イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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<人物・評伝
評伝 003
2015年8月30日
溝口正
たけうち えいこ
【竹内英子】
・・竹内英子さんは、1924(大正13)年に〔旧〕・満州の鞍山(現在の中国東北地区)で生まれた。
小学校3年の終わり頃(9歳)に転倒したのがきっかけで関節が痛み出し、入院、診断の結果、全身の関節がすべて不自由になる「多発性リウマチ」という難病であることが分かった。
当時、可能な限りの治療をしたが効果なく、その後ずっと自宅療養の身となった。9歳から62歳(召天時の年齢)までの53年間、彼女はただ両手だけが僅(わず)かに動くという仰臥(ぎょうが)のベッド生活を強いられることとなった。
後藤牧師が鞍山で伝道していた頃、たびたび彼女の病床を見舞い、父なる神と御子(みこ)イエス・キリストの話をしてくれたという。
彼女は、わからないながらも真剣に耳を傾けた。そのうち後藤牧師は、内地(日本国内)へ転任となって帰国した。間もなく太平洋戦争が始まり、英子さん一家は大変な苦労をすることになった。
やがて敗戦後、一家は満州から長野県の郷里、北アルプスの美しい町、南安曇(あずみ)郡豊科(とよしな)町(現、安曇野市)へと引き揚げてきた。時に英子さんは22歳、満州から担架に乗せられて帰国したのである。
敗戦後の満州の混乱激動の中で、五体満足な者でも命からがら帰国した人々の話を聞くにつけても、担架で英子さんを連れ帰られた御両親の愛の深さに心打たれるが、同時に引き揚げ時の御苦労が筆舌(ひつぜつ)に尽くし難いものであったことが推測される。
この間の事情に詳しい後藤牧師は「この寝たままの病人を連れた御一家は、あちらの収容所、こちらの収容所と引きまわされ、やっと日本に帰られましたが、お角力(すもう)さんのように太ったお父上は、途中の収容所で病気にかかられ、帰国されるや松本市の病院で亡くなられました。お母上も数年後、召天されました」と記している。
ご両親は引き揚げ時の御愛労の犠牲となったのではあるまいか。
御両親を亡くされた英子さんは、最初は姉の家に世話になったが、1970年から姉の隣の家にある弟の家に英子さんの部屋が増築され、そこへと移り住んだ。
両親、姉、弟、義妹(弟の嫁)などご家族の暖かい愛情に包まれて、仰臥生活53年間を祈りと感謝のうちに過ごされたのである。
英子さんをキリストの福音へと導いたのは後藤光三牧師(東京都町田市・聖書キリスト教会)である。その恵みに満ちた消息を英子さんの手記によって知ることができる。
「敗戦によって、家も財産も愛する者もいっさいを失い、すべてのものが、いかに空しく、はなかないものであるかを知った時、私は初めて、どんな時にも動かされず滅び去ることのない不変なるもの、永遠なるものを切に求めるようになりました。
そのような時に『人もし全世界を儲(もう)くとも、その魂(たましい)を損せば何の益かあらん』とのみ言葉が、私の心を強くとらえました。
そして、聖書の中にこそ真理が語られているということを知りました。
1957(昭和32)年の夏、全く思いがけなく、後藤光三先生が東京からお見舞いに来てくださいました。満州でお別れして二十数年ぶりでお目にかかったのでした。
そして、二度目にご訪問くださった8月20日に先生から病床で洗礼を受けました。
思えば、まことに、神は長い年月のあいだ、私が神に立ち返る時まで、愛と忍耐とをもって待ち続けてくださったのです。
『なんじ我(われ)を選びしにあらず、われ汝(なんじ)らを選べり』とのみ言葉のごとく、神は定められたご計画のままに私を救いに選んでくださったのでありました。
人は人間としての歩む道を、自らの欲(ほっ)するままに定めることはできません。すべて神の御手(みて)の定めたもうところであり、人間に許されていることは、神に反抗して滅び去るか、神に従って永遠のいのちを得るかのいずれかを選ぶ自由だけなのです。
いま振り返ってみますと、いろいろなことがありました。
しかし、私は今まで神の愛と多くの人の愛を豊かに与えられて来たことを心から感謝しています。
イエスは『わが平安を汝らに与う』と約束されましたが、多くの試みの中を通って、私は今、主の与えたもう平安の中にあります。
降りそそぐ太陽の光をいっぱいにあびて咲く、名も知れぬ草花のごとく、私もまた愛と義の太陽なるイエスを仰ぎつつ、すべてを御手の中に委(ゆだ)ねて、静かに生きて行きたいと願っています。」
この手記の中から、彼女の詩が勝利と希望と平安に満ちている秘密がどこにあるかを明らかに知ることができるのではなかろうか。
また、スケールの大きい詩の多いのも、彼女が永遠なるものを慕(した)い求め、ついに永遠なる神のふところに抱(いだ)かれることができたからではないであろうか。
そして今や彼女は、永遠なる憩(いこ)いの中に召(め)されたのである。・・・
♢ ♢ ♢ ♢
(溝口正「あとがきに代えて」抜粋、詩集『希望』浜松聖書集会、1990年、( )、〔 〕内は補足)