イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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神学・論文 & 教義学
神学(θεολογια:theologia)とは、「神(theos)について語ること(logos)」。
神学は、イエス・キリストへの信仰を前提に、聖書の信仰を理論的に解明し、また人々に証言することを目的とする。
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神学、教義学という言葉の意味するもの
■神学とは、今日の人間世界の問題において、イエス・キリストのメッセージを理解しようとすることである。あるいはまた、神学とは、イエス・キリストの啓示の立場から、今日の人間世界の問題を解釈しようとするものである。・・・
それはただ、・・・、イエス・キリストにおける神の聖い恵み深い啓示に、神学の泉を見出すことによってのみ、果たされるのである。
(E.ブルンナー「過去十年間に私の思想はいかに変化したか」『基督教文化』1949年10月)
■教義学とは、聖書から教義を取り出して、それらを体系化する学問。
教義学は、「教会が本来神について語るべき言葉の内容に関する、学問的自己検討である」。
(村上伸『ボンヘッファー紀行』新教出版社、2012年より、K.バルトの言葉)
■神学とは、聖書の使信(ししん)を誤りなく受領(じゅりょう)することを目指す学問的営みを総称する。 ・・・
そもそも〔、無教会の目指す〕宗教改革の貫徹ということ自体、高度に神学的〔な〕主張であって、単なる「神学無用論」で片付くような問題ではない。・・・
私どもは二千年の間積み重ねられてきた神学的業績に対して、深い敬意を払うと共に、他方ではまた、聖書を神学者の独占から解放して平信徒の手にこれを取り戻す、という無教会の本義(ほんぎ)に固く立ち続けなければならない。
そして福音の神髄は、十字架と復活によるキリストの救いを信じ仰ぐというきわめて単純な一点に凝縮するのである。
しかしそれにしても、「無教会とは何か」という問題は、今後もなお私どもの探求を待ち続けるであろう。
(高橋三郎「神学無用論について」『十字架の言』1997年11月号。〔 〕内は補足)