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最終更新日:2024年12月7日
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M・L・キング牧師
「私には夢がある」
* * * *
1929.1.15生-1968.4.4没。
マーティン・ルーサー・キング2世(Martin Luther King Jr.)は、20世紀アメリカ合衆国の《良心》であり、良心の覚醒(かくせい)を促(うなが)す《預言者》である。
彼は黒人差別に反対し、市民としての権利(自由と平等)を要求する《公民権運動》を指導した。
キングは、モアハウス大学、クローザー神学校、ボストン大学神学部大学院に学んだが、学生時代にガンディーの《非暴力主義》を知って感銘を受けた(注1)。
1954年10月、卒業後、彼は南部アラバマ州モンゴメリー市のデクスター街バプテスト教会に牧師として赴任(ふにん)した。
1955年12月1日、モンゴメリー市の裁縫師ローザ・パークス婦人が、バスの座席を白人乗客に譲ることを拒否して逮捕された(ローザ・パークス逮捕事件)。
翌年、キングはモンゴメリー改良協会長に推挙(すいきょ)され、市内のすべての黒人に呼びかけて、バスに乗ることを拒否する大規模な《バス・ボイコット運動》を指導した。
彼はこの非暴力の方法によって、《人種隔離政策》の撤廃の成功した。
このことをきっかけにキングは、すべての人間は兄弟であるという博愛の精神に基づき、人種の差別を越えて、平等な公民権を求める公民権運動を展開した。
彼の運動の際(きわ)だった特徴は、彼がガンディー的な非暴力と真理の力を、昔の奴隷の子孫(黒人)だけでなく、昔の奴隷主の子孫(白人)をも同じように、解放するために拡張したことである。
1963年8月28日、20万人が参加した「仕事と自由のための大行進」(ワシントン大行進)でキングは、人々が皆、自由に平等に生きられる社会の実現を呼びかけ、ワシントンDC リンカーン記念堂にて「私には夢がある」(I HAVE A DREAM )と題する感動的な演説を行った(注2)。
そのなかで彼は、人種差別の撤廃を求めると共に、黒人に対する差別に対しては、「物理的な暴力」によってではなく、「魂の力」で立ち向かわなければならないことを強調した。
この声に多くのアメリカ人の魂(たましい)は揺り動かされ、翌年、公民権法が制定された。
公民権法により、黒人に対して選挙権が認められ、公共施設の利用や雇用における人種差別の禁止が定められ、人種隔離撤廃のための告訴権などが承認された。
1964年、非暴力的な方法により公民権法制定に貢献したキングは、ノーベル平和賞を受賞した。
その後、1965年頃から、キングはベトナム戦争に反対する平和運動や、貧困に苦しむ人々への仕事を要求する「貧者の行進」をなどを展開した。
1968年4月4日、ワシントンに向けての「貧者の行進」の途中、テネシー州メンフィスで演説中に、キングは凶弾(きょうだん)に倒れた(39歳)。
亡くなる前日の夜、彼は、メンフィスのメイソン記念聖堂に集まった2千人の聴衆を前に、「私は山頂に登ってきた」という驚くべき演説を行っている。
彼は、自らの死を予期するかのように語った。
「私は《約束の地》を見た。私はあなたがたと共にそこに行くことができないかもしれない(注3)。
しかし今夜、あなたがたに知ってもらいたいことがある。
それは、私たちは、一つの民(たみ)として、《約束の地》に行き着くのだということである。・・・
今晩、私は幸せである。私は何も心配していない。・・・私は主の来臨(らいりん)の栄光を見たのだから」と。
キングは、生涯に29回も投獄されながら、なおガンディーに倣(なら)い《非暴力抵抗主義》による《市民的不服従》を貫(つらぬ)いた(注4)。
そして彼は、暴力に対しては非暴力、憎悪(ぞうお)に対しては愛によって戦い、生涯を人種差別と国内外の経済的搾取(さくしゅ)への反対、そして反戦に捧げた。
キングが生涯の最後に目指したものは、物的繁栄を指向する米国社会の構造と価値観を根底から覆(くつがえ)して、人間性を指向する《愛の共同体》に再創造することであった。
彼の姿と使信(ししん)は、貧しい人々や弱い人々の側に立って正義(神の義)を訴えた、旧約聖書の《預言者》を思わせるものである。
かつての奴隷の子孫であるM・L・キングが米国社会に与えた思想的影響の深さと大きさは、計り知れない。
彼の優(すぐ)れた人格と、非暴力による不屈の公民権運動やノーベル平和賞受賞などが国民に評価され、1986年、彼の誕生日(1929年1月15日)を記念して、1月の第三月曜日が国民祝日に制定された。
しかし彼の死後、米国のみならず、世界の国々で人間の差別や搾取は撤廃されているだろうか。
今こそわれらは、キング牧師の遺志(いし)を受け継ぎ、だれもが共存し合える真の平和、平等、正義に満ちた《約束の地》を目指して、新たに歩み出さなければならない。
♢ ♢ ♢ ♢
(参考文献:梶原寿著『マーティン・L・キング』清水書院、1991年、梶原寿・石井美恵子訳、コレッタ・S・キング著『キング牧師の言葉』日本基督教団出版局、1993年、チャールズ・ジョンソン著・キング牧師フォト・ドキュメント『私には夢がある』日本基督教団出版局、2005年、梶原寿訳、C・カーソン、K・シェーパード編『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』新教出版社、2003年)
キング牧師のスピーチ「"We Shall Overcome" - Martin Luther King, Jr.」クリックしてYouTubeへ
注1 ガンディー(Gandhi、1869-1948)
インド独立運動の指導者。
西部ポールバンダルの敬虔(けいけん)なヒンドゥー教の家庭に生まれ、18歳でロンドンに留学し、弁護士資格を取得後帰国。
1983年南アフリカにインド人ムスリム商店の法律顧問として渡航したが、暴力的人種差別に直面し、反差別運動としてのサティヤーグラハ(真理把持)運動を展開した。
1915年帰国後、国民会議派の指導者としてサティヤーグラハ(真理把持)による非暴力・不服従運動を全インドに展開し道標となったが、その統一インドへの悲願は拒否され、インド、パキスタンの分離独立となった。
1948年、ヒンドゥー教の熱狂的信者により暗殺された。
ガンディーの思想の中核にはサティヤー(真理)への不断の回帰があり、その実践がアヒンサー(非暴力・愛)を基調とした世界の変革であり、暴力的な近代化には批判的であった。
真の自己に目覚めることを最大の課題とし、それに不可欠な人間的社会秩序の構築に一生をかけたガンディーの証言に普遍性を認める人は、アメリカのキング牧師、南アフリカのマンデラ、チベット仏教のダライ・ラマなど、宗教、人種、文化の相違を越えて見いだされる。
(参考文献:大貫隆ら編『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、251項より)
注2 「私には夢がある」
以下は、「私には〔それでもなお〕夢がある」として知られる演説の一部である。
「・・・
わが友よ。私は〔今日、〕あなたがたに申し上げたい。
今日も、そして明日もわれわれが〔様々な〕困難に直面するとしても、私には〔それでも〕なお(still)、夢があるのだということを。
それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
すなわちいつの日か、この国が立ち上がって、『われらはこれらの真理を自明のものとして承認する。すなわち、すべての人〔間〕は〔神によって〕平等に造られ〔ている〕・・・』という、あの、わが国の信条(独立宣言)のもつ真の意味を生きるようになるであろう、という夢である。
私には夢がある。
いつの日か、ジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫と、かつての奴隷主(ぬし)の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座ることができるようになるという夢が。
私には夢がある。
今、不正義の抑圧の炎熱に焼かれているミシシッピー州でさえ、〔いつの日か〕自由と正義のオアシスに生まれ変わるだろうという夢が。
私には夢がある。
今は小さな私の4人の子供たちが、いつの日か肌の色〔によって〕ではなく、内なる人格で評価される国に住めるようになるという夢が。私には夢がある。・・・・
私には夢がある。
いつの日か、
「すべての谷は埋められ、すべての山と丘は低くなる。
また起伏(きふく)のある土地は平原に、険(けわ)しい地は平野となる。
こうして〔神〕ヤハウェの栄光が現わされ、
すべての肉なる者(=人)が共に見る」(イザヤ書 40:4~5。岩波訳)という夢である。
これがわれわれの希望なのだ。
この信仰をもって私は南部に帰っていく。
この信仰をもってすれば、絶望の山から希望の石を切り出すことができる。この国の騒々しい不協和音を美しい兄弟愛の交響曲に作り替えることができる。
この信仰をもってすれば、われわれは共に働き、共に祈り、共に闘い、共に投獄され、また、いつの日か解き放たれると固く信じつつ、共に自由のために立ち上がることができるのだ。・・・
だからニューハンプシャーの巨大な丘の頂(いただき)から自由の鐘を打ち鳴らそう。・・・
ミシシッピーのすべての丘やモグラ塚からも、あらゆる山腹から同じように自由の鐘を打ち鳴らすのだ。・・・
そうすれば、・・・われわれは黒人であれ白人であれ〔人種に関係なく〕、ユダヤ人であれ異邦人(いほうじん)であれ〔宗教に関係なく〕、プロテスタントであれカトリックであれ〔宗派に関係なく〕、全ての神の子供たちが手に手を取り合って(hand in hand)一緒に歌うことができるであろう、あの昔馴染みの黒人霊歌を。
「ついに自由だ! ついに自由だ!
全能の神に感謝します、
われらはついに自由になった!」」
(梶原寿訳『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』、99~105項より引用。( )〔 〕内、下線は補足)
注3 「私は約束の地を見た」
キング牧師の言葉は、古代イスラエルの指導者モーセの最期(さいご)を想起させる。
モーセは、エジプトの奴隷であったイスラエルの民を解放して荒れ野に導き、律法(トーラー、神の戒(いまし)め)を授与した。
エジプト脱出後、40年間にわたりモーセは、「乳と蜜の流れる」約束の地を目指して民を導いたが、彼自身は《約束の地》を目前にして、ピスガの山頂で120年の生涯を閉じた(申命記 32:45~52)。
(参考文献:大貫隆ら編『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、1114項)
注3 市民的不服従(civil disobedience)
《市民的不服従》とは、国家・政府による不正や政治や法制度、要求、命令に対して、市民が自らの良心に基づいて拒否すること。
つまり、暴力を用いて対抗するのではなく、制度や命令に従わないことで抵抗し、異議申し立てをすること。
たとえ国家の命令や義務であっても、個人の良心に従うことを優先させる考え方で、不正な政治や法律への市民の《抵抗権》とされる。
アメリカの政治哲学者ロールズ(John Bordley Rawls,1921~2002)は、『正義論』のなかで、市民的不服従は、非暴力の行為を通して共同体の多数派の正義感覚に呼びかけ、自由で平等な社会の原理が重んじられていないことを訴えるとともに、そのことを通して、政府の法や政策に変化をもたらすことをめざすもの、と定義している。
イギリスの不正な支配に対するガンディーの非暴力・不服従運動、キング牧師らが指導したアメリカの公民権運動などがその例で、ほかに戦争における良心に基づく徴兵の拒否(良心的兵役拒否)、不正な政治に抗議するための納税の拒否などがある。
(参考文献:小野寺聡編『山川 哲学』山川出版社、2015年、296項。藤田正勝著『理解しやすい倫理』文英堂、2015年、278項。杉本淑彦監修『理解しやすい世界史B』文英堂、2013年、417項)