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イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2025年1月18日
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土の器(縄文土器)
鹿児島県上野原遺跡
もろくて弱い土の器(うつわ 注1)
こんな私が愛されているのは
神がこの世に私を造られたからです
みにくく卑(いや)しい土の器
こんな私が生かされているのは
こんな私のために
イエスが死なれたからです
私をこの世に生かすもの
それは神の御手(みて)です
私をこの世に支えるもの
それは神の愛・イエスの愛
唯一(ただひと)つの同じ愛です
世の創(はじ)めより備えられた
神の愛の確(たし)かさが
私の心を深く打ちます
♢ ♢ ♢ ♢
(竹内英子『希望』浜松聖書集会、溝口正編集、1990年)
注1 土の器(つちのうつわ)
「わたしたちは、この宝(神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝き)を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮(きゅう)しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。」(コリントⅡ 4:7~11 口語訳)
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