く評価し(注2)、また自らの主著『教義学』をクリストフ・ブルームハルトに捧げている。
チューリッヒ近郊の街、ヴィンタートゥールで生まれる。
チューリッヒおよびベルリン大学で神学を学び、23歳の時、チューリッヒ大学組織神学・実践神学教授であったラガーツの指導の下に、『宗教的認識における象徴的なもの』Das Symbolische in der religiösen Erkenntnisを完成し、神学の学位を獲得。
1919年、ニューヨークのユニオン神学校で学ぶ。
1924年、『神秘と言葉』 Die Mistik und das Wort を出版し、F.シュライエルマッハーを「神秘主義」と批判した(注3)。
1934年、バルトとの激しい自然神学論争を引き起こした『自然と恩寵-カール・バルトとの対話のために』Natur und Gnade を出版した。
1943年、社会倫理の書『正義 社会秩序の基本原理』Gerechtigkeit: Eine Lehre von den Grundgesetzen der Gesellschaftsordnungを出版した(注4)。
ブルンナーは、物の知(我われ-それ)と人の知(我-汝なんじ)の間の根本的差が聖書での啓示概念の鍵をなすとした。また、彼は聖書の真理理解を「我と汝の出会い」として捉えた(《出会いとしての真理》 Wahrheit als Begegnung)。
1916年から24年まで、スイス・グラールス州オプスタルデンの教会の牧師となる。
8年間の牧会生活の後、1924年から1953年までチューリヒ大学神学部で組織神学、実践神学の教授を務める。また、1942年から1944年にかけて同大学総長も務める。
1938年、プリンストン大学客員教授。
キリスト教の布教の不徹底が日本におけるファシズムの勃興(ぼっこう)の一因だったと考え、新設されて間もない国際基督(キリスト)教大学(ICU、東京・三鷹)の招聘(しょうへい)に応えチューリヒ大学教授職をなげうって、マルグリット夫人およびイリス・ブルン嬢(前年鉄道事故死した末子トーマスの元婚約者)とともに、1953年10月1日、敗戦後の荒廃(こうはい)した日本に赴任(ふにん)した。
ブルンナーはICUの招聘を単なる人の招きではなく、《神の招き》として受けとめ、また《宣教の神学者》、《出会いの神学者》として、自らその真理を実践した。
伝道者・教育者・神学者、そして何よりも友としてのブルンナーは、1953年10月から2年にわたり、心血を注いで学生たちに語りかけ、戦後日本の精神的再生に尽くした。
「日本にいる間は、自分の健康も時間もすべてを日本のために捧げたい」と口癖のように言っていたブルンナーは、文字通り、日本中を東奔(とうほん)西走した。
またブルンナーは日本の《無教会》に深い関心を示して無教会の人々と交流し、無教会を世界に紹介するとともに、教会と無教会の橋渡しをした。
献身的な異国での生活は夫人の神経を弱らせ、そのことにより予定を1年早めて、1955年夏、帰国した。
しかし帰国の途中、ブルンナーは脳卒中による瀕死(ひんし)の病(やまい)を得て、セイロン(現、スリランカ)で下船静養した。
帰国後、たびたび脳卒中に倒れながらも困難にめげず、テープレコーダーを用いての口述筆記により、1960年(70歳)、ライフワークであった『教義学』第3巻を完成し出版した。
1966年4月6日、76歳で死去。
葬儀は、彼が説教者として奉仕していたフラウミュンスター教会で行われた。
墓石には、《主の霊のあるところには、自由がある》(コリントⅡ3:17)というパウロの言葉が刻まれている。
著作:
・『弁証法神学序説』Erlebnis und Erkenntis und glaube(1923)、
・『人間』 Der Mensch im Widersprach (1937)、
・『出会いとしての真理』Wahrheit das Begegnung(1963),
・『信仰・希望・愛』Faith,Hope,Love(1957)、
・『我は生ける神を信ず 使徒信条講解説教』Ich Glaube an den Lebendigen Gott(1945)、
・『教義学』 Dogmatik (全3巻,1946~60) 、
・『正義 社会秩序の基本原理』Gerechtigkeit: Eine Lehre von den Grundgesetzen der Gesellschaftsordnung(1943)
・『キリスト教と文明』Christianity and Civilisation,First Part(1948)、
・『キリスト教と文明の諸問題』Christianity and Civilisation,Second Part(1949)、
・『教会の誤解』Das Missverständnis der Kirche(1951)、
・『永遠-キリスト教的希望の研究』 Das Ewige als Zukunft und Gegenwart (1953) 、
以上邦訳あり、
・その他、『媒介者』 Der Mittler (1927) 、『自然と恩寵』 Natur und Gnade (1934) などがある。
♢ ♢ ♢ ♢
(参考文献:笠井恵二『20世紀神学の形成者たち』新教出版社、1993年、ブルンナー『信仰・希望・愛』新教出版社、1957年、ブルンナー『出会いとしての真理』教文館、2006年、ブルンナー『ブルンナー著作集 第4巻 教義学Ⅲ』教文館、1998年、ブルンナー『永遠』新教出版社、1957年)
注1 ブルンナーの神学の神学史的重要性
「ブルンナーの神学の神学史的重要性は、バルトとブルトマンの間に張りつめられた反立(アンチテーゼ)を、〔弁証法的に〕第三の道に向かって綜合(ジュンテーゼ)にもたらす力である。
彼の神学は、バルト〔の客観主義〕とブルトマン〔の主観主義〕の中間の道であるばかりでなく、早くも堅実な歴史形成的意味を失いつつある現代の神学を、将来的意義へと総括してゆく道である。」(大木英夫著『ブルンナー』日本基督教団出版部、1962年、13項、〔 〕内は補足)
注2 S.キルケゴールのキリスト教哲学
注3 ブルンナーのシュライエルマッハー批判
「ブルンナーは〔『神秘主義と言葉』において〕、〔近代自由主義神学の代表者〕シュライエルマッハーが心理的・経験主義的に宗教(キリスト教)を理解しようとしたのに対して、これは「神秘主義」であり、そこには異教的な要素が混ざっているとして批判している。」
(笠井恵二『20世紀神学の形成者たち』新教出版社、1993年、144項より引用。( )、〔 〕内は補足)
注4 寺脇丕信訳 エーミル・ブルンナー『正義-社会秩序の基本原理』聖学院大学出版会、(1999年)
「〔ブルンナーの『正義』は、〕中核に『人格神としての生ける神』への信仰を保持し、争論学的な姿勢を内に秘めながら、社会倫理的なひろがりにおいて福音を説き、かつキリスト教的社会実践を引き起こそうと努力した一人の神学者が、第二次世界大戦後の荒廃と破壊から世界を再建しなければならないという苦悩と責務を正面から受けとめた、『社会秩序の原理』を世に問う『正義』であった。
この書が1943年に世上に現れた時に、哲学・神学・社会科学の領域のみならず、現実の政治の領域にも大きな影響を与え、第二次大戦後の廃墟の中に立って人類の未来に対して失望していた人々に、歩むべき方向を指し示し、希望を与えた書として高く評価され、受け入れられた・・・
特に〔旧〕西ドイツは、ブルンナーの全著作の評価とともに、とりわけ『ドイツ連邦共和国基本法』の作成にも影響を与えた・・・『正義』を著した業績に対して、〔ドイツ〕連邦共和国最高の栄誉としての『功労大十字勲章』を、1960年に彼に贈(おく)ったのである。」
(『正義』、406項「訳者あとがき」より引用)
「ブルンナーの『正義』は、キリスト教的自然法思想に基づき、市民社会における共同体論を含む社会秩序の倫理、および第二次世界大戦後の国際法と国際秩序のあるべき姿を論じている。」(同上書407項)
「ブルンナーは人々を個人主義の要請から守るとともに、また全体主義や集団主義の要請からも守るのが、キリスト教的自然法思想に基づく正義であると力強く主張している。」(同上書419項)
「人々は、〔それぞれ異なる個性を保持しつつ、〕異質性をもって相互に依存し合い助けあう義務と権利を持ち、共同体に対して責任を負うている。
それがなされるところに真の人格共同体が形成されるというのがブルンナーの共同体論である。」(同上書420項)
「本書は正義と愛の相関関係を的確に余すところなく記述していて、私たちに深い示唆を与えている。」(同上書421項、( )、〔 〕内は補足)
注5 ブルンナー特愛の讃美歌(「私の好きな讃美歌」『礼拝と音楽』1955年8月号)
*詩歌バッハ コラールBWV227〖Jesu,meine Fruede イエスよ、わが喜び〗へ
*ドイツ語讃美歌「Ein feste Burg ist unser Gott - Martin Luther」(クリックしてYouTubeへ)
「神はわがやぐら」M.ルター、1529年
「この讃美歌を歌えば、あなた方は信仰の力に満たされ、どんな恐怖も消え去ります。しかし、これは、キリスト教会音楽の王座に位置する、たぐいまれな宝物ですから、あまり頻繁に歌ってはなりません」(ブルンナー)
*讃美歌267番「神はわがやぐら」クリックしてYouTubeへ
1.
神はわが櫓(やぐら)、 わが強き盾(たて)、
苦しめる時の 近き助けぞ。
おのが力 おのが知恵を 頼みとせる
陰府(よみ)の長(おさ)も など恐るべき。
2.
いかに強くとも いかでか頼まん、
やがては朽つべき 人の力を。
われと共に 戦いたもう イエス君こそ
万軍(ばんぐん)の主なる 天(あま)つ大(おお)神。
3.
悪魔世に満ちて よし脅(おど)すとも、
神の真理(まこと)こそ わが内にあれ。
陰府の長よ 吼(ほ)え猛(たけ)りて 迫り来(く)とも 、
主の裁きは 汝(な)が上にあり。
4.
暗きの力の よし防ぐとも、
主のみことばこそ 進みに進め。
わが命も わが宝も 取らば取りね、
神の国は なお我(われ)にあり。
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