イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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3 土の器
⑸ 苦難の目的
「いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである」(同4章10、11節節)。
〔ここで〕パウロは、イエスの苦難(十字架)と死を自分の身に負っている、つまりイエスとの交わりは、苦難を共にする交わりであると言います。
そして苦難の目的は、イエスの復活の生命(いのち)が使徒(しと)の苦難の中に現れることであり、それは、《神の国》における《復活》によって完成に至ります(14節)。
〔このようにして、〕苦難もまた、神の栄光を表すために神に仕(つか)えるのです。
⑹ 復活と救いの完成
「それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである」(同14節)。
歴史の終末、つまり《神の国》が完成するとき、われわれは栄光の復活体(ふっかつたい)によみがえらされ、〔永遠に〕キリストと交わり、神の御前(みまえ)に立つ。
そして、神は人と共に住み、人は神と共に住み、神自(みずか)ら人と共にいまして、人々の眼の涙をことごとく拭(ぬぐ)い取ってくださる。
そこでは、もはや死も悲嘆(かなしみ)も号叫(さけび)も苦痛(くるしみ)もない。すべてが新しくされるからです(注1)。
4 Kさんの遺稿―今、私たちに語るもの
⑴ 導きの神
Kさんの歩みの背後には、常に、生ける神がおられました。
神は まず、Kさんのために信仰の両親を与えて下さいました。
青年時代、Kさんは父上・G先生の信仰に距離を置いておられたようですが、先生召天(1995年)後、大網書集会に参加されるようになりました。
Kさんは、神の前に一人立ち、多くの苦しみを経て、神への信仰(信頼)と感謝の生活に導かれました。
Kさんは、G先生の信仰を継承し、大網集会で聖書講話(主に旧約聖書)を担当するようになり、聖書の学びを通して得た啓示(けいじ)を集会の兄弟姉妹と分かち合い、喜び合いました。
そのKさんを襲(おそ)った最大の試練(しれん)が、この度(たび)の悪性の病(やまい)(難治性悪性リンパ腫)でした。彼は、この病によって痛み、苦しみ、孤独の谷底に突き落とされました。
しかし神は、そのKさんにイエスの救い(福音)の光を輝かし、勝利を与えて下さったのです。
闘病の手記「ガンと宣告されて」(『野の花』2015年、いのちの水社所収)を通して、Kさんが私たちに語りかけるメッセージに耳を傾けたいと思います。
⑵ 土の器として
手記「ガンと宣告されて」は、悪性の病に直面した魂の赤裸々(せきらら)な告白です。
手記には、発病から診断確定までの経過が、次のように綴られています。
「〔2014年〕8月下旬に胃の不調でクリニックを訪れた。
薬が全く効(き)かず、薬の切れた2週間後に再訪(さいほう)すると、腹を触診(しょくしん)していた医者が腹にあるしこりに気づいた。・・・
そのしこりが大きくなってきていて、2週間後には右に広がって5、6センチになっていた。医者は肝臓がんを疑って、市立病院に依頼してCTスキャンを受けることになった。・・
〔その後、クリニックから〕CTスキャンの画像(がぞう)と紹介状をもって〔千葉〕県立がんセンターに行った。
呼ばれて部屋に入ると・・二人(私と付き添いの姉)を前に、医者の診断の第一声は、『手術不可です』だった。
私の脳裏(のうり)に人生の舞台の最終幕がいきなり開いていくのが見えた。・・
リンパ腫(しゅ)だって? それって血液のガンだろう。体全体に広がって行くんだろう。完全にアウトじゃないか! ・・余命(よめい)3ヶ月位なのかな、と思う。しかし、それを訊(き)く勇気がなかった。
病院からの帰り道、聖書の勉強をもっとしたかったなあ、が私が最初に思ったことだった。
人生なんてこんなに簡単に終わってしまうのだ、と驚いた。
ままならない人生だったが、最後までままならず、中途半端(はんぱ)な人生になってしまった。誰の役にも立たない人生だった、と寂(さび)しく悲しくなった」。(45項)
突如(とつじょ)、暗黒の谷底に突き落とされたKさん。ここに見られるのは、弱く脆(もろ)い《土の器》としての姿です。
⑶ 貧しき者へ
「・・腹のしこりは急速に大きくなっていて、この頃は手の平サイズになっていた。
時折強い痛みに襲われて横になっていなければならないこともあった。食欲は全くなかった。
ガンでは、しこりを感じて、痛みが出てきたらおしまい、との言い伝えが心によみがえる。
やせ細り、顔は青白く、肌はかさついて、顔から表情が消えていた。すべてが悲観的な方向に向かっていた。それでも、食べなければ死んでしまう、と言い聞かせて、無理に食事を詰(つ)め込んでいた。食事が苦行(くぎょう)だった。・・」
病気が進行し、痛みと食欲不振に襲われてやせ細り、食事を無理矢理つめ込む痛々しい姿が、目に浮かびます。
「検査結果の出る前日、聖書通読で読んだ部分は、〔旧約聖書〕イザヤ書38章から40章と〔新約聖書〕ローマへの信徒への手紙14章だった。
ヒゼキヤ王が死の病にかかり、預言者(よげんしゃ)イザヤより遺言(ゆいごん)の準備をするように告(つ)げられた王は、『まことを尽くし、ひたむきな心で神の前を歩み、神の目にかなうことをしてきたことを思い出してください』と神に祈った。
するとヒゼキヤの命は15年延ばされた。
私はヒゼキヤが羨(うらや)ましかった。私にはヒゼキヤのように神の前に誇(ほこ)れるものは何もなかった。延命(えんめい)を望む祈りはできなかった」。
神の前に無一物(むいちもつ)、誇るべき何ものもない《貧しき者》とされたKさんに、神は進むべき方向をハッキリと示されました。
「ロマ書では、『私たちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。
私たちは、生きるとすれば主(しゅ)のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。
したがって、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。』を示され、ただ主に頼り、主にすべてをゆだねるしかないのだ、と再確認した」。
⑷ 新たな力
「その翌日の検査結果は、胃からくる悪性リンパ腫、だった。・・
医者は、日本人に一番多い病気で、胃がんよりもやさしい病気で、90%の人に治療効果が出ていると言い、どんなに治療法が確立されているかを説明する。・・
治療法に望みがあると示され、ヒゼキヤに起こった奇跡(きせき)が私にも起こったと思った。神の恵み、憐れみが何の功(いさお)もない私に神から一方的に与えられたのを実感した。
そして、イザヤ書40章13節に、『主に望みをおく人は、新たな力を得(え)』とあるように、新たな力を与えられ、その数日後の10月4日には、ほとんど出席を諦めていた市川での無教会全国集会に参加できたのだった」。
そして集会で歌われた讃美歌を通して、Kさんに《主の救いの恵み》が鮮(あざ)やかに啓示されました。
手記は次の文で結ばれています。
「集会で歌われた讃美歌291番の1節、
主にまかせよ、汝(な)が身を、
主はよろこび、助けまさん・・・
嵐にも、悩みにも、
ただ任(まか)せよ、汝が身を。(注2)
そして2節の歌詞にも、まことにその通り、と胸がつまり歌えなくなった。讃美歌280番、514番もまたしかり。涙があふれて歌えなかった。
讃美歌がいかに慰めとなるか、力を与えられるか、福音そのものであるか、改めて教えられた。
病によってより神に近づけられ、病もまた恵みなり、を実感している」(『野の花』)。
ここに述べられているのは、苦難を経(へ)ての神讃美であり、神への信頼の歌です。
その後、病床に伏(ふ)したKさんに対して、姉のEMさんの手厚い看護と義姉のSHさんの助け、またご兄弟姉妹の暖かい見守りが注がれました。
また、大網・横芝〔両〕聖書集会を始め、県下の聖書集会の兄弟姉妹たちの熱い祈りが立ち昇りました。
そして主イエスの護(まも)りと慈(いつく)しみの中、Kさんは幾(いく)つもの峠(とうげ)を越え、ついに天に凱旋(がいせん)されました。
Kさんの最期(さいご)の日々を通して、イエスの福音の光が燦然(さんぜん)と輝き出ました。Kさんは、自らの生涯に与えられた最大の使命―福音の真実を証(あか)しすること―を立派に果たしました。
その他の未完(みかん)の仕事は、必ずや御国(みくに)において豊かな完成に至るでしょう。
残された私たちは、Kさんの信仰(神への信頼)を受け継ぎ、御国での再会を望みつつ、勇ましく地上の旅を続けましょう。
土の器であるKさんを通して《救いの光》を輝かして下さった主イエスに、感謝と讃美を捧げます。
終わり
♢ ♢ ♢ ♢
注1
注2 私たちを背負い、救ってくださる神
「ヤコブの家よ、
イスラエルの家の残ったすべての者よ、
生まれた時から、私に〔背〕負われ、
〔母の〕胎(たい)を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、
わたしに聞け。
わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、
白髪(しらが)となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは〔あなたがたを〕造ったゆえ、必ず〔背〕負い、
持ち運び、かつ救う。」
(イザヤ書46章3、4節 口語訳)
参考文献:
『NTD新約聖書注解 7 コリント人への手紙』(H・Dヴェントラント.塩谷饒、泉治典訳)、1968年
『新共同訳 新約聖書略解』(山内眞監修)日本基督教 団出版局、2000年
『新約聖書概説』(原口尚彰)教文館、2004年
(『九十九の風』2017年 イースター号、通算No36所収、( )、〔 〕内は補足。固有名はアルファベットで略記)