イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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<信仰と人生
信仰に生きる 025
2018年8月16日
矢内原忠雄
〖応用の失敗〗
〔自分が〕よく教えられている信仰生活の原理を〔日常の〕実際問題に応用するとき、われらは時に〔応用に〕成功し、時に失敗する。
自分の力でなく、〔神の〕聖霊(せいれい)の助けによって正しく実際問題が処理できたとき、われらの口から神に対する讃美が〔湧(わ)き〕あがり、われらの信仰は実験(現実の経験)を経(へ)て一段と明確になる。
しかしまた、われらの知恵が足らず、勇気が足らず、信仰(神への信頼)が足らずに、みじめな失敗をなめることもある。
そのとき、われらのたましいはうなだれて、神の御前に〔あって〕はげしい羞恥心(しゅうちしん)に襲われる。
ところがこのように、われらが神の御前(みまえ)に〔自分の不足・不誠実を〕恥じて自らの罪を告白し、神の赦しを心より願い求めるとき、思いがけず神は、ご自身の憐(あわ)れみをわれらに豊かに注(そそ)ぎ、われらを神の懐(ふところ)に抱き上げ、神の深き愛をわれらに示して下さるのである。
たとえば、詩篇第32篇を見よ(注1)、〔また〕詩篇第51篇を見よ。
〔これらの詩に歌われているように〕われらの失敗はしばしば、われらの成功よりも一層近くわれらを神に近づけるのである。
実際問題の処理の失敗をわれらは恐れる必要はない。〔むしろ、〕神に対する信頼の欠乏こそ、われらは常に恐れなければならないのである。
♢ ♢ ♢ ♢
(『嘉信』第14巻・第9号、1951〔昭和26〕年9月を現代語化。( )〔 〕内は補足)
注1 赦された者の幸い(詩篇 第32篇)
「ダビデのマスキールの歌。
〔神ヤハヴェによって〕その背(そむ)きが赦され
その咎(とが)が蔽(おお)われた者に幸(さち)あれ。
ヤハヴェがその罪を数え給(たま)わない人
その心に偽(いつわ)りのない者に幸あれ。
〔あなたの御前に〕沈黙を守っていた間、わが骨は衰えはてた。
わたしは終日(しゅうじつ)うめき叫んでいたから。
というのは昼も夜もあなた(ヤハヴェ)の手は
わたしの〔良心の〕上に重かったからです。
わたしの舌はちょうど夏の炎熱にあった時のように
乾いて了(しま)った。
そこでわたしは自分の咎をあなたに告白し
自分の罪を隠さなかった。
わたしは言った、さあわたしの背きを
ヤハヴェに告白しようと。
その時あなたはわが罪と咎とを〔すっかり〕赦して下さったのです。
だからすべての敬虔(けいけん)な者は苦しみの時に
あなたに祈るでしょう。
〔たとえ〕大水が溢(あふ)れて流れてきてもその人に及ぶことはない。
あなたはわたしの避け所(どころ)です。
苦しみからわたしを救って下さる。
救いの喜びをもってわたしを囲んで下さるのです。・・」
(詩篇 32:1~7、関根正雄訳)