― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年11月11日
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信仰と人生
信仰に生きる 009
2016年4月 4日改訂
矢内原忠雄
〖原罪とは何であるか〗
放蕩(ほうとう)息子の帰還
(ルカ福音書15:11~32)
ムリーリョ(1617‐82年、スペイン)
原罪(げんざい、注1)とは何であるかは、議論の問題であるよりも〔現実〕生活の問題である。
人が〔自らの創造者である〕神を無視し、神に叛(そむ)き、神なしで生活しようとすること自体が、本人の意識するとしないを問わず、原罪の第一の症状である。
神に逆(さか)らい、〔聖なる〕神を嘲(あざけ)ることを喜びとする人間の性質が、原罪の第二の症状である。
為(な)そうと望む善(ぜん)は行(おこな)わず、望まない悪を〔こそ〕行い、〔このように、人が〕自分の意志を制御(コントロール)できないこと〔、つまり、罪の力に捕(と)らえられている惨(みじ)めな状態〕が、原罪の第三の症状である〔ローマ書 7:18~25 参照〕。
自己〔の惨めさ〕についてこの歎(なげ)きを持たない者は、原罪の何であるかを到底(とうてい)理解することはできないであろう。
♢ ♢ ♢ ♢
(原著:矢内原忠雄「原罪」 『嘉信』第18巻第11号、1955〔昭和30〕年11月。一部表現を現代語化。〔 〕、( )内は補足)
注1 原罪(げんざい)
人間が生まれながらに負(お)っている罪とその現実。また、アダムとイブが神に叛(そむ)いて禁断の木(こ)の実を食べてしまったという人類最初の罪。
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