イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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<信仰入門
無教会入門 016
2018年7月6日改訂
内村鑑三
〖イエスの精神と聖書研究〗
* * * *
現在われわれが所有する聖書〔の字句を引照すること〕によって無教会主義〔の真理性〕を弁証することは、非常に困難なことである。
それは、〔現有の〕聖書そのものが教会によって編集された書物だからである。
〔つまり、〕教会は自己の便宜(べんぎ)に従い、〔聖書の元となった伝承や資料に〕あるいは〔教会の考えを〕加筆し、あるいは〔不都合な部分を〕削除した〔のである〕(注1)。
しかしながら教会は、原資料に添削(追加・削除)を行うに当たって、原資料に現われていたイエスの精神を〔完全に〕隠蔽(いんぺい)することはできなかった。
〔現在の〕新約聖書は、教会による改変・削除にもかかわらず、〔見る目をもって見るならば、なお〕イエスの自由な精神を鮮(あざ)やかに示している。
そして、イエスの精神が〔、制度的・組織的に、またドグマ的に固定化してしまった〕今日のいわゆる教会〔の精神 注2〕と全く反対のものであったことは、〔公平な〕誰の目にも明らかである。
最近の聖書研究(注3)は、教会の添削以前の原聖書(げんせいしょ)を〔復元して、〕われわれに提供しつつある。
〔これによってわれわれは、より深くイエスの真精神に触れることができる〕。
まことに感謝すべきことである。
♢ ♢ ♢ ♢
(原著「現今吾人(ごじん)の有する聖書」1911年。信18・107、( )、〔 〕内、下線は補足)
注1 福音書の歴史的・批判的研究
「〔聖書批評学-福音書の歴史的・批判的研究-の成果によると、イエスの生涯を記した〕これらの福音書を著した人々〔、つまり福音書記者たち〕は、・・「イエスが今ここにいたとしたら、何を語り何を行ったであろうか」という実存的な問いを抱きながら、イエスという人物を想起し、解釈し、また証言しようとしたのである。
換言すれば、福音書はそれぞれの著者とその著者の背後に存在する信仰共同体-教会-の信仰的・神学的理解(考え)を反映した作品であることをわきまえておく必要がある。」
(同志社大学教授・越川弘英『新約聖書の学び』キリスト新聞社、2016年、「第4章 イエスの誕生 (1)イエスに関する資料と研究」89項より引用。( )、〔 〕内は補足)
「私たちはこのような〔イエスに関する情報の資料化・文書化の〕過程において、口頭伝承から始まって、収集、保存、文書化、そして福音書の編集に至るあらゆる段階で、〔当時の〕キリスト教徒たちが様々な解釈や書き込みを行った可能性があることを想定し〔、注意深く福音書を読ま〕なければならない。」
(同上『新約聖書の学び』、「第12章 新約聖書の誕生(2)」269~270項より引用。〔 〕内、下線は補足)
注2 真理探究の精神
注3 内村鑑三と高等批評
本文中の「最近の聖書研究」とは、当時のいわゆる「高等批評」を指していると考えられる。
内村は、聖書の学問的な研究成果を冷静かつ公平に受けとめた。彼は、学問的成果を原理主義的に排除することはしなかったし、一方、これを無批判に受け入れることもしなかった。
「ちょうど前述した〔聖書の〕改訳事業にしたがうころ(1905~1906年)から、〔内村は、〕当時高等批評といわれた自由主義的な聖書の研究法に、かなり近い態度をとったことがある。
そうかと思うと、1918(大正7)年から開始した再臨(さいりん)運動期には、『聖書全部神言論』という論文があるように、一転して高等批評を反対に強くしりぞける態度をとる時期もあった。
もっとも、高等批評に接近したとはいっても、内村は、聖書を基本的に神の〔歴史的な啓示の〕言葉とみることは変えていないし、『聖書全部神言論』を唱えたからといって、聖書〔の文字〕自体を偶像崇拝すること(bibliolatry:聖書崇拝)はなかった。
内村が、たびたび語っているように、聖書だけしか読まないこと(=視野狭窄)は不健全なことであったのである。」(鈴木範久編集『内村鑑三選集7 聖書のはなし』岩波書店、1990年、「解題」328項より引用。( )、〔 〕内、下線は補足)