イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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* * * *
私の若い友人に、国会議員を2期勤めた元「社会党」の闘士(とうし)がいた。
彼の母は浜松聖書集会に出席した無教会キリスト者で、召天(しょうてん)の際には、私が告別式を司(つかさど)った。
彼は憲法第九条厳守を公約の中心に掲(かか)げて当選したが、途中で社会党が路線転換をしたのに伴い、彼もその路線に追随(ついずい)した。
彼を心から応援していた私は、事務所を訪ねて真意を質(ただ)したが意見の一致をみることができず、その時点で応援を中止した。友人関係も年賀状を交換する程度の疎遠(そえん)なものとなった。
しかし、彼のために祈り続けることは忘れなかった。
彼は〔次の〕選挙に落選し、政界を去って専門の研究者の道に戻った。
その後、秀(すぐ)れた研究者であった彼が、ある新聞の論壇(ろんだん)に「日本のうなぎ」の将来を憂(うれ)いて書いた文章を読んで、その健在さを陰(かげ)ながら喜んだ。
それから間もなく、彼が脳内にできた腫瘍の治療をするため、浜松医大に入院しているとの思いもかけぬ知らせを耳にしたとき、頑健(がんけん)な彼を知る私には、直(ただ)ちにその言葉を信じることはできなかった。
しかしそれが事実であることを確認した私は、遅ればせながら彼を見舞った。
7次にわたる抗癌(がん)剤投与と、困難で苦しい手術にも耐えぬいて、一時退院を許されるまでに回復したかに見えたが、間もなく再入院(今度は聖隷(せいれい)三方原(みかたばら)病院)の身となった。
私はそのことを全く知らなかったが、偶然というべきか、神のお計(はか)らいというべきか、聖隷病院の廊下で彼の親しい友人とばったり出会い、再入院を知ったのであった。
私は直ちに彼の病室を訪ね、二度目の見舞いをすることができた。
そのとき不思議なことが起った。
彼は何を思ったのか、私の手を両手で固く握りしめて放そうとしなかった。それは月並(なみ)な握手ではなかった。
私は彼が、牧師から聖書の話を聞いていることを知っていたので、彼が両手で私の右手を握っている上に私の左手を重ねて、神が共に在(いま)し彼を支え給(たま)わんことを祈った。
彼は〔祈りに〕「アーメン」と唱和(しょうわ)して、ようやく手を放してくれた。
3回目の訪問のときは、彼はすでにホスピスに移されていた。末期癌との医師の判断による処置で、彼もそれを希望したと聞く。
私が彼を見舞って帰ろうとすると、彼は私を引き留(と)め白(ホワイト)ボードの上にマジックで「私の命は、あと1週間か10日位しかない」と書き、しきりに何かを訴えようとする姿が、ありありと伺(うかが)えた。
死との戦いが急迫(きゅうはく)を告げていることを察知した私は、踵(きびす)を返して椅子(いす)に腰掛け彼と対座し、率直にキリストの復活(死に対する勝利)と永遠の生命(いのち)について語った。
私はその時示されたヨハネ福音書の次の聖句を、はっきりした口調(くちょう)で彼に告げた。
〔キリストは、こう言われた。〕
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。…あなたはこのことを信じるか」(ヨハネ 11:25~26、注2)と。
さらに続けて、「神の子キリストを信じておれば、死を恐れなくてもよい。襖(ふすま)を開けて向うの部屋へ行くようなものらしい。
生死のことは救主(すくいぬし)キリストに委(ゆだ)ねて、安心しなさい」という趣旨のことを、手短かに話して彼の手を握り、主イエス・キリストの執(と)り成(な)しを祈った。
彼はほとんど物の言えない状態であったが、「よく分かりました。ありがとうございました」と、最後の力をふりしぼるように、ゆっくりとした口調(くちょう)で礼を言った。
私は、この彼の一言(ひとこと)によって、彼が〔神の〕御国(みくに)へ受け入れられることを確信して帰途(きと)についた。
その4日後、彼は天に召された。
「わたしを信じる者は、死んでも生きる」、このキリストの御(み)言葉が、彼への送別の辞(じ)となった。
享年(きょうねん)54歳の若さであった。
今やわれらの友情は回復され、天国での再会が楽しみとなった。
♢ ♢ ♢ ♢
(『復活』第394号、1999年9月に収載。( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による)
注1 溝口 正(みぞぐち ただし)
人物紹介〖サイト主催者の自己紹介〗「信仰上の恩師紹介」へ
注2 イエスは復活と命
「イエスは言われた。
『私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも〔私とともに〕生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。〔あなたは〕このことを信じるか。』
マルタは言った。『はい、主よ、あなたが、世に来られるはずの神の子、メシア(救世主)であると私は信じています。』」
(ヨハネ 11:25~27、聖書協会共同訳)