― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年11月11日
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10月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
10月21日~10月25日
(2017年 11月22日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【10月21日】キリストの福音を要約すれば(キリストの福音)
「キリスト・イエスは、罪人(つみびと)を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。
わたしは、その罪人のかしらなのである。
しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。
世々の支配者、不朽(ふきゅう)にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。 (テモテ第一 1:15~17 口語訳)
■キリストの福音(ふくいん)を要約すれば、こうである。
すなわち、キリスト・イエスは罪人を救うために〔この〕世に来てくださったとのことである。
これは、確かに喜びのおとずれである。罪人が信ずべき、また全身全霊で歓迎すべき音信(おとずれ)である。
〔なぜなのか、〕その哲学的説明を待つ必要はない。
それ(福音)が、罪人の最も渇望(かつぼう)する音信であるがゆえに、彼は熱情をもって、これを〔信じ〕受けるのである。
キリストの福音は、罪人のための福音である〔。自ら善人と誇る者のためのものではない〕。
ゆえに罪人でない者、すなわち自分が罪人であることを認めない者は、この福音を信じず、また全身全霊で歓迎しないのである。(注14・40)
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【10月22日】キリスト教はどう見ても
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