イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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4月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
4月11日~4月15日
(2017年5月7日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【4月11日】神と永遠(キリスト教の二大前提)
〔神〕ヤハウェは、こう言われる、
「天はわが王座、
地はわが足の台座。
一体どこに、
あなたたちがわたしのために立てる家〔―神殿―〕はあるのか、
一体どこに、
わが憩(いこ)いの場所はあるのか。
これら〔天地の〕総(すべ)ては、わが手が造り、
だからこれら総ては存在するのだ、
〔神殿ではなく、天地こそ、わが住み家なのだ〕
―ヤハウェの御告(みつ)げ―。
このような者に、
私は目を留(と)める、
すなわち、〔被造物としての、己(おのれ)の限界を知り、〕へりくだった者、
心砕(くだ)かれた者、
わが言葉に戦(おのの)く者である。
(イザヤ書 66:1~2 岩波訳)
■神と永遠〔の世界の存在〕。
この二大信念がなければ、偉大なることは〔起こり得〕ない。
大(おお)いなる悲嘆(ひたん)もなければ、大いなる歓喜もない。
大いなる煩悶(はんもん)もなければ、大いなる平和もない。
大いなる悲鳴も揚(あ)がらなければ、大いなる賛美も起こらない。
〔生ける真(まこと)の〕神と永遠〔の世界〕に関する深く確実な信念がなければ、大いなる文学も起こらなければ、大いなる改革も行われない。
この二大信仰がなければ、人生は平々坦々(たんたん)、実に味気(あじけ)ないものである。
アウグスティヌスの〔キリスト教〕神学といい、ダンテの〔長編叙事詩〕『神曲』といい、ルターの宗教改革といい、クロムウェルの自由政治(ピューリタン革命による共和制)といい、皆この二大信仰があって初めて起こったものである。
偉人とは、ほかの者ではない。人を恐れず、神を畏(おそ)れる者である。希望を現世(げんせ)につながず、来世(らいせ)につなぐ者である。
単に世界的であることが〔そのまま〕、真(まこと)の偉人〔であることを意味するの〕ではない。
〔神の存在を信じて〕神人的〔となり〕、〔来世の存在を信じて〕永久的となるに至って、人は初めて真の偉人となるのである。
(原著「キリスト教の二大前提―神と永世―」1909年、信15・113)
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【4月12日】神ヤハヴェが共にいて
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【4月13日】イエス・キリストの父である真の神(神本位の信仰)
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究(きわ)め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、その報(むく)いを受けるであろうか。」
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。
栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
(ローマ書 11:33~36)
■イエス・キリストの御父である真(まこと)の神は、〔全知全能の神として、〕人にかまわず、ご自身の聖旨(みむね)を実行される。
その意味において、神は独裁君主である。
神は神ご自身のご計画に従って万物(ばんぶつ)を創造し、〔また、〕人〔間〕を創造して、ご自身のご計画を実行される。
〔人間は決して、万物の尺度でもなければ、万物の中心でもない。〕
神〔のご栄光〕のための人〔間〕であって、人〔間の幸福〕のための神ではない。
〔この宇宙は神本位であって、人本位ではない。〕
天と地〔、すなわち全宇宙〕と、その内にあるすべての物は、神のために創造されたのであって、人〔間〕のために創造されたのではない。
それゆえ、人の生涯もまた、神のご計画を成し遂(と)げるために価値があるのであって、〔自己の〕幸福を楽しむためのものではない。
私がもし、本当に私の存在意義を悟(さと)るならば、私〔個人〕が恵まれるか、恵まれないかは〔、第一義的な〕問題ではない。
私の生涯によって神の聖意(みこころ)が少しなりとも実現すれば、それで私が〔この〕世界に遣(つか)わされた目的は達成されたのである。
〔その意味で、〕私は、どうなってもよいのである。神の御事業が成れば〔、それで〕よいのである。そして私の生涯が神の御事業達成のために少しなりともお役に立つならば、私の光栄〔は〕この上なし、である〔。
この心を持つことができることが、幸福の絶頂である。〕
私に欲があってはならない。あるいは私の欲はただ一つにならねばならない。すなわち、神の聖意が実現してほしいとの欲〔が〕、それである(注1)。
§ § § §
(原著「神本位の宗教」信15・95)
注1 真の解放
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