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9月<内村鑑三「一日一生」現代語訳

 

9月16日~9月20日

(2017年 10月25日更新)

 

このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。

【9月16日】神のことばは、事実である(事実の信仰)

預言者〕エレミヤがなお監視の庭に閉じ込められている時、主(ヤハヴェ 注1)の言葉はふたたび彼に臨(のぞ)んだ、

地を造られた主、それを形造って堅(かた)く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰(おお)せられる、

わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。

そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す」。

(エレミヤ書 33:1~3 口語訳)

神のことばは、事実である神の議論は、事実である。神の証明は、事実である

神は大〕声を出して語られない。黙って、事実によって語られる

 

戦争の結果(事実)によって、〔神は〕戦争が誤りであることを論証される。

 

教会の実情(事実)によって、〔神は〕教会が誤っていることを示される。

 

浅薄(せんぱく)〕議論をやめよ、人よ。ただ〔、謙虚に事実を〕見よ。見て〔、深く神の御心(みこころ)を〕(さと)(注2)

そして〔、悔い〕改めよ(注3)

神は耳から、眼から、鼻から、口から、実に、〔君の〕上から、下から、地〔上〕の四方から、事実によって君に迫っておられる〔のだから〕。

(信7・36)
 

§ § § §

注1 (しゅ)
ヘブライ語聖書の原文では、「ヤハヴェ」。

注2 事実の信仰

​無教会入門006 内村鑑三〖事実の信仰〗へ

注3 悔い改める

​「悔い改める」とは、後悔するなどという心情的なことではなく、神の前に心の向きを根本的に変えること(方向転換すること)。

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【9月18日】われらは皆、遠からず

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