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7月<内村鑑三「一日一生」現代語訳

 

7月11日~7月15日

(2018年 8月18日更新)

このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。

【7月14日】人生の負債

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【7月15日】イエスの伝道

ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音(ふくいん)を宣(の)べ伝えて言われた、

時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

(マルコ福音書 1:14、15 口語訳)

イエスの伝道は、《福音》すなわち神の御言葉(みことば)の宣教によって始まった。

奇跡(きせき)によって始まらなかった。


福音の〔主〕要部〔分〕は、〔神の愛と真実を伝える〕御言葉である。〔神の御言葉と比べれば、〕奇跡は、福音の添(そ)えものにすぎない。

 

イエスの奇跡は、苦しむ人々を前にして迸(ほとばし)り出たイエスの愛の業(わざ)である。しかし、〕

イエスは、ご自身の伝道において決して、奇跡を重視されなかった。

奇跡は人々の耳目(じもく)を集めても、必ずしも、人々に悔い改め新しき生(神への一筋の信頼-信仰-)をもたらさない。注1〕。


悪魔の誘惑に従(したが)い、先ず奇跡をおこなって人々の〔前にエサを撒(ま)いて、彼らの〕注意を引き〔つけ〕、その後に彼らに〔神の〕道を説(と)くことを、イエスはされなかった。

 

むしろ、イエスはまず、〕「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と〔人々の魂に深く語りかけたのである〕。

これが、イエスの伝道の神髄(しんずい)である。


悔い改めて福音を信ぜよ」-

これまで、自己をすべての中心に据(す)え、自らの創造主である〕神に対して反逆の罪を続けてきた〔、その人生〕態度を改め〔、方向転換をせ〕よ。

そして天の父〔なる神〕は君が〔ご自身のもとに〕帰り来るのを待ちわびておられる〔のだ〕とのことば〔、この喜びの知らせ-福音-〕を信ぜよ、と(注2)。

イエスは、そう宣べ伝えた。注3〕。

これが〔イエスの〕福音の神髄である。

* * * *
(注15・32。〔  〕、(  )内、下線は補足)

注1 神への一筋の信頼-信仰-

近代の預言004三谷隆正〖現代教会の最大欠陥〗

注2 放蕩息子と父の愛の物語
ルカ福音書 15:11~32参照。

注3 わたしのもとに来たれと主は呼ぶ

「労苦する者、重荷を負う者はすべて、わたし〔イエス〕のもとに来たれ。

わたしはきみたちを休ませてあげよう」(マタイ福音書 11:28 杉山好訳)

讃美歌517番(われ)に来よと主は今クリックしてYouTubeへ

歌 詞
1.
(われ)(こ)よ」主は今、
やさしく呼び給
(たも)う。
などて愛の光を 避けてさ迷う。

​※ おり返し
「帰れや、わが家
(や)に帰れや」と
主は今、呼び給
(たも)う。

2.
疲れ果てし旅人
(たびびと)
重荷
(おもに)を下ろして、来(き)たり憩(いこ)え、
わが主の愛の御許
(みもと)に。

​※ おり返し

3.
(まよ)子らの帰るを
主は今、待ち給
(たも)う、
(つみ)も咎(とが)もあるまま、
(き)たり ひれ伏(ふ)

※ おり返し

現代語訳
1.
「わたしのもとに来たれ」と主〔イエス〕は今
  優しく〔君を〕呼んでおられる。
どうして、〔君は主の〕愛の光を
避けて〔人生の荒野を〕さ迷うのか。

​※ おり返し
「帰れ、わが家に帰れ」と
主は今〔、君を〕呼んでおられる。

2.
疲れ果てた〔この世の〕旅人よ。
重荷を下ろして、来たり憩
(いこ)え、
わが主の愛の御許
(みもと)に。

※ おり返し

3.
〔人生の道に〕迷う子らが帰〔り来〕るのを
主は今〔か、今かと〕待っておられる、
罪も過
(あやま)ちもある〔その〕まま〔で〕
〔御許に〕来
(き)たり ひれ伏(ふ)せ。

※ おり返し

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