イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
■上の「ネットエクレシア信州」タッチでホーム画面へ移動
Move to home screen by touching “NET EKKLESIA” above.
最終更新日:2024年12月7日
■サイト利用法はホーム下部に記載
* * * *
ヨハネ黙示録研究の一節
1. は し が き
私(矢内原)は自分の家の集会で、昨年(1933〔昭和8〕年)秋から今年の3月末まで〔注1、新約聖書 ヨハネ〕黙示録(もくしろく、注2)の話をした。
以下に掲(かか)げるのは、第20章1節から第22章5節までの部分であって、黙示録の中でも最も輝かしい場面である。
「見よ、神の幕屋(まくや)が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神自(みずか)ら人と共にいまし、彼らの目の涙をことごとく拭(ぬぐ)い取ってくださる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、苦しみもない。
最初のもの(古き天と地)は、すでに過ぎ去ったからである」。
(ヨハネ黙示録 21:3、4)
アウグスティヌスが言ったそうだ。
黙示録には意味のつかみにくいところもあるが、もし、この箇所の意味がはっきりしないというなら、およそ聖書の中で、意味の明瞭なところは一つもなくなる、と。
本当にそうだ。
少しでも〔人生の苦難と悲哀(ひあい)に〕涙を流した経験のある人間には、この箇所とか、「汝(きみ)の罪は赦された。安心して行(ゆ)け」などという聖言(みことば)は、何度読んでも読むたびごとに、魂(たましい)の底にまでスッと〔沁(し)み〕徹(とお)る。
黙示録に対する熱心のあまり、発熱を押して集会に出席された結果、2月のある日曜日を最後に病床につかれ、いまだに起き出られない渡辺美代治兄の慰めのために、その他、病(やまい)の床(とこ)、苦難の谷にいる既知(きち)、未知の人々の慰めのために、
わが小さき『通信』よ、翼(つばさ)を張って急ぎ飛び行け。
2 . 第 一 の 復 活 ・・・・略
3 . 千 年 王 国 ・・・・・略
4. 第 二 の 復 活
・・・・・中略・・・・・
悪魔〔サタン〕は亡(ほろ)ぼされ、〔最後の〕審判は完了し、神の都(みやこ)の住民としての資格のある者は、その全人数が呼び集められた。
神の都が地上に下(くだ)る準備が、今や、完全に整った。
5. 新 天 新 地
闇夜の荒海(あらうみ)に揉(も)まれて困難な航海を続けた船員が、夜明け方、波静かな港の青々とした山を見た時のように、人生の旅路(たびじ)において、人間としての苦難(くるしみ)のほかに、キリスト信徒としての特別な重荷さえ負わされて、あるいは長き病(やまい)のため、あるいは貧しさのため、あるいは信仰のゆえに受けた恥辱(ちじょく)のために幾度(いくど)か心消えようとした者は、今や、聖なる都(みやこ)、新しきエルサレムが花嫁のごとく用意を整えて近づくのを見る。
都の背景には、緑滴(したた)る新しき天と新しき地があり、過ぎ来た方を振り向くと、たびたび難破(なんぱ)と死の脅威を孕(はら)んだ荒海の姿は消えて、〔もはや、その〕跡(あと)もない。
ここは、ほのぼのと明け行く来世(らいせ、神の国)の暁(あかつき)。
終わりまで忍耐と信仰を持ち続けよと励まされてきた、その終わりの船着(ふなつき)の港、待ちに待った神の都、新しきエルサレムが、今ついに、視界に立ったのである。
何と美しいことよ、この都。
何と楽しいことよ、この天地。
見よ、神は人と共に住み、人は神と共に住み、神自(みずか)ら人と共にいまして、人々の目の涙をことごとく拭(ぬぐ)い取ってくださる。
ああ、この我(わ)が目の涙をも、拭い取ってくださる。
神の温かい御手(みて)がわが目に触れた時、この世での苦難は一瞬に消えて、今は、その記憶さえ残らない。
もうこれからは、死も悲嘆(かなしみ)も号叫(さけび)も苦痛(くるしみ)もないのだ。
過去一切が無いのだ。みんな、神によって新しくされたのだ。
これからが本当の生涯、本当の人生である。
わが足の、何と軽やかなことよ。わが胸の、何と朗(ほが)らかなことよ。わが頭脳の、何と爽(さわ)やかなことよ。
われらは〔今より後(のち)〕、神の子のごとく生きるであろう。
事はすべて、完成した。神の御経綸(ごけいりん、遠大なご計画)は成就(じょうじゅ)した。
まさにこの時をわれらは待って、耐え忍んだのである。まさにこの〔天の〕国を得るために、われらすべてのものを棄(す)てたのである。
何と快(こころよ)いことよ、生命(いのち)の泉から水を飲む時。
われらは勝ったのだ。
あの、怖(お)じ気づいて信仰から離れた者、あの、妥協して世の悪に染(そ)まった者、あの、偶像(ぐうぞう)を拝んだ者、あの、信仰を偽(いつわ)った者は、どこへ行ったのだろうか。
われらの弱き足を守り、躓(つまず)きと苦しみにもかかわらず、われらを救い、かつ励まして、ここ〔神の都〕に導き入れてくださった主イエス・キリストに感謝あれ〔!〕
6. 神 の 都
神の都の光輝(かがやき)は、きわめて高価な宝石のようであり、また透き通った碧玉(へきぎょく)のようである。・・・・
都の中には神殿もなく、〔また〕太陽や月によって照らされる必要も無い。
〔なぜなら、〕神と〔神の小羊〕キリストがおられる所はすべて神殿であり、このように〔神とキリストが〕おられることによって、その栄光が〔都を照らし〕輝くからである〔イザヤ60:19〕。
神と小羊〔キリスト〕が常に〔人と共に〕在(いま)すこと、ここにこそ、人のすべての希望がある。
もはや、神について考えるのではない。〔じかに、〕神ご自身を〔仰(あお)ぎ〕見るのである。
神が共におられ、神自ら、われらの眼の涙を拭ってくださる以上、今さら、神の性質について何の〔神学〕議論があろうか。
神を〔直接、〕見ることのできた〔旧約の〕ヨブのように、〔われらは、〕無条件に〔神を〕礼拝し、讃美するだけのことである(ヨブ記42:1~6参照)。
この都に〔は、〕透き通った生命(いのち)の水の河(かわ)があり、河の左右には生命の樹(き)があって、月ごとに〔、一年で〕12種類の実を結び、四季、絶えることがない。
生命の樹〔!〕。
これこそ、〔人類の始祖〕アダムが〔エデンの〕楽園を追われた時以来の、人類の渇望(かつぼう)ではなかったか。
人類の歴史とそのすべての営みは、要するに、この生命の樹の実を食べたいとの願いによって、〔衝(つ)き〕動かされ〔てき〕た〔のではないか〕。
しかも、一切の文明と人間の努力は、ことごとく、この点において失敗したのだった。
それが今〔、見よ〕!
生命の水の河のほとりに並び立つ、これらの生命の樹。心も澄(す)む清き流れ、目も憩(いこ)う緑の葉末(ようまつ)。
朝(あした)に夕に満ち足りるまで、われらは、ここに永遠の生命(いのち)を呼吸する。・・・
・・・
神の都の構造と内容は、上記のとおりである。
その広さはまた、何という広大さであることか。・・・・
これほどに広大な〔都の〕面積は、神の都の人口収容力が絶大であることを象徴するものである。
旧約の諸聖徒、新約の信徒〔たち〕、〔そして〕有名な人から無名な人に至るまで、キリストを信じて生命(いのち)の書に名前を記(しる)された者は一人残らず、この都に受け入れられている。
イエスは彼の御名(みな)を信ずる者を守り、その一人さえも亡びることなく、この神の都に送り届けてくださったのである(ヨハネ17:12)。
見よ、先立ち逝(い)ったわが夫のなつかしい姿!
愛(いと)しいわが子の笑顔!
都大路(みやこおおじ)のあちらにも、こちらにも、喜ばしき再会のさざめきがある。実に、楽しくも賑(にぎ)やかな神の都の集(つど)いである。
ただ、旧約と新約の信徒〔たち〕だけではない。
「諸国の民は都の光の中を歩み、地の王たちは自分たちの光栄を携(たずさ)えて、都へ来る」(21:24)。
われわれはたぶん、あるいは〔ギリシア哲学の祖〕ソクラテス、あるいは〔中国儒家の祖〕孔子(こうし)、あるいは〔インド仏教の祖〕釈迦(しゃか)、あるいは〔法華宗の祖〕日蓮(にちれん)〔等の人類の教師たち〕が、この都の光の中を歩むのを見るであろう。
また、キリストを知らずに死んだ〔、無名の〕われわれの愛する先祖、または父母の姿を、ここ〔都〕に見出すかもしない。
キリストを拒(こば)む者は、ここに入ることはできない。
その道理は明らかである〔。神の都は、主キリストを受け入れ、慕(した)う者たちが呼び集められる場所だからである〕。
しかし、たとえばソクラテスや孔子の教えと人格が神の都に取り入れられず、〔無価値なものとして、〕都の外に投げ出されて当然であるという考えは、智恵と力に満ち溢(あふ)れたものであるはずの、この神の都に相応(ふさわ)しくない思想である。
〔また、〕ソクラテスや孔子ほど有名な人でなくても、敬虔(けいけん)と誠実の中にその生涯を送った多くの人々が、キリストを伝えられる機会がなかったというだけのことで、神の都に受け入れられないだろうという〔宗教人の〕教えもまた、何か、神の正義と憐(あわ)れみにそぐわない気がしていたのであった。
〔しかし、〕やはり、そうではなかったのだ。
ソクラテスも孔子も、楽しげに都の光の中を歩み、自分の光栄と誉(ほま)れを携(たずさ)え来て、この都の輝きの中に奉献(ほうけん)している。
彼らをここに見出して、われらは、心からの満足と感謝を禁じ得ない。
禍(わざわ)いだ、〔神の国を独占しようとする〕形式的な名ばかりのキリスト信者よ。
そして、神の国に入る者の資格を、公式的に、その〔教派が認定した「信者」の〕名義〔を持つ者〕だけに限定した偏狭(へんきょう)な教師〔たち〕よ。
君たちは、この問題について、どれだけ無理解、無同情の言葉によって、単純〔素朴〕な信徒〔たち〕の心を暗くしたことか。
その名前が生命(いのち)の書に記(しる)されていない者は、もちろん、誰も神の国に入ることは許されない。
しかし、誰の名が〔生命の書に〕記されているかは、ただ神のみが知っておられる〔のだ〕。
たとえ、この世でキリストを知る機会のなかった人々でも、その人が誠実な人である限り、あるいは他の何かの理由により、神がその〔人の〕名を生命の書に記しておられないとは誰も断言できない(注3)。
神の都の生命の樹(き)の葉が「諸国の民を医(いや)す」〔22:2〕というのは、これら大小、有名無名の異邦人(いほうじん)が医されて、完全な神の子とされることを意味するのではあるまいか。
神の都、新しきエルサレムは、神が〔ご自身の〕栄光によって自ら設計し、かつ整えて、神の許(もと)から下(くだ)されるのである。
神は、この都に著(いちじる)しい包容力と美しい構造を備えてくださる。
人は、二、三の幼稚な神学的公式〔やドグマ〕によって、神の意志と能力を推測することはできない〔。
人の意表を絶して、驚くべきみ業(わざ)を神は成し遂(と)げられる。注4〕。
神の都が天より下ってわれわれに示される時、ただ、われらの涙が拭われるだけでなく、一切の疑問も朝日の前の霧のように晴れ、神の正義と憐れみが、欠けなき正立方体〔の完璧な構造〕において秩序整然と調(ととの)えられていることを〔われらは〕見るであろう。
この都こそ、われらの本籍地、往(ゆ)き、そして住むべき永遠の故郷(ふるさと)である。
何と心躍(おど)ることよ、この希望〔!〕
病の床(とこ)、悩みの座に〔あって〕、頭(こうべ)を上げてこの都を〔仰ぎ〕望む時、力なき者にも〔天来の〕力は〔満ち〕溢れる。
〔ハレルヤ! 神を讃美せよ。〕
(以上)
♢ ♢ ♢ ♢
(原著:矢内原忠雄「黙示録研究の一節」『通信』第17号、1934〔昭和9〕年5月を現代語化。〔 〕、( )内、下線は補足)
注1 矢内原忠雄のヨハネ黙示録講義
1931(昭和7)年9月の満州事変勃発(ぼっぱつ)を契機として、矢内原の信仰と学問(社会科学)は一致して国家の不義(ふぎ)と対立し、預言者的な戦いが展開された。
矢内原は来るべき迫害の時代を予想し、神の護(まも)りと究極的な勝利を説いて集会の学生たちを励まし、信仰の堅持を勧めるため、翌1932(昭和8)年秋からヨハネ黙示録の講義を開始した、と思われる。
注2 ヨハネ黙示録とは
① ヨハネ黙示録は、新約聖書の最後に置かれた文書で、正教会(東方教会)では「神学者イオアンの黙示録」と呼ばれている。
新約聖書中、唯一の独立した《黙示文学》文書である。
② ヨハネ黙示録は、1世紀末のローマ帝国(ドミティアヌス帝、在位81~96年)における迫害と《皇帝礼拝》の強制を歴史的な背景として、迫害下にいる小アジア・アナトリア地方の七つの教会の信徒たちを励ますために書かれたものである(J.L.メイズ編『ハーパー聖書注解』教文館、1996年、1,370項参照)。
すなわち、神とサタン(悪の勢力)の戦いが、天と地上で繰り広げられる有様を黙示文学的(=象徴的)な手法によって描き、特に《終末》に来たるべき《神の国》を描き出すことによって、苦しみの中に置かれたキリスト信徒たちを励まそうとする。
その意味において、黙示録は迫害の下に置かれた信徒たちによる《抵抗の文学》であったと言えよう(同志社大学教授・越川弘英『新約聖書の学び』キリスト新聞社、2016年、85項)。
③ 著者ヨハネについては、ユダヤ人キリスト者であったということ以上のことは分からない(前掲『新約聖書の学び』284項)。
2世紀半ば以降、イエスの弟子の一人であるゼベダイの子ヨハネ(使徒ヨハネ)が黙示録を書いたとの説が支配的であった(ユスティノス『ユダヤ人オリュフォンとの対話』81.4)。
しかし、19世紀以降、この説を支持する者は少ない。
黙示録の著者は自分を「使徒」とは一度も呼んでおらず、また《十二使徒》は過去の土台としてしか言及されておらず(黙 21:14)、著者と使徒ヨハネとの結びつきを示す証拠は、黙示録の中には何もない(前掲『ハーパー聖書注解』1,370項)。
また、黙示録の文体と用語がヨハネ福音書のそれとかなり違うこと、またヨハネ福音書には、黙示文学的要素が全く認められないという点が指摘されている(馬場嘉市編集責任『新聖書大辞典』キリスト新聞社、1971年、1,464項)。
④ヨハネ黙示録の特徴として、「著者〔ヨハネ〕の教会は、大バビロン(=ローマ帝国)のすみやかな崩壊・没落を何より切望し、それゆえ、〔ローマ帝国への〕審(さば)きと教会の救いへの待望が、新約の他の文書にないほど強く刻印されて」いる(笠原義久「新約聖書入門」新教出版社、2013年、145項)。
⑤ その後の様々な時代にも、迫害下におかれた多くの信徒たちは、この書によって慰めと希望を与えられ、終局的な勝利を信じて迫害の嵐をくぐり抜けた。
その意味で、ヨハネ黙示録は信徒に《究極的な勝利の確信》と《希望》を与える書である、と言えよう。
⑥ 一方、ヨハネ黙示録は《黙示文学》の伝統にしたがって、二元論的な人間の見方が支配的であり、救いにあずかる者と滅びに定められた罪人を厳しく分離する。
そして、神に服しない者に何らかの仕方で救いがもたらされるということは、一切、視野に入っていない(前掲『新聖書大辞典』1,463~1,468項)。
そこには、「敵のために祈れ」というイエスの教えや、迫害する人々の側に伝道するという姿勢は、ほとんど見られない。
また、キリスト教思想史の上では、特にこの文書に独特なキリストの《千年王国論》を巡って、賛否両論が激しく対立した。
⑦ そのため、これを新約聖書正典に加えるかどうかについて、多くの論争があり、西方教会で正典に初めて加えられたのは、西暦397年の第3回カルタゴ会議においてである。
一方、正教会では4世紀以降、長期にわたり論争が続き、正典に加えられたのは697年のコンスタンティノ会議においてであった。しかしその後になっても、この文書についての議論は絶えなかった(前掲『新約聖書の学び』283~291項)。
⑧ また、現代の《カルト宗教》でも、1995年のオウム教団によるサリン事件に見るように「ハルマゲドン」(16:16)における世界最終戦争の予言が引き合いに出されることが多い(大貫隆ら編集『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、1165項)。
現代のわれわれがヨハネ黙示録を読む場合、これらの歴史的背景や事情を踏まえた上で、イエスの《福音》の光によって、そこに盛られた永遠的真理を学ぶ姿勢が求められる。
注3 生命の書
①天啓と真実
矢内原のヨハネ黙示録講義は、インスピレーション(天啓)と真実に溢れた珠玉(しゅぎょく)の名文である。
天の国(神の国)の情景を描く矢内原の言葉は、われらの魂を深く、大きく揺り動かさずにはおかない。
「(招き入れられた《神の国》にあって、)神の温かい御手がわが目に触れたとき、この世での苦難は一瞬に消えて、今はその記憶さえ残らない」。
「わが足の、何と軽やかなことよ。わが胸の、何と朗(ほが)らかなことよ。わが頭脳の、何と爽(さわ)やかなことよ。
われらは、〔今より後〕神の子のごとく生きるであろう。
・・
何と快(こころよ)いことよ、生命(いのち)の泉から水を飲む時」。
矢内原の文章は、肉体は地上に在りながら、霊は《神の国》にあって自らが経験したことを、そのまま報告しているかのようである。
②矢内原の霊が目撃した光景
「それが今〔、見よ〕! 生命(いのち)の河のほとりに並び立つ、これらの生命の樹。
心も澄む清き流れ、目も憩う緑の葉末。
朝(あした)に夕に満ち足りるまで、われらは、ここに永遠の生命を呼吸する。
・・・
見よ、先立ち逝(い)ったわが夫のなつかしい姿!
愛(いと)しいわが子の笑顔!
都大路のあちらにも、こちらにも、喜ばしき再会のさざめきがある。実に、楽しくも賑(にぎ)やかな神の都の集(つど)いである」。
これらは、矢内原の霊が見ることを許された《神の国》の光景であろう。
③ヨハネ黙示録講義の二元論
「その名前が《生命の書》に記されていない者は、もちろん、誰も《神の国》に入ることは許されない」
これらの言葉から矢内原の黙示録講義には、《黙示録》特有の二元論的な人間観・救済観が残存している、と批判することは容易であろう(注2参照)。
なぜ、矢内原はこのように述べたのか。その背景は何か。
当時の矢内原と彼の集会は、軍国日本の中で文字通り、生死の懸かった厳しい状況に置かれていた。
当時は、選択が鋭く問われる時代だった。
破局に向かってひた走る日本の中にあって、正義と不義、神への忠節とこの世との妥協、信仰と不信仰。
この先鋭化した二項対立のうち、どちらをわれらは選ぶのか。
この選択は、個人にとっても社会・国家にとっても、それぞれの行方(ゆくえ)と運命を大きく左右するものであった。
このような時代状況にあって、矢内原はヨハネ黙示録の講義をしたのである。そして彼は、ローマ帝国の迫害下にある信徒たちと苦難と信仰、究極的勝利の確信と希望を共にし、慰めと励ましを得た。
われらは神の側に立つのか、それともこの世の側に立つのか。その選択は、「救い」と「滅び」を大きく左右する。
《預言者》として召された矢内原は、戦争の道を狂奔(きょうほん)する日本国民に対し、「死の道(=滅びの道)」を離れ、平和の道すなわち「生命の道(=救いの道)」に立ち帰るよう《悔い改め》を迫ったのだった。
(「日本の国民に向かって言う言葉がある。汝(なんじ)らは速やかに戦(いくさ)をやめよ!」1937(昭和12)年10月1日日比谷市政講堂・ 藤井武7周年記念講演「神の国」より。その年の7月7日、盧溝橋(ろこうきょう)事件によって日中戦争が本格化)
この厳しい現実を直視するとき、「救われる者」と「滅ぶべき者」という「二元論的な」人間観・救済観をただちに誤りである、と非難することはできない。
それでも矢内原の言説が、一見、「キリスト信者=救い」、「不信者=滅び」と決めつける 《宗教人》のそれと同じように見えることは、否定しがたいであろう。
④《宗教人》の意表を突く
しかし、矢内原の描く神の国の光景は、《宗教人》の意表を突くものであった。
「(キリスト信徒ではない)ソクラテスも孔子も、楽しげに都の光の中を歩み、自分の光栄を誉れを携(たずさ)え来て、この都の輝きの中に奉献(ほうけん)している。
彼らをここ〔神の都〕に見いだして、われらは心からの満足と感謝を禁じ得ない。・・・
たとえ、この世でキリストを知る機会のなかった人々でも、その人が誠実な人である限り、あるいは他の何かの理由により、神がその〔人の〕名を生命の書に記(しる)しておられないとは誰も断言できない」、
「禍(わざわ)いだ。〔《神の国》を独占しようとする〕形式的な名ばかりキリスト信者よ」。
「君たちは、この問題について、どれだけ無理解、無同情の言葉によって単純〔素朴〕な信徒〔たち〕の心を暗くしたことか」。
矢内原はこのように、「信徒」以外の救済について数多く言及し、偏狭な《宗教人》を厳しく批判している。
⑤神の救済に対する信頼
そして矢内原は、神の救済の宏大さに驚嘆しつつ、これに深い信頼を寄せる。
「(宗教人は、「キリスト信者」だけが生命の書にその名を記されていて、神の国に入る資格があると主張する。)しかし、誰の名が〔《生命の書》に〕記されているかは、ただ神のみが知っておられる〔のだ〕」。
「これほどに広大な〔都の〕面積は、神の都の人口収容力が絶大であることを象徴するものである」。
「神の都、《新しきエルサレム》は、神が〔ご自身の〕栄光によって自ら設計し、かつ整えて、神の許から下されるのである」。
「神は、この都に著しい包容力と美しい構造を備えてくださる」。
「人は、二、三の幼稚な神学的公式によって、〔矮小(わいしょう)化して〕神の意志と能力を推測することはできない」。
これらの言葉を読むとき、われらは、矢内原の黙示録講義がヨハネ黙示録に沿いつつも、実質的に、黙示録の限界(二元論的な人間観・救済観)を大きく超え出ていることを知る。
ではなぜ、矢内原はヨハネ黙示録の限界を超えることができたのか?
それは、矢内原が《福音信仰》に固く立ちつつ、ヨハネ黙示録を読み、講じたからではなかろうか。
⑥われらへの問い
さて、この《生命の書》に記されている者の名前、つまり救いにあずかる者について、現代のわれらはどう考えるか。
矢内原の言うように、「誰の名が〔《生命の書》に〕記されているかは、ただ神のみが知っておられる」。
言うまでも無く《救済》のわざは神の主権に関わることがらであり、人間が口出ししたり、神に指図(さしず)できることがらではない。
われら人間は、あくまでも神の意志に服するまでである。
そのことを踏まえつつ、それにもかかわらず、われらは《キリストの福音》の光に照らされて、次のように信じる。
神は愛である。そして神はすべての人の父(アバ *)である。
その神は《究極》において(D・ボンヘッファー)、人の意表を絶して《生命の書》に万人(ばんにん)の名を記しておられるにちがいない、と。
われらは神の救済の力に全面的に信頼し、神による《万人の救済》を信じる。
日本の内村鑑三、デンマークのS・キルケゴール、ドイツのD・ボンヘッファー、スイスのK・バルト、英国のW・バークレーら、近代を代表する誠実なキリスト者たちと共に。
*アバ(Abbā)とは:
「アバ」は、「お父(とう)さん」を意味するアラム語の言葉の音訳。
今もパレスチナでは、子供たちは親しみと信頼と愛情を込めて、父親をアバ(お父ちゃん)と呼ぶ。
イエスが初めて、人々に対し神を「アバ」として示した(マルコ 14:36)。
この親近感と愛情のこもった語「アバ」を神に対して用いることにより、イエスは神と人との関係について根本的に新しいものを提示した。
神と人との関係が君主-家臣、主人-下僕という隔絶感よりも、一層親近な父-子という家族的表象によって表現されている所に、神観(しんかん、神はどのようなお方かという見方、受けとめ方)の革新的転換が示されている(ルカ 15:11~32「父の愛の物語」参照)。
キリスト者が神に向かって「アバ、父よ」と呼ぶことができるのは、御子キリストの霊をいただいた結果に他ならない(ローマ 8:15)。
なお、元来は「アバ」だけであったが、ギリシア語を話すユダヤ人によって説明的なギリシア語の訳「父」の語が付け加えられ、「アバ、父よ」が一般に用いられるようになった(参考文献:前掲『新聖書大辞典』39項)。
万人救済論
注4 「すべて」と「すでに」の救済を告白する
- 002-