― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年11月11日
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9月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
9月11日~9月15日
(2017年 11月5日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【9月11日】ああ、キリストの自由よ!
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【9月12日】ひとたび罪を犯したら(絶望と希望)
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。
主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのでは〔決して〕ありません。
そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、〔主は〕あなたがたのために忍耐しておられるのです。(ペトロ第2 3:8~9)
■ひとたび罪を犯したら、わたしは〔己(おのれ)の罪を悔(く)い、〕起(た)ってわが父〔なる神のもと〕に〔帰り〕行(ゆ)こう。
ふたたび罪を犯したら、〔ふたたび、〕起ってわが父〔のもと〕に行こう。
七たび罪を犯したら、〔それでも、〕起ってわが父〔のもと〕に行こう。
七たびを七十倍するまで罪を犯したら、〔それでもなお、〕起ってわが父〔のもと〕に行こう〔。あの《放蕩(ほうとう)息子》のように。注1〕
わが父〔なる神〕の愛は、無限である。
神は、わたしが〔罪の中に〕滅び去ることを望まれない(注2)。神はわたしについて、永久に絶望されない。
それゆえ、わたしもまた自己に絶望することなく、神の無限の愛を信じて、ためらうことなく今日(きょう)、起って神〔のもと〕に行こう。〔わが友よ!〕 (ルカ福音書15:18)。
(信7・40)
§ § § §
注1 放蕩(ほうとう)息子のたとえ
ルカ福音書 15:11~24参照。
注2 キリストの福音(ふくいん)
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人(つみびと)を招くためである」とキリストは言われた。
罪に心痛む良心にとって、キリストの福音(ふくいん)は何という喜びの音ずれだろうか。
実に、信じがたいほどの恩恵(めぐみ)である。しかし、われわれの救いは、この福音をおいて他(ほか)にない。
たとえ全世界の人が皆、わたしを捨て去っても、もし、わたしが自分を捨てないならば、わたしを捨てない者が二人いる。
神とわたしと。
神は決して、人を捨てない。一人も捨てない。それがキリストの福音である。
(参考文献:三谷隆正「絶望罪」『信仰の論理』新教出版社、1970年)
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【9月13日】神の教えであるキリスト教は
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