イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年12月7日
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私のキリスト教は《宗教》ではない。私の集会は《教会》ではない。
そう聞いて、多くの人は不思議に思うだろうが、決して不思議ではない。
〔そもそも、〕イエスの教えは決して《宗教》ではなかった。
彼がパリサイ〔派〕の徒(注1)と戦われたのは、〔実に〕《宗教》と戦われたのである。
「天の父〔なる神〕が完全であるように、完全〔な者〕となろうとする」のがイエスの教えであって〔マタイ 5:48〕、それは、この世のいわゆる《宗教》とは全く質的に異なるものであった(注2)。
〔そして歴史的事実として、イエスの言動に脅威を感じた、大祭司(だいさいし)を頂点とするエルサレムの《宗教》勢力が、民衆や異邦人ピラトまで巻き込んでイエスを十字架に付けた。
つまり《宗教》(人間)が神を裁(さば)き、《神の子》を断罪(だんざい)して死に追い詰めたのである。注3〕
〔にもかかわらず、〕イエスの教え(福音)が「キリスト教」という《宗教》となり、彼の弟子〔たち〕が《教会》という宗教団体を作った時、ここに彼が予期しなかったものが現れて、彼の御精神は完全に棄(す)て去られたのである(注4、5)。
その証拠に後世に、イエスの御精神を深く汲(く)んだ者はたいてい、教会の外に立ち、イエスのように教会に嫌われて、イエスの〔受けられた〕辱(はずかし)めを身に負い、〔宿営の〕門の外で苦難を受けた(ヘブライ13:12、13)。
ミルトン、トルストイ、キルケゴール(注6)などが、その良き代表者である。
彼らほど信仰の篤(あつ)い人〔たち〕はいなかった。しかも彼らほど、教会を嫌い、また教会に嫌われた人〔たち〕はなかった。
そして、小さき私もまた、これら信仰の勇者〔たち〕と歩みを共にすることを願う。
私もまた〔彼らと同じく〕、金襴(きんらん)の法衣を身にまとうような人を管長とも司教(主教)とも呼びたくない。これらの人と席を共にして、金杯・銀杯の下賜(かし)にあずかりたくない。
〔そして、〕ナザレの大工〔・イエス〕そのままの生涯を送り、政治家ピラトや大祭司カイアファに、神を汚(けが)す者として、ある種の十字架につけられて、一生を終わりたく願う(注7)。
♢ ♢ ♢ ♢
(『聖書之研究』345号、1929〔昭和4〕年4月10日所収の「無宗教 無教会」を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)
注1 パリサイ(ファリサイ)派
紀元前2世紀頃から、ユダヤ教はいくつかのセクトに分かれていった。
その中でパリサイ(ファリサイ)派は、イエスの時代にサドカイ派と共に民衆に大きな影響力を持ち、イエスに敵対した。
パリサイ派は知識階級のエリートで、律法(りっぽう)学者の多くはパリサイ派に属していた。
彼らは聖書の知識と宗教的敬虔(けいけん)において卓越(たくえつ)し、ユダヤ教の律法を文字通り厳格に守ること、とくに安息日や断食、施しを行うことや宗教的な清めを強調し、口伝(くでん)の律法を重視した。
パリサイ(ファリサイ)の語源・ヘブライ語「ペルシム」は「〔世俗から〕分離される者」の意である。
(参考文献:P・カルヴォコレッシ『聖書人名事典』教文館、1998年、聖書協会共同訳『聖書』教文館、2018年、「用語解説」)
注2 宗教改革者イエス
「イエスこそ最初の真の宗教改革者であった、・・。
イエスの在世当時、エルサレムの神殿に依拠(いきょ)する大祭司が、神の名によって罪の赦しを宣言する権限を握っていた。
つまり、エルサレムの神殿宗教は、唯一の救済機関(Heilsanstalt)として〔救いを独占的に管理し、〕民を支配していたのである。
しかし福音書の語るところによれば、イエスが中風の患者に向かって『人よ、あなたの罪は赦された』(ルカ 5:20)と宣言された。
これを聞いた〔宗教指導者の〕パリサイ人(びと)たちは、神のほかに誰が人の罪を赦すことができるか、と詰め寄った、と記されているが、実は大祭司の独占的支配を打ち破りイエスその人を通して〔神の〕赦しが宣言された、という事実が決定的に重要である。
だからイエスが生涯の最後の課題としてエルサレムに突入し神殿の粛正(しゅくせい)を敢行(かんこう)されたのは、その必然的帰結であったと言うことができよう。
そして、大祭司を頂点とするサンヘドリンの要人たちが、イエスの出現に絶大なる脅威を覚えたのは当然の結果であった。
彼らは救いの機関(救済機関)としての神の権限を守るために、イエスの存在を許すことができなかったのである。
こうして彼らは、総力を挙げてイエスに襲いかかり、彼を十字架の死へと追い詰めていった。
しかしイエスは、ここに結集された人間の罪を一身に受け止め、十字架の上から罪の赦しを宣言されたのである(注6)。
しかも死後三日目に復活することによって、神殿宗教の根源的倒錯(とうさく)が白日(はくじつ)の下(もと)にさらされ、決定的に断罪される共に、しかもこれを赦して下さるという驚くべき救いの恵みが宣言されたのである。」
(高橋三郎「宗教改革者イエス」、『高橋三郎著作集 最終巻』教文館、2012年、795~797項より抜粋。( )、〔 〕内、下線は補足)
注3 歴史的事実としての十字架
詩歌017八木重吉『十字架』注2(イエスの生涯と十字架:世界史研究書の記述)へ
参考文献:高橋三郎「パウロの限界」(同上『高橋三郎著作集 最終巻』817、818項)
注4 弟子たちの手になる「制度宗教」としてのキリスト教
注5 制度宗教としてのキリスト教からイエスの純福音へ
お知らせ〖私はなぜネットエクレシアを始めたか〗(6)ネットエクレシアの活動へ
注6 キルケゴール
注7 十字架の叫び
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