イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年12月7日
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* * * *
2
〔2-①〕
〔ルター派の信仰告白である「アウグスブルク信仰告白」(1530年)は、教会について「福音が純粋に教えられ、聖礼典が福音にしたがって正しく執行される」所と定義している(注1)。
つまり、説教と聖礼典(サクラメント。洗礼、聖餐式のこと)を同等のものとして扱い、教会の標識としているのであります。
そして、現代プロテスタント教会の多くは伝統に従い、同様の立場を保持している(注2)。
このように、制度〕教会で最も重んずる儀式は、〔サクラメントとしての〕洗礼(バプテスマ)と聖餐(せいさん)であります。
〔そのうち〕洗礼は、教会加入の時に 〔つまり、教会員となるために〕 用いられる儀式であります。
イエスの弟子となってエクレシア(神の教会)に連なるために、きまった形式の行為(儀式)を必要とするものかどうか。
その形式として洗礼という制度を用いるのはどういうわけか〔。
そもそもイエスが、律法主義者のパリサイ人(びと)たちのように、ご自分のもとに来る者たちに決まった形式の行為を要求したことがあるか。
イエスは、律法主義者によって罪人として排除されていた者を罪人のまま、一切の条件なしに招かれたのであります(注3 マルコ2:13~17、12:14)〕。
すべて儀式は〔本質的な事柄を〕象徴〔するもの〕であり、制度は伝統〔によって生まれたもの〕であります。
洗礼も一つの象徴でありまして、それが教会の伝統、すなわち、しきたりによって、教会加入の際の形式として制度化された〔、つまりサクラメント・礼典として定められた〕ものであります。
それならば洗礼という儀式は、何を象徴したのでありましょうか。
〔2-②〕
水につかって体を潔(きよ)めるとか、水で器物を洗って汚(よご)れを落すとか、そういう考えは〔旧約の〕モーセの律法(りっぽう)の中にもあります。
仏教にも水で汚(けが)れを洗うということがあり、ヒンズー教ではインダス河に飛び込んで体を洗うことが重要な儀式となっている。
日本の神道でも禊ぎ(みそぎ)ということを致しまして、〔修行者が〕川に飛び込んで《六根清浄》と言〔いつつ、修行を行〕う。
水は汚れを洗い落す性質をもっておりまして、水につかり、あるいは水で洗うことが儀式的な潔めとなったのです。
そのことはユダヤでも古くから行われていたのでありますが、洗礼者ヨハネがヨルダン川で施したバプテスマは画期的なものでありました。
それはただ体に付着した汚れを洗い落すということでなくて、道徳的な生れ変りという意味をもちました。彼は一度、水に没して、再び水から上ることによって、罪の悔い改めの象徴としたのであります。
すなわち罪の生活から方向転換をして、人生の方向、人生の目的を180度転換して、義(ただ)しく生きてゆかなければならないことを唱(とな)え、その象徴として洗礼を授けたのです。
それはまことに画期的なことであったと見えて、〔人々は〕特にヨハネを《洗礼者〔ヨハネ〕》と呼ぶようになりました。
洗礼は、ヨハネによって新しい意味を与えられた〔のであります〕。
〔2-③〕
その《ヨハネのバプテスマ》に対して、《イエスのバプテスマ》ということがあります。
ヨハネはその特色を説明して、自分のバプテスマは水で施(ほどこ)すが、イエスは聖霊と火によってバプテスマを授けられると言いました。
このことからも洗礼が象徴であることが分かります。水で洗礼を授けるとも言っているし、火で洗礼を授けるとも言っている〔とおりであります〕。
水とか火とかそのことに生命があるわけでなくて、水というのも火というのもある原理を象徴しているのにすぎないのです。
ヨハネ以前の洗礼においては、水で汚れを洗い落すということに、意味があつたのです。
ヨハネに到って、それは罪の悔改(くいあらた)めという道徳的な意味を持ちました。
さらに進んでイエスの〔霊の〕洗礼は、古い自分が死んで新しい自分が生れるという信仰的意味を象徴したのであります。
イエスの洗礼は、聖霊と火によって授けられる。
古い自己を滅ぼすについて、水よりも火の方が烈(はげ)しい働きをします。また新たに生れることに関して、水よりも霊の方が有効な働きをすることは言うまでもありません。
イエスはニコデモに対して、「だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5)と言われましたが、水と言っても火と言っても、その物自体に人を新しく生まれさせる力はありません。
古い自己は火に投げ入れて焼かれる籾殻(もみがら)のようなものであって、〔神の〕審判に耐えないものである。〔火によって洗礼を授けるとは、〕新たに生きるためには、古い自己に死なねばならないことを象徴したのにほかならないのです。
イエスご自身はヨハネから洗礼を受けられたが、ご自分では弟子に洗礼を授けられたことはありません。
マタイ福音書の最後にある〔いわゆる「宣教命令」として〕有名な言葉でありますが、イエスが〔復活後に〕天に昇られる時に弟子たちに命じて「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」とある(28:19)。
しかし、これは聖書学者の研究〔つまり、新約学の成果〕によると、イエスの言葉ではなくて、後の時代の〔教会による〕付記であると認めることが、今日一般の理解であります(注4)。
とにかく地上におられた間、イエスが弟子たちを伝道に派遣された時に、洗礼を授けることを命じられたことはありません。
〔つまりイエスは、生前にも、復活後にも、弟子たちに洗礼を授けるよう命じておられない、ということになります。〕
〔歴史的事実としては、〕イエスが〔復活後に〕天に行かれた後になって、弟子たち〔つまり原始教会〕は〔ヨハネ教団から洗礼を受け継ぎ、〕自分たちに仲間入りをする人に対して、〔入会儀式として〕洗礼を授けることを始めました〔。
そして、その後、パウロが洗礼に新しい意味(「イエスの死への洗礼」)を付与したのであります〕(注5)。
使徒パウロはアナニヤから洗礼を受けましたが、パウロ自身は〔、原則として〕人に洗礼を授けませんでした。ただ、〔時に〕自分の弟子に洗礼を授けさせたようであります(コリントⅠ 1:14~16参照)。
イエスにしてもパウロにしても、教えを説くこと(福音宣教)が主(おも)な働きであつた。
洗礼を否定したわけではないけれども、それを非常に大事なことのように思って、熱心に奨励(しょうれい)されるとか、実行されたということはないようであります(コリントⅠ 1:17参照、注6)。
しかし、その後、教会内に〔遵守(じゅんしゅ)すべき法〕制度としての洗礼〔式〕が成立したことを理解するために、私どもはまず、聖書にしばしば出てくる《割礼(かつれい)》という儀式のことを知らねばなりません。
〔2-④〕
ユダヤ人は男の子が生れて8日目に、割礼という儀式を施すべきことが、厳格な律法の定めでありました。
割礼はユダヤ人のみでなく、アラビヤ人その他、セム系の諸民族の間に広く行われた慣習でありましたが、これも〔包〕皮を切るということ自体に意味があるわけでなく、それは一つの象徴的行為であったに違いありません。
ユダヤ人はこの民族的慣習の中に、肉を切りすてて霊に生きる意味を見出し、〔神〕ヤハヴェの選民として、ヤハヴェに属する者であることを象徴するために、割礼という制度を守るようになった。
すなわち割礼を受けることによって、ユダヤ人〔すなわち、ユダヤ教徒〕としての身分を取得するものとされました。
したがって外国人がユダヤ教徒となるため、すなわちユダヤ教に改宗してシナゴグ(ユダヤ教の会堂=ユダヤ教共同体)に属する者となるためには、やはり割礼を受けることが必要とされたのです。
ところで、イエスが天に昇られた後、弟子たちのエクレシアができて、外国人の入会が問題となって来ました時、保守的な考えを持った人々は、外国人は一度、割礼を受けてユダヤ人となってからでなければ、キリスト教会(エクレシア)に属することはできないと主張しました。
それはイエスもユダヤ人であり、弟子たちもユダヤ人であり、キリスト教はユダヤ人の中から生れて来たものであるから、ユダヤ人でなければイエスの弟子でありえないように考えたのです。
〔2-⑤〕
それに対してパウロは、
「そんなことはない。神は万民(ばんみん)の神であるから、ユダヤ人であろうともギリシヤ人であろうとも、キリストを信ずる信仰だけで、一つエクレシアに連なることができる。
まず割礼を受けてユダヤ人となってからでなければ、キリストのエクレシアに属することができないなどと、言うわけのものではない。
ユダヤ人はユダヤ人として割礼を受けたままでキリストを信ずればよいし、異邦人(いほうじん)は異邦人として割礼を受けないままでキリストを信じていればよいのであって、割礼はエクレシアに属する要件ではない。
ユダヤ人が割礼をやめる必要もないが、異邦人がこれを受ける必要もない。」
というのがパウロの態度でありました。
そして、その後のキリスト教会の歴史においてパウロの割礼無用論が勝利を占(し)めたのであります。
〔2-⑥〕
イエスを信ずる者のエクレシアが始めてできた頃には、次の二つの事柄がその前にありました。
第一は、ユダヤ人のシナゴグ(会堂)に入会するためには割礼という儀式。
第二に、ヨハネの弟子となるためにはバプテスマ(洗礼)という儀式。
そこで、イエスの弟子たちのエクレシアに新たに入会を認める時には、どのような儀式を用いるのがよいか。
それについて、彼ら〔初代の信徒たち〕は割礼という儀式をすてて、ユダヤ教からの分離を公然とすると共に、〔ヨハネ教団から〕バプテスマという儀式を採用して、キリスト教が洗礼者ヨハネの後継者であることを示したのです。
そしてこの慣習が一般的となり、固定〔化〕してくるに従い、それはキリスト教会の伝統〔的儀式、すなわち教団公認の聖職者によって執行されるサクラメント(聖礼典、秘蹟)〕として伝えられるようになったのです〔。
こうして、伝統による制度的儀式化という点では、他宗教の場合とほぼ同様の経過をたどったのです〕。
〔2-⑦〕
このように〔キリスト教の〕バプテスマというものは、当時行われていた〔ヨハネ教団の〕慣習を利用して、一つの原理を象徴した儀式であります。
それは、あくまでも〔キリストを信じて、古い自分に死に、新しく生まれ変わることの〕象徴であります。
〔象徴〕だから、洗礼の方式にも色々ある。
水の中にずぶりと頭までつけてしまうのもあり〔、これを浸礼(しんれい)という〕、頭の上にほんの2、3滴水を垂らすのもある〔。これを滴礼(てきれい)という〕。〔このように色々な方式があるのは、〕つまり、それは象徴だからなのです。
だから、キリストを信じてキリストと共に死に、キリストと共に復活するという信仰を象徴するために役立つような形式であるならば、何も水をぶっかけなくても済むかもしれない。
他の形式でもよいはずなのです。
たとえば沙漠の真中ならば砂を〔頭に〕ぶっかけてもよいだろうし、密林の中ならば木の葉っぱで頭を撫(な)でてもよいだろうし、新しい方式は、その時その場合に応じて発見できるでしょう。
もしも、洗礼よりももっと現代に適した方式が考えられて、それが一般に行われて来るならば、旧い伝統がすたれて、新しい伝統が起るということもありえることなのです。
〔2-⑧〕
さらに一歩進んで考えて、エクレシア(神の教会)に属するためには、何も定まった形式(儀式)はいらない。
自分は、神の恩恵によりイエス・キリストをわが救い主と信じます。自分は今までの人生の方向が間違っていたことを認めます。
自分は今まで罪に仕(つか)え、この世に仕え、肉の情欲に仕えてきた者でありましたが、今日以後はキリストに仕え、神に仕え、義に仕えてまいります、という決心を表白すればよい〔のです〕。
決心しなければダメだ。決心しても、黙っていてはダメだ。
黙っていては、客観性を持ちません。何も教会に来て言う必要はありませんが、自分以外の誰かに自分の信仰を言い表わせばよいのです。
それにより、エクレシアに連なることが主観的にも客観的にも成立する。
洗礼は信仰により古い自己に死んで新しい自分に生きる象徴でありますから、イエスの弟子となってエクレシアに加入するために、この形式を用いてもよいし、他の象徴である形式を用いてもよいし、あるいは特別に決まった形式を用いなくてもよい。
洗礼を受けたければ受ければよいし、すでに受けた者はそれを取消す必要はない。さりとて、まだ洗礼を受けない者が強(し)いてこれを受ける必要もない。
洗礼を受けた者は受けたままで、受けない者は受けないままで、イエスの弟子となることができます。
洗礼も無益、無洗礼も無益であり、益あるものは、ただイエスを信ずる信仰だけであります〔。
すなわち、主イエスを信じて日々、《神の言葉》によって霊魂を養われ、祈りによってキリストの生命(いのち)を呼吸する。そして、主を告白しつつ、主の御足(みあし)の跡(あと)に従う。
それだけが有益なのである。
生けるキリストと私どもの関係は、《我(われ)と汝(なんじ)》の出会いと結合の関係であり、徹頭徹尾(てっとうてつび)、人格的・霊的なものです。両者の間に非人格的・物質的な礼典儀式が介在(かいざい)する余地は無いのです〕。
パウロが割礼問題について言ったことを、私どもは洗礼問題について言うことができると思うのであります。
〔つづく〕
♢ ♢ ♢ ♢
(矢内原忠雄 1947〔昭和22〕年3月30日内村鑑三記念講演(今井館)「無教会早わかり」、『嘉信』第10巻第4号1947年4月収載、矢内原忠雄著『内村鑑三とともに』矢内原勝編集、東京大学出版会、1962年収載。一部表現を現代語化。( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による)
注1 アウグスブルク信仰告白は「説教」と「聖礼典(サクラメント)」 を「教会の標識」とする
「唯一の聖なるキリスト教会は、つねに存在し、存続すべきである。それは、全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典(サクラメント)が福音に従って与えられる。」(石居正己訳『アウグスブルク信仰告白』聖文舎、1979年、「第7条 教会とその一致について」14項より。下線は引用者による)
注2 現代プロテスタント教会(制度教会)の教会観:説教と聖礼典を行うことが教会のしるし
「『福音を説教し、聖礼典を与える』のが教会の機能、働きの基本、中心にほかならない。
〔1530年のアウグスブルク信仰告白 第7条に従えば、〕教会はこれらを行うところと言われるし、これをするかどうか、これを純粋に、行うかどうかが、教会であるかないかのしるしにさえなる。
福音を宣教しないもの、その福音にふさわしく聖礼典〔洗礼、聖餐〕を与えないものは、外見がどれほどすばらしく、人間的な理念や活動がどれほどすばらしくても、教会ではないと知らなければなるまい。」
(徳善義和『アウグスブルク信仰告白の解説』聖文舎、1979年、70項「七、教会を教会たらしめるもの(第7条)」より引用。〔 〕内の補足、下線は引用者による)
以上のように、説教と聖礼典(洗礼、聖餐の儀式)が「教会の標識」であると主張する、制度教会(プロテスタント教会)の教会観は、16世紀のルター派の信仰告白(アウグスブルク信仰告白)に由来するものであって、聖書、なかんずくイエスの言葉*に遡源(そげん)するものではない。
*〖教会(エクレシア)とは何か〗-イエスの言葉、パウロの教え-
「『ふたりまたは三人が、わたし〔イエス〕の名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである』(マタイ18:20)。そこに教会はある。」(K.バルト『教義学要綱』新教出版社、1993年、177項。原著:Karl Barth,Dogmatik im Grungriss(1947)、〔 〕内の補足、下線は引用者による)
「教会(エクレシア)、信徒の交わり、それはまさに信徒自体である。・・
彼(パウロ)は、教会(エクレシア)の概念を『制度』あるいは組織として、または制度的な団体等として考え〔てい〕ない。
教会(エクレシア)はキリストの体であり(ローマ書 12:5)、その肢(えだ)は信徒であり、それを結合する統一は(エペソ書 4:4以下)、主であるキリストご自身である(コリントⅠ10:16、12:27)。
教会(エクレシア)とは、全く人格的な概念であり、もっぱら人格から成っているのである。・・
教会(エクレシア)は、キリストの中にあるがゆえに統一体なのである。
イエス・キリストは、個々の信徒を結合する統一である(エペソ書 4:15、16)。同様に聖霊は全体を統合する統一であると言うことができる(コリントⅠ 12:4以下、エペソ書 4:4以下)。さらに愛は結合するものである。・・
教会(エクレシア)は組織や制度ではない。教会は主キリストによって結ばれた信徒の交わり以外の何ものでもない。・・
教会(エクレシア)は、その宣べ伝える言葉(説教)またはその礼典から理解されるべきではない〔キリストから、理解されるべきである〕。・・
宗教改革以来一般に行われてきた、〔アウグスブルク信仰告白 第7条の、〕「教会は神の言葉が正しく説かれ、聖礼典が正しく執行されるところにある」というその(教会の)本質に対する〔非人格的、機能主義的=律法主義的な〕定義は、異邦人の使徒であるパウロの全く考えていなかった〔ものである〕。」
(E.ブルンナー『ロマ書』新教出版社、1954年、260~261項「教会・信徒の交わり」抜粋。原著:Emil Brunner,Der Römerbrief(1948)、( )、〔 〕内の補足、下線は引用者による)
注3 イエスの《開かれた食卓》
イエスは罪人や徴税人たちをありのまま、無条件で受け入れた。宗教的儀式を含め、特定の行為を彼らに要求しなかった
「イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。
そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。
多くの徴税人や罪人(つみびと)もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。
ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、『どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか』と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。
『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである』。」(マルコ福音書 2:13~17)
注4 いわゆる《宣教命令》(マタイ28:19以下)は、後世の付記(補遺)
(1)《宣教命令》の言葉は後世の教会による
「イエス自身はバプテスマを自ら施(ほどこ)したことはない(ヨハネ4:2は、3:22を訂正している)。
キリスト教会のバプテスマ(水の洗礼式)は、イエスの十字架と復活を経た後に、教会の中に定着した。
その現れとしての復活のイエスの命令(マルコ16:16、マタイ28:19以下)が語られている。もっとも、これらの語自身(「復活のイエスの命令」とされている言葉)は後の教会の立場から書かれたものである」(『新聖書大辞典』キリスト新聞社、1971年、1097項からの引用。( )内、下線は引用者による)。
(2)《宣教命令》はマタイの編集句
日本を代表する新約聖書学者の荒井献(ささぐ)は、以下のように述べ、いわゆる《宣教命令》は、福音書記者マタイの編集句、つまりマタイによる付記であるとしている。
「顕現〔つまり復活〕のイエスによる弟子派遣の記事(マタイ28:16~20)は、マタイの編集句。
『父と子と聖霊の名による洗礼を授けなさい』(28:19)という文言は、その中に出てくる(マルコ16:16をも参照。ただし、16:9~20はマルコ福音書への後世の補遺)。」
(荒井献「洗礼と聖餐-その聖書的根拠をめぐって」『戒規か対話か』新教出版社、2016年、( )内を含め88項より引用。〔 〕内の補足、下線は引用者による)。
(3)「父と子と聖霊による洗礼」には、後代のマタイの教会の洗礼の定式が反映
マタイ福音書の成立は、紀元80~90年頃と推定されている(原口尚彰『新約聖書概説』教文館、2004年)。
マタイ福音書28章19節には、福音書記者マタイの教会(教団)で当時行われていた洗礼の定式が反映している、と考えられている。
「ここ〔マタイ福音書28章19節〕に「父と子と聖霊による洗礼」という言葉が見えるが、これはずっと後にマタイの教会において行われるようになった洗礼の〔三位一体の〕定式がここに反映されたものであることが、はっきりしている。
〔マタイ28:19以外には〕使徒言行録の中に、洗礼の記事がいくつか出てくるが(2:38、8:16、10:48、19:5、22:16)、これはいずれも「イエス・キリストの名によるバプテスマ」または「主イエスの名によるバプテスマ」であり、これが本来の姿(洗礼の呼び方)であったと思われる。・・・〔この洗礼の呼び方により、〕イエスの弟子とされた者に与えられる恵みが、簡潔かつ的確に示されたのである。
しかし後に、古代教会によって「父と子と聖霊」という三位一体の神観が〔次第に〕確立されるに及んで(2世紀に入り、父と子と聖霊の三位一体定式が一般的になり*、紀元325年のニカイア信条にて三位一体の教義が確立)、これが洗礼の定式(呼び名)に持ち込まれ〔、最終的にマタイ28:19の洗礼命令に反映され〕たのであった。」(「マタイ福音書におけるイエスの顕現(けんげん)物語」『高橋三郎著作集 最終刊』教文館、2012年、458項、『十字架の言』2000年6月号所載。*は『新キリスト教辞典』いのちのことば社、1991年、505項、〔 〕、( )内の補足、下線は引用者による)
(4)復活のイエスが弟子たちに水の洗礼を授けるよう命じたことはない
上記(1)~(3)から明らかなように、原始キリスト教史の研究成果によれば、「復活のイエス」の派遣命令とされる記事(いわゆる「宣教命令」)は、全体として福音書記者マタイの編集句(付記)であり、さらに「父と子と聖霊による洗礼」という言葉は、後代の教会の三位一体の教理を反映したものと言えるだろう。
結論的に述べると、「父と子と聖霊の名による洗礼を授けなさい」という文言(マタイ28章19節)は復活のイエスによるものではない、つまり、歴史的事実として、復活のイエスが弟子たちに洗礼を授けるよう命じたことはない、ということになる。
(5)イエス・キリストは《聖霊の洗礼》を授ける
「わたし〔バプテスマのヨハネ〕は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方〔キリスト〕は聖霊で洗礼をお授けになる」(マルコ 1:8)
下線部の直訳:その方〔キリスト〕はあなたたちを聖霊の中に浸(ひた)すであろう。(参考文献:岩波訳「マルコによる福音書」 4項 注2)
無くてならないものは、キリストによる《聖霊の洗礼》、つまり霊的新生である。
注5 洗礼の意味の展開
パウロは水の洗礼に関し、イエスとの共死・共生の思想を「死への洗礼」として展開している。
(荒井献「洗礼と聖餐-その聖書的根拠をめぐって」『戒規か対話か』新教出版社、2016年、89項。ローマ6:3~4参照。下線は引用者による)
「〔洗礼者〕ヨハネのバプテスマがキリスト教のバプテスマの直接の起源であることは、確かである」(前掲『新聖書大辞典』、1097項。下線は引用者による)。
「〔イエスの復活・昇天後に〕成立しつつある〔原始〕キリスト教は洗礼を、洗礼者ヨハネの教団(ヨハネ教団)から「入信儀礼」として受容した。その時期については・・、少なくともパウロは信徒を受洗者と見なしているので、〔紀元30年以後、〕50年代以前であり・・」
(荒井献『初期キリスト教の霊性』岩波書店、2009年、70項より引用。( )、〔 〕内、下線は補足)
注6 パウロ、洗礼を授けず
「キリストは私〔パウロ〕を、洗礼を授けさせるためにではなく、むしろ福音を告げ知らせるために、遣わされた」(コリントⅠ 1:17)
「〔コリントⅠ1:〕14~16は、パウロが〔原則として〕洗礼を授けなかったことを語っている。ただ例外的に、パウロはクリスポとガイオには洗礼を授けたことを認める」
(『新共同訳 新約聖書略解』日本基督教団出版局、2000年、432項。〔 〕内の補足、下線は引用者による)