イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
■上の「ネットエクレシア信州」タッチでホーム画面へ移動
Move to home screen by touching “NET EKKLESIA” above.
最終更新日:2024年12月7日
■サイト利用法はホーム下部に記載
* * * *
◆〔神を信じたからといって〕恩恵は、直(ただち)に〔信じる者のもとに〕来るものではない。〔むしろ恩恵は、〕困難を通して来るものである。
困難は、恩恵を〔われらの〕身に呼ぶための〔、無くてはならない〕中間物である。
燃料がなければ〔燃える〕火もないように、困難がなければ〔まことの〕信仰も歓喜もない〔のである〕。
火に先立つものは、煙である。
〔同様に、〕信仰に先立つものは、疑懼(ぎく、懐疑と恐れ)であり、煩悶(はんもん)である。
〔先ず〕これ〔ら〕があり、〔そして、〕これ〔ら〕に天からの火が点灯して始めて、天からの平安と喜悦(よろこび)とがわれらの心(霊魂)に臨(のぞ)むのである。
困難を経(へ)ずに深き信仰を得ようとするのは、まず煙を見ずに光と暖(だん)を得ようとするのと同様であって、〔きわめて〕難しいことである。
◆それゆえに、われら、神の心を知る者は、困難の到来を見て、決して驚いてはならない。
これ(困難の到来)は、恩恵の先駆けである。〔それは〕真(まこと)に、恩恵の始まりである。
今や光明(こうみょう)が潮(うしお)のごとくに〔われらの〕心に充(み)ち溢(あふ)れるのに先立って、暗く見える天の〔御〕使(みつか)い〔すなわち、困難〕が来て、われらの頑固(かたくな)な心の水門を打ち破るのである。
〔しかし、〕われらは無知のゆえに、時に、この天使を拒(こば)み、彼が運んで来る恩恵までも斥(しりぞ)けようとする。
実に憐(あわ)れむべきは、〔イエス・キリストの父なる〕神の心を識(し)らない人である。
◆「神は〔打ち〕砕(くだ)かれた心を喜ばれる」と〔聖書にある。注1〕。
なぜなら〔硬い土壌は〕、まず砕かれなければ〔蒔かれた〕種を受け〔入れ〕ることができないからである。
農夫は知っている。硬土の粉砕が深ければ深いほど、果穀の生長が良好となることを。
神もまた、知っておられる。〔人の〕心の粉砕が深ければ深いほど、神の道の生長が良いことを。
〔それゆえ、困難の中にある友よ。忍耐して、恩恵の神を待望しようではないか。〕
♢ ♢ ♢ ♢
(『聖書之研究』44号「所感」、1903〔明治36〕年9月17日を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)
注1 心の打ち砕かれた者
「正しき者が叫ぶと、主は聞き
あらゆる苦難から助け出した。
主は心の打ち砕かれた者に寄り添い
霊の砕かれた者を救い出す。」
(詩編 34:18,19、聖書協会共同訳)
「あなたはいけにえを好まれません。
焼き尽くすいけにえを献(ささ)げても、あなたは喜ばれません。
神の求めるいけにえは砕かれた霊。
神よ、砕かれ悔(く)いる心をあなたは侮(あなど)りません。」
(詩編 51:18,19)
- 033-