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11月<内村鑑三「一日一生」現代語訳

 

11月11日~15日

(2018年 12月23日更新)

 

このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。

【11月12日】既成の贖罪

主は言われる。

さあ、〔互いに〕論じ合おう。


あなたがたの罪がたとえ緋(ひ)のようでも

雪のように白くなる。

たとえ(くれない)のように赤くても、

羊毛のよう白くなる。

(イザヤ書  1:18~17 聖書協会共同訳)

確かに、神の側では〔、人の〕罪は〔すでに〕取り除かれたのである。

神がキリストを通して世〔の人々〕を見られる時、彼はその中に罪なるものを認めないのである。

紅のようなキリストの〔十字架の〕血〔潮〕によって、われわれの緋のような罪は〔洗われ〕、すでに雪のように白くされたのである。

 

反対に〔今、贖(あがな)い主〕キリストを通して神を仰ぐとき、彼(キリスト)にあってすでに、われわれの罪が拭(ぬぐ)い去られたことを、われわれは発見するのである。

贖罪(しょくざい)未完のことではない。既成(きせい)のことである。

あとに〕残されたのは、ただ、神に対する人の態度の方向転換〔のみ〕である。

 

つまり、〕神に背を向けずに、キリストを通して自らの顔を〔神に〕向けるとき、われわれは、すでに神の眼中にわれわれの罪の無いことを知るのである〔。

 

そして、神によって既になされた罪の赦しを感謝して受けとめること、そのことが信仰である〕。  

 

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「罪の洗浄」1913年9月、信6・38項の抜粋を現代語化、( )、〔 〕内、下線は補足)

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【11月13日】内と外の一致

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