日々のかて010〖明日のことを心配するな〗
ものごとは実際に出会ってみると、それまで考えていたものとは全然ちがっているということがよくある。
●遠くから見ると解決不能と思われる問題も、実際に直面し、解決せざるを得ないとなると、不思議に解決策が見つかるものである。
「とてもできない」と言っていたことが、どうしてもやらねばならいとなると、なんとかできるようになるというのは、実に不思議なことである。
エジソンは言った、「困難なことと不可能なことの違いは、不可能なことの方が、少しばかり余計に時間がかかるというだけのことだ」と。
不可能と見えたことも、いざやらねばらなないとなると、なんとかやることができる。人生には、しばしばこういうことがある。
このことは、われわれに励ましを与える。
●ただし、その際に最大の障害となる、われわれの内なる敗北主義に注意が必要である。
敗北主義の声は、いつも、「そんなことは無理に決まっている」と言うからである。
17世紀イングランドの王党派詩人ジョン・サックリング(John Suckling 1609-1642)は、青白い顔をして絶望している青年に対して、健全な忠告を与えている。
明るい顔が彼女〔の心〕を動かさぬとき 暗い顔なら動かすのか?
しかし、キリスト者は、楽観主義者のはずである。なぜなら、神の恩恵が彼の後ろ盾(だて)だからである。
●将来の、耐えがたく見える悲しい出来事も、実際に出会ってみると、案外(あんがい)耐えられるものだ。
人の不幸を見聞し、それと同じ事が自分の上に起こったなら、自分はとても生きていけないだろうと思うことがある。
だが、実際は、なんとか生きていけるものである。
実際に、ぶつかってみなければどこまで耐えられるか、前もって誰にも分からない。
また、神の助けがどのようなものかは、実際の絶望的な状況の中から神を呼んでみなければ、分からない。
■この問題について、イエスは、わたしたちに対し同情に溢れた教えを語っている。
「明日のことを心配するな。明日は明日が自分で心配する。一日の苦労は、その日の分で十分である」(マタイ:34)
祈り 《神さま。わたしの人生に対するあなたの聖計画(ごけいかく)と導きに信頼し、明日のことを思いわずらうことなく、今日与えられた仕事と課題に力を注いで歩むことができるようお導きください。アーメン。》
(参考文献 D.Duncan: Through the Year with William Barclay Devotional readings for every day,1971)
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