― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年11月11日
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<預言の声
近代の預言 005
2020年1月26日改訂
矢内原忠雄
現代語による
〖帝大聖書研究会終講の辞〗
-イザヤの預言と日本の審判、復興の希望-
1938〔昭和13〕年2月17日、東京帝大山上集会所にて
1
今日は、イザヤ書第34、35章のお話をしようと思う。
この部分はイザヤの言葉ではなく、〔イザヤの時代から〕その後2世紀を経てバビロン捕囚(紀元前587~538年、注1)の国民的悲運を経験した時代に、ある無名の預言者の宣(の)べた言葉であって、その後さらに2世紀経(た)ってイザヤ書が今日の形に編集された時、その編集者がイザヤ書の預言の最終曲としてここ〔34、35章〕に収載したものである。
イザヤ書の中には、イザヤの言葉はもちろんであるが、彼よりも後代の無名の預言者の言葉も含まれており、また編集者の信仰も込められている。
ユダヤ国民の歴史はいろいろな事件を経過し〔激しい浮沈を経験し〕たが、その長年の間、国民中の少数の神を信ずる者が〔世〕代から〔世〕代へと神の言葉を受け継いで守ったのであり、編集者の場合にあっては、編集〔作業自体〕がすなわち預言の一形式にほかならなかったのである(注2)。
2
〔2-①〕
このイザヤ書の最終曲は、諸国民の審判(34章1~4節)、エドムの審判(34章5~17節)、ならびにイスラエルの復興(35章)の3部より成る。
諸々(もろもろ)の国よ、近づいて聞け、
諸々の民よ、耳を傾けよ。
聞け、地とその中に満つるもの、
世界とすべてその上に生(は)ゆるものよ。
(イザヤ書 34:1 関根正雄訳)
〔これは、〕世界の諸国民全体に対する審判の預言である。
神が地球を創造し、その上に人類を住まわせてくださったのは、彼らが互に殺し合うためではない。全地を美しい世界とするためである。
しかし、一つとして神の御心(みこころ)を知る国民はなく、互いに争って神の道を離れた。彼らは心に神を留(と)めることを望まないので、神も彼らを〔その〕為(な)すがままに放任して、殺戮(さつりく)に渡されたのである(34章2節)。
神にこうして見棄てられることは、最大の悲惨であり、最大の刑罰である(ローマ書 1:24参照)。
人類の歴史は〔いわゆる「キリスト教国」を含め、〕戦争の歴史と言ってよいほどであるが、なにゆえこのように戦争が一般的であるかといえば、それは彼らが〔まことの〕神を心に留めないからである。
彼らは〔、神の平和(シャーローム)を告げる〕預言者〔の声〕に聴かず、かえって預言者を殺し、そして〔自ら〕破局に向って突進して行く。
人類は行く所まで行かなければ、神の審判を学ぶことができないのであろうか。
神の審判は、世界全国民の上にある。その審判の内容は、神に敵対する者には刑罰〔であり〕、神を信ずる者には恩恵である。
このうち、神に敵対する者に対する刑罰の方面を強調したのが、第34章5節以下であって、イスラエルの宿敵エドムがその代表者として挙げられている。
エドム〔、日本!〕は〔自ら神の審判を招き、〕荒れ果てて、ペリカンとハリネズミと野犬と狼(オオカミ)と妖怪(ようかい)の棲処(すみか)になる。
人間らしい人間はいなくなってしまって、社会は荒れすさみ、平和と秩序は失(う)せ、流血の大惨事が起こるであろう。
〔2-②〕
これに対して、神を信ずるイスラエルの輝かしい復興が、第35章に預言されている。
神の審判は厳しいけれども、その終極〔の〕目的は救済にあり、復興にある。神に敵対する者を罰することも、実は信ずる者を救うための準備である。
人類の歴史における悲惨事の反覆を見て、〔われわれは〕神の審判の最終目的が救いにあることを忘れてはならない。
このイザヤ書第35章は
荒野とうるおいなき地とは楽しみ、
沙漠は喜び、花咲き乱れ、
百合のように、さかんに花咲き、
歓呼して、喜び歌う。
(イザヤ 35:1)
という〔言葉〕をもって始まる、実に美しい詩である。素晴しき復興である。
バビロン捕囚という悲運の中から、このような希望の声を挙げた人、また、この詩を最終曲としてイザヤ書を編集した人は、実に大きな信仰をもった人〔である〕と思う。
〔2-③〕
預言者イザヤの時代には〔南〕ユダ〔王国〕の国威はまだ盛んであったが、その国民的驕慢(きょうまん)の中に、イザヤは〔ユダ〕滅亡の姿を見た。
その後200年を経て、〔イザヤの〕預言の通りに〔ユダが〕亡国の悲運に陥(おちい)り、国民上下が萎縮してしまった時、別の預言者が起こって、「荒野に水が湧き出る」〔35:6〕と預言した。
今〔のユダ〕は荒野のようだ。しかし神の恩恵により、荒野にも水が湧き上(あが)る。ヤハヴェの神を信ずるならば、亡国も〔必ずや〕復興する、ということを宣べたのである。
後(のち)にバビロン捕囚から国民が〔祖国に〕帰還して、〔念願の第二〕神殿が再建され、次第に国土の荒廃も回復したが、何となく国民の気力がない。
彼らは罪を深刻に悲しまず、〔それゆえ〕救いの力に満ち溢れて喜ばない。
そういう時代にイザヤ書の編集者が出て、これ(イザヤの預言のことば)を国民に送り、〔悔い改めて〕神の審判〔のできごと〕を〔深く〕学ぶべきことを教えたのである。
〔2-④〕
預言者は、国民が有頂天(うちょうてん)になって空虚な楽観に耽(ふけ)っている時、〔ひとり、〕滅亡の姿を見て〔取り、〕悲しみ、国民が意気沮喪(そそう)して悲哀に陥った時、〔預言者は、〕復興の萌(きざ)しを見出して〔、民に〕希望を預言する。
中国の格言に「人の憂(うれ)いに先んじて憂い、人の楽しみに後れて楽しむ」という言葉があるが、われわれ〔にとって〕は、後先(あとさき)の問題ではない。深さの問題である。
人は〔物事の〕表面を見、神は〔奥〕底を見られる。預言者は神の言葉によって、表面的な人の心を審判(さば)く。
われわれは、喜怒〔を〕色(表情)に現わさない底(てい)の〔取り澄ました〕聖人君子ではない。
しかし、〔本当に〕悲しむならば神の悲しみを悲しみ、〔本当に〕怒るならば神の怒りを怒るべきである。〔同じく、〕喜びは神の歓喜を、希望は神の希望を有(も)つべきである。
〔われわれは、〕人間的な、表面的〔かつ浅薄〕な喜怒哀楽の情に溺(おぼ)れるべきではない。
〔われわれは、〕神と共にあることによって初めて、人(々)が驕慢な時に〔真に〕悲しみ、人(々)が意気沮喪(そそう)する時に〔真の〕希望を伝えることができるのである。
〔2-⑤〕
〔イザヤ書〕第36章~39章は大体、列王紀下ならびに歴代志下の記事をイザヤ預言の附録として掲(かか)げたものであるから、この部分は省略することとして、イザヤ書講義は以上をもって終り、同時に、帝大聖書研究会は今日をもって解散する。
イザヤ書の講義も今日でおしまい、同時に、この会もおしまいである。
3
〔3-①〕
帝大聖書研究会はたぶん、私が〔欧州〕留学から帰った〔翌々〕年、すなわち1925(大正14)年の秋頃から始めたのだと思う。
当時、東京帝大法学部、経済学部の教授・助教授で内村鑑三先生の門に学んでいた者が私と、もう5人おり、それに学生や若い卒業生もいたから、これらの者で会を始めようとしたのであるが、種々の都合で教授側では結局、発起者である私一人となった。
会は毎月1回、帝大内の山上集会所で開いたが、非公開の内輪(うちわ)の会とし、かつ会員各自の自由談論によることとして、私が指導者的地位に立つことは避けていた。
会のやり方は祈祷(きとう)感話会の時もあったし、各学部に属する会員が専門的問題を信仰の立場に照して話したこともあるが、一番長く続いたのは、当番を定めて聖書の研究を報告する方法であった。
〔3-②〕
こうしてこの会は継続して来たのであるが、いつしか気力を失い、堕勢(だせい)によって続ける状態となったので、一昨年(1936年)3月にこれを一応解散し、4月から新規の出発をした。
今度は、従来の内輪の会合であることを止め、学内に掲示して公開し、かつ会員相互の研究会であったのを改めて、私が講義をすることにした。私の気持が〔真理の敵に対して〕戦闘的になり、〔それにつれて〕会全体も活気を帯びて来た。
始めの数回は『科学と宗教』等、学問的な問題について講演したが、11月以後〔は〕ローマ書の講義をし、本学年はイザヤ書の講義をして来たのである。
〔3-③〕
やっている内に、ご承知のように時局はどんどん変って行き、私は大学を辞(や)めることになった(注3)。
しかし私はまだ本当に辞めたような気持になれず、かつイザヤ書の講義は途中であるから、私がここで聖書の講義を続けて行くことは、当然過ぎる程、当然の気持がしていたのである。
しかし、今になって〔よく〕考えて見ると、帝大内で集会をするには、教授である人の紹介が必要〔な決まり〕である。従来は私がこの会に対する全責任をもってやって来たのであるが、私の辞職後は、この会合を催(もよお)すについても、他の教授の方に紹介の印を貰(もら)わなければならない。
万一、この会の事で問題が起きるならば、その人に対して迷惑をかけることになる。
まさか、この会について問題が起きるとは思わないが、私の想像もしないいろんな出来事が次々に起って来る時勢であるから、また何が起こるかもしれない。
今までのように私が責任をもってやる事が出来なくなったのであるから、この会はこれで止(や)めるのが穏当であろう。
帝大内にこのような会が必要であると思われる〔者がある〕ならば、それは現に帝大に籍のある人がやるべき事であって、私のやる事でない。
私は、私の責任をもって聖書を講義できる場所を他に求めるべきである。
4
〔4-①〕
帝国大学は、単に私の所属していた勤先であるだけでなく、日本における最高の〔学問〕教養の場所である。
ここに学ぶ学生は、日本人の普通以上のレベルをもった精選された者であって、〔将来の〕日本の頭脳であり脊柱(せきちゅう)であるべき者である。
したがって、これ(学生)に高き学問を教育し、深き人格を涵養(かんよう)することは、日本国を高め、潔(きよ)める所以(ゆえん)である。
もし、これらが低級のものならば、それは単に帝国大学の恥辱〔である〕だけでなく、日本の国が駄目になる〔ことを意味する〕。
そして私としては、聖書に述べられている真理によって大学の学問を高め、人格を潔めてゆくことが、日本国のために最も大切なことと信じて来た。
われわれの帝大聖書研究会は人数も少く、ことに長い間内輪の会であって、極めて微々たる存在ではあったが、この山上集会所に毎月1回集って、祈りかつ語ってわれわれの心を注ぎ出すことは、大学を善くし、日本の国を善くする途(みち)であると信じて来たのである。
〔4-②〕
〔しかし、〕今日(こんにち)になって見ると、私の長年祈って来たこと、努力を傾けて来たことは何にもならなかった、そればかりか、かえって反対の結果になったように見える。
もし私が、帝大聖書研究会のようなことに心を使わないで、自分の学問上の〔社会科学研究の〕仕事だけに没頭したならば、あるいは、大学を辞めることもなくて済んだかもしれない。
最近、この学園にいろんな事が引き続いて起って来て、われわれは〔今〕驚きの中にいる。
真に〔真理を愛して〕学問をする者は外に棄(す)てられ、〔学園は〕野犬、狼の徘徊(はいかい)する所となった。〔学園の〕学問と真理は萎縮し、平和と秩序は失(う)せた。
大学は私に用がなくなった。私は、これを神の審判に委ねるよりほかない。
〔私の〕願うところは、後(のち)の日、この荒野に水が湧き出(い)で、野犬の棲処(すみか)が蘆葦(あしよし)の繁茂(はんも)する所となることである。
〔4-③〕
諸君はやがて、この大学を卒業して社会に出る。
日本の国が諸君の信仰〔と預言の声〕を必要とする時が来て、その時、私がここで諸君に話したことを所々でも覚えていれば、それに諸君自身の言葉を付け加えて、国民と世界に告げてもらいたい。
後(のち)の時代には、また、それらの言葉を編集する者に出てもらいたい。
こうして神の〔真理の〕言葉を次々の〔世〕代まで受け継いで、日本国の輝かしき復興と世界全体の平和の日までに到りたい。
われらは、この希望を永遠に有(も)つ。
しかし、今は起(た)て。われら、ここを去ろう(注4)
♢ ♢ ♢ ♢
(『嘉信』第1巻第3号、1938(昭和13)年3月を現代語化、( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による)
注1 バビロン捕囚
バビロン捕囚とは、新バビロニア帝国の王ネブカドネツァル二世(前605~562年在位)によって、前587年から3回にわたって行われた南ユダ王国の捕囚を指す(列王記下24:14~16、25:11、12、21)。
バビロニアへの謀反(むほん)の再発を予防するとともに、同国の発展を図るため、ゼデキヤ王をはじめユダの住民の重立った者たちは、バビロニアへ捕らえ移された。そして、ペルシア帝国初代王クロスの帰還命令発布(前538年)までの約50年間、外国での生活を強いられた(詩編137)。
捕囚の地から荒廃の祖国に帰還した少数の帰還民は、廃墟と化した神殿の再建事業に着手した。様々な困難により事業は一旦中断したが、前520年に再開し、前515年ようやく、帰還民の長年の夢であった第二神殿が完成した。
(参考文献:『イザヤ書』岩波書店、1997年、「解説」。『スタディ版 新共同訳聖書』日本聖書協会、2014年、「付録 用語解説」)
注2 矢内原の洞察と聖書の編集史的研究
杉山好(よしむ、東京大学名誉教授)は、講演「時のしるし」において、矢内原の「帝大聖書研究会終講の辞」について以下のように言及している。
「〔矢内原の〕もう一つの卓見は、イザヤ書の構成要素と成立に関して、無名の編集者の信仰を強調していることです。
帝大聖書研究会終講の辞で〔矢内原が〕、・・イザヤ書34~35章は、『イザヤの言葉ではなく、その後2世紀を経て・・・・編集がすなわち預言の一形式に他ならなかったのである』としている序言がそれで、これは現在の聖書学において編集史的研究方法として学会共通の認識となりつつある成果を、藤井〔武〕全集編集に全力を注いだ自身の経験と深い信仰的見識に基づいて、早くも1930年代に先取りした画期的洞察であると申せましょう。」
(杉山好「時のしるし」『矢内原忠雄と現代』新地書房、1990年。矢内原忠雄記念キリスト教講演会、1986年2月2日、於浜松市浜松労政会館)
注3 矢内原事件
矢内原事件とは、『帝国主義下の台湾』などにより政府の植民政策を批判していた東京帝国大学教授矢内原忠雄が、反戦思想と攻撃されて、1937(昭和12)年12月辞職を余儀なくされた事件のことである(『詳説日本史研究』山川出版社、2008年、454項)。
事件の具体的状況と経過は、以下の通り。
1936(昭和11)年の二・二六事件を契機として日本の軍国主義体制は急速に進んだ。同年、矢内原は二つの講演、「朝日講堂以後」、「民族と平和のために」により、日本の対中国政策を批判した。
1937(昭和12)年7月に勃発した日中戦争(盧溝橋事件)により、新たな衝撃を受けた矢内原は、8月、「炎熱の中にありて、骨をペンとし血と汗をインクとして」書いた論文「国家の理想」を『中央公論』9月号に寄稿した。
論文の中で矢内原は、国家の理想は正義と平和にあり、戦争という方法によって弱者を虐げることではない、戦争は国家の理想に反する、理想に従って歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びるものだ、と述べた。
これは、暗に日本の満州政策を批判するものであった。
そして矢内原は、「〔神の御心である〕国家の理想に基づいて〔国家の〕現実を批判する預言者こそ、国家千年の政策を指導する愛国者である」と訴えた。
「国家の理想」は発売後、直ちに全文削除となった。
これを機に、右翼文化人の蓑田胸喜その他、軍国主義の一味徒党は、東京帝大経済学部の右翼教授たちと策謀して、矢内原追放に乗り出した。
同年10月1日、藤井武7周年記念講演会(東京日比谷市政講堂)に於いて、矢内原は『神の国』と題して講演した。
講演の中で、彼は「今日は虚偽(いつわり)の世に於いて、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失ったる日本の葬(ほうむ)りの席であります。・・・
どうぞ皆さん、もし私の申したことがお解りになったならば、日本の理想を生かすために、一先(ま)ずこの国を葬って下さい」と語った(『通信』47号、1937年10月)。
この講演で矢内原は、理想を失った日本の国は一度葬って、新たに出直さなければ、日本の国は救われないと説いたのである。
この一句が決め手となった。
学内の舞出、大内教授ら少数の人々が矢内原を守ろうとしたが抗しきれず、1937(昭和12)年12月、矢内原は辞表を提出した。
東京帝大を追われてから、矢内原はキリスト教の伝道に全力を注ぐようになった。
同年12月をもって、それまでの『通信』を廃刊し、翌1938(昭和13)年1月から、ページ数を増してA5版の『嘉信(かしん)』を毎月定期的に出すことにした。
これは、真理の敵ファシズムに対する宣戦布告を意味した。
また毎日曜日、自宅での集会で若者に対し聖書講義を行い、全国各地へ伝道旅行を行った。
1939(昭和14)年からは土曜学校を開き、アウグスティヌス、ダンテ、ミルトンを講じた。
『嘉信』初期の短文に、次のようなものがある。
「イエスのごとく、毅(つよ)き心をもって悪に対立したい。・・・
イエスのごとく柔らかな心をもって罪人・病者・貧者・孤児・寡婦(やもめ)、すべて虐(しいた)げられた者の友となりたい」(『嘉信』第1巻・第2号、1938年2月)
この文章は、時局に抗し、信徒を励まし、弱者を慰めるという『嘉信』の目標を明示している。
なお、日本敗戦後の1945(昭和20)年11月、矢内原は経済学部から強く請われて、東京帝国大学教授に復帰した。
一方、蓑田胸喜は戦争末期に故郷に帰り、敗戦時には精神異常をきたして、1946年1月、縊死した(『矢内原忠雄』東京大学出版会、27項)。
(参考文献:川中子義勝『悲哀の人 矢内原忠雄』かんよう出版、2016年。『矢内原忠雄 私の歩んできた道』日本図書センター、1997年。鴨下・木畑・池田・川中子編『矢内原忠雄』東京大学出版会、2011年。『無教会史Ⅱ』新教出版社、1993年)
注4 「今は起て。われら、ここを去ろう」
「しかし、わたし(イエス)が父〔なる神〕を愛し、父が命じられたとおりにわたしがすることを世が知るために-立て、〔さあ〕出かけよう〔!〕」(ヨハネ福音書 14:31、前田護郎訳。( )、〔 〕内は補足)
十字架を仰ぎつつ、御足(みあし)の跡(あと)に従う幸いを歌った讃美歌
讃美歌第Ⅱ編182番「丘の上に十字架たつ」You Tubeへ
丘の上に十字架たつ
(原題:古き荒けずりの十字架)
1
丘の上に十字架立つ、
神のみ子 イェス君、
人の罪をその身に負い
捨てませり、いのちを。
*一筋(ひとすじ)に十字架を
仰ぎつつ 我(われ)行(ゆ)かん、
世の栄え 打ち捨て、
御(み)救いに頼りて。
*くり返し
2
人は厭(いと)い嘲(あざけ)るとも
十字架は慕わし、
小羊なる神の御子(みこ)の
御(み)苦しみ思えば。
*くり返し
3
荒(あら)けずりの主の十字架、
限りなく尊し、
赦し与え 潔(きよ)くするは
イエス君の血潮ぞ。
*くり返し
4
悩みも死も何かはあらん、
苦しみも厭わじ。
栄(さか)えの朝 待ちわびつつ
担(にな)い行かん 十字架を。
*くり返し