イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
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最終更新日:2024年12月7日
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デンマークのキリスト教思想家・哲学者。実存主義(注1)の先駆者。
S.キルケゴールは、世俗化・大衆化して《錯覚》と化した当時のキリスト教世界に《真のキリスト教》を導入しようとした、19世紀の預言者的思想家である。
またキルケゴールは、ヘーゲルの思弁的合理主義に反対して、普遍的な理性に尽くされない《実存》(じつぞん)の人間に注目し、神の前に立つ《単独者》の自由な主体性の形成に、真の人間らしさを求めた。
キルケゴールほど、生涯と思想とが密接不離の人物は珍しい。
それゆえ、彼の思想を理解するためには、その生涯についてより深く知る必要がある。
1813年、彼はコペンハーゲンの裕福な毛織物商ミカエル・キルケゴールの子として生まれた。
少年時代、父から厳格かつ対話的な宗教教育を受けた。
息子を牧師にしたいという父の希望により、コペンハーゲン大学で神学と哲学を学んだ。
信頼していた父が貧しかった少年時代に、荒野で羊の番をしていた時、あまりの寒さと空腹に耐えかねてそのような運命を与えた神を呪(のろ)ったという事実を知り、また、父が罪を犯して母と結ばれたのではないかという疑いをもち、《大地震》と呼ぶ大きな精神的危機に陥(おちい)った(1835年頃)。
この体験を背景に、22歳の時、シェラン島を旅行し、ギレライエで「自己にとって真理であるような真理(主体的真理 注2)を求めるという」《実存》の原体験を持った(注3)。
その後しばらく、酒場に出入りして享楽(きょうらく)をつくす放蕩(ほうとう)生活を送ったが、清純な少女レギーネ=オルセンと出会い、1940年(27歳)に婚約した。
キルケゴールは心の底からレギーネを愛していたが、自己の罪深さへの反省や、彼女への愛が真実のものでありえるかという内面的な苦悩から、10ヶ月後、一方的に婚約を破棄(はき)した(レギーネ事件)。
しかし、なにゆえ彼がレギーネと別れなければならなかったかという真の理由は、神秘に包まれていて謎である。
これらの体験は大きな苦悩となったが、この事件は彼を深い思索や著作活動へ駆り立てた。
その後、キルケゴールは悪辣(あくらつ)な風刺(ふうし)新聞『コルサール』の個人的攻撃・中傷を受け(コルサール事件)、これによって無責任な《大衆》に不信を募(つの)らせた。
また、デンマーク国教会監督ミュンスターの死を期して、国教会の偽善(ぎぜん)性を厳しく糾弾(きゅうだん)し、論争を展開した(注4)。
1855年、教会との激しい論戦の中で(注5)、過労により路上で昏倒(こんとう)し、42歳で死去した。
キルケゴールは、ヘーゲルの客観的・抽象的な哲学体系(量的弁証法)を批判し、今、ここに生きている実存としての自己が、その全存在を賭(か)けて明らかにすべき《主体的真理》を主張した。
また、大衆の欺瞞(ぎまん)性に埋もれて水平化(画一化)され、本来の自己を見失っている《現代人》を批判し、自己のあり方を〔あれか、これか(注6)、〕自らの決断で選ぶ真の主体としての実存を求めた。
彼は自己を存在させた根拠である神に、ただ独(ひと)り向き合って生きることを決断する《単独者》(=宗教的実存 注7)に、真の実存のあり方を見出した。
彼の思想は後(のち)に、弁証法神学や実存主義哲学の成立に大きな影響を与えた。
主著:『あれか、これか』、『反復』、『哲学的断片』(*)、『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』(*)、『不安の概念』、『死にいたる病』、『おそれとおののき』、『キリスト教の修練』(*)。*杉山好(よしむ)訳あり
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(参考文献:『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年。浅野順一編『キリスト教概論』創文社、1966年。杉山好訳『キリスト教の修練』白水社、1963年、403~412項。小野寺聡編『山川 哲学 ことばと用語』山川出版社、2015年、275~280項。『倫理の要点整理 改訂版』Gakken、2013年、192~193項)
注1 実存主義(existentialism)
資本主義社会の高度化した科学技術や巨大化した管理社会の中で、《現代人》は個性を失い(没個性化)画一化(規格化・平均化)して《人間疎外》に陥(おちい)り、《大衆》の中に匿名(とくめい)者として埋没し、本来的な自己を見失っている。
実存主義は、そうした状況にある、「いま、ここに」生きている個別的・具体的な人間の現実存在(個別的・具体的な「この私」の存在)を《実存》と呼び、主体的な決断と自由な行動を通じて人間に主体性を取り戻し、本来的自己の発見と実現を説く、現代思潮である。
人間が神・超越者という絶対的な存在へと関わる主体的な決断を説く、キルケゴール・ヤスパース・マルセルらの《宗教的実存主義》とニーチェ・サルトルらの《無神論的実存主義》の二つの潮流に分けられる。
注2 主体的真理
《主体的真理》とは、自分がそのために生き、死んでいけるような理念、「いかに生きるべきか」を問いかけながら、自らの決断と行動を通して、人生で主体的に実現される真理のことである。
《主体的真理》は、ものについての一般的・普遍的な真理(客観的真理)と異なり、私にとっての個別的・具体的な真理であり、かけがいのない私の真実の人生を生きることによって実現される。
キルケゴールは、「主体性こそが真理である」と語り、自己がいかに生きるかという実存の主体性そのものに真理を求めた。
注3「主体性こそが真理である」
S.キルケゴールの言葉。
《主体性》とは、自己の生き方を自ら選択し、決断する、主体的なあり方のこと。
キルケゴールにとって重要なことは、誰にでも当てはまる「客観的真理」ではなく、《主体的真理》を見出すことであった。
「私に欠けているのは、私は何をなすべきか、ということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ・・・
私の使命を理解することが問題なのだ・・・
私にとって真理であるような真理、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデー(理念)を発見することが必要なのだ。
いわゆる客観的真理などを探しだしてみたところで、それが私の何の役に立つだろう」(キルケゴールの日記より)。
注4 デンマーク国教会との戦い
当時のデンマークは、国教会制度の国であった。
このことは、教会の牧師はすべて官吏(かんり、つまり国家公務員・役人)であり、国民のほとんどは生まれながらの教会員であることを意味する。
しかし、キリスト教信仰は人格的な《決断》によって成り立つものであり、キルケゴールは信仰を神と人間の《人格的な》関係と考えている。
われわれは自ら決断してキリスト者になるのであって、幼い時から自動的にキリスト者であるというようなことは、おかしなことである。
キルケゴールとデンマーク国教会との戦いは、国教会の監督ミュンスターが死んで埋葬後数日して、後継者のマルテンセンが行った説教に端(たん)を発している。
説教の中でマルテンセンは、監督として逝(い)ったミュンスターを讃(たた)えて、「彼は真理の証人であった」と述べたのである。
しかしキルケゴールには、国教会制度に支えられて豪華な邸宅に住み、裕福に暮らした監督が、キリストのあの貧しい弟子たちと同じ《真理の証人》であるとはどうしても承服できなかった。
前々から彼が真剣に考えていた、デンマーク国教会の根本的な病巣(びょうそう)が、マルテンセンの説教の中に透(す)けて見えたのである。
キルケゴールは国教会を相手どって、新聞『祖国』に論評を書いた(1854年12月18日)が、そのために彼自身が、世の非難を一身に受けることになった。
教会(エクレシア)はたとえ貧しくなっても、主体的に決断して信徒になった人々の〔人格的〕共同体でなければならないと、キルケゴールは言う。
「主体性が真理である」という彼の主張の背後には、キルケゴールとデンマーク国教会との対決があったことを忘れてはならない。
注5 キリスト教をキリスト教世界に導入する試み
「キルケゴールは〔著作活動を通して〕、キリストからの時間的、歴史的隔(へだ)たりの中に安住する現代キリスト教の世界を、キリストとの同時の状況(キリストとの同時性)にひき入れ、それによって《まことのキリスト者》となることの課題に真摯(しんし)に取り組む道を開こうとする。
言いかえれば、神の《受肉(じゅにく)》(永遠の神が一人の人間キリストとして、歴史世界の中に生まれたこと)というこの絶対的な背理(パラドックス)に対して、ひとりひとりの人間を《信仰》か、《躓き》か、の狭き道に追いやり、この啓示の現実に直面する自己の姿を《おそれとおののき》をもって自覚させようとしたのである」。
(杉山好訳『キリスト教の修練』白水社、1963年の「解説」403~404項からの抜粋。( )、〔 〕内、《 》、下線は補足)。
注6 あれか、これか
人生の具体的な状況の中で、「あれか、これか」の選択を、自らの全存在を賭(か)けた情熱的な決断(生きる情熱)によって行い、一つの行動を選び取ること。
キルケゴールは、抽象的な思考の内部で対立する概念を、「あれも、これも」統一するヘーゲルの《量的弁証法》を批判し、現実の人生における「あれか、これか」の岐路(きろ)に立って、自らの生き方を主体的に選択する実存のあり方を説いた。
注7 宗教的実存と実存の三段階
キルケゴールは、人間の実存を三段階で説明した。
宗教的実存は、三段階の中のひとつである。
実存の三段階とは、本来的な自己のあり方としての実存が、《絶望》をきっかけに美的実存・倫理的実存・宗教的実存という三つの段階へと深まっていくことをいう。
彼は、宗教的実存を究極のあり方とした。
7-① 美的実存:
「あれも、これも」と欲望のままに新たな刺激や刹那(せつな)的な快楽を追い求めて、感覚的に生きる実存のあり方(人生の段階)。
結局、いつまでも完全に欲望が満たされることはなく、自己を見失い、倦怠感や虚無感に襲われて行きづまり、絶望に陥る。
7-② 倫理的実存:
自己の良心に従って、「あれか、これか」の選択を真剣に行い、倫理的義務を果たし、人生を真剣に生きようとする実存のあり方(人生の段階)。
しかし、良心的であろうとすればするほど、自己の罪深さや無力さを思い知らされて絶望に陥る。
7-③宗教的実存:
不安と絶望の中にある人間が、神の前にただ独(ひと)り立ち、神への信仰に飛躍(ひやく)する実存のあり方(人生の段階)。
人間は自らの全存在をかけた決断によって、人間の救済のために永遠の神が時間(歴史)の中に現れる(受肉じゅにく)というキリスト信仰の本質的逆説を乗り越え、神と向き合う時に、本来の自己を回復する。
本来の自己を回復した人間は、外面的には世俗の生活に身を置きながらも、内面においては、永遠の神の前にただ独りで立つ《単独者》として生きる。
なおキルケゴールは、この宗教的実存を宗教性Aと宗教性Bの二通りに分けている。
《宗教性A》
確かに宗教性Aにおいては、この世〔の快楽〕や自分の倫理性が人間を支配しないで神が支配している。
しかし宗教性Aは、人間の自力で到達できる段階であり、したがって、そこで把握される神はたとえ「他者」であっても、人間とのつながりをもっており、人間の理性と完全に異質ではない(人間と「神」の間には絶対的な質的差異はない)。
それゆえ、宗教性Aは〔人間の手に成る〕汎神(はんしん)論におもむく傾向がある、とキルケゴールは言う。
また、宗教性Aは不十分である。
なぜなら、神の命令に服従しないという自分の悪を、どれほど神の前に懺悔(ざんげ)しても、人間の個々の行為が悪いだけならばそれでもよいが、困ったことに人間そのもの(存在自体)が罪人(つみびと)だからである。
《宗教性B》
宗教性Bは、プロテスタントのキリスト教信仰の段階である。
宗教性Bは、人間の側から自力で飛び込めるところでは全くなく、神の側で先行して切り開いて下さったおかげで、人間はそこに入ることができる。
神の命令に従おうとしながら全存在的に従い得ない自分を発見した人は、自らの罪(これは自力で解決できない)の赦しを、イエス・キリストに顕(あらわ)された《神の愛》(贖罪のわざ)にもとめる以外に、救われる道はない。
このようにして神は人間の把握を越えた全くの他者(絶体他者)であり、人間の外側から人間に向かって、愛(アガペー)の言葉(ロゴス)であるイエス・キリストを与えて、人間と人格的な関係(人格的な出会いと交わり)に入って下さるのである。
キルケゴールはイエスの出来事が《逆説》(パラドックス)であり、また、われわれにとって《躓き》であると主張する。
それは、神が歴史の中のイエスという出来事(イエスの受肉、生と死、特に十字架と復活)によって、人間にその罪を赦すと語られたということを指す。
これを人間〔の理性〕は歓迎できない。これは人間に嫌悪感をもよおさせ、その意味で《躓き》である。
付 実存的弁証法(質的弁証法)
キルケゴールは、抽象的な思考の中で、神と人間の質的な断絶(無限の質的差異)を量的なものに解消して統合するヘーゲルの《量的弁証法》を批判した。
そして、永遠の神が時間(歴史)の中に現れる(注:神の《受肉》のこと)という、常識的な論理(人間の理性)を越えた《逆説》(パラドックス)を《信仰の情熱(パッション)》によって乗り越え受け入れて、神と人格的に出会い、それによって《真の自己》を回復しようとした。
(参考文献:『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年。浅野順一編『キリスト教概論』創文社、1966年。杉山好訳『キリスト教の修練』白水社、1963年、403~412項。小野寺聡編『山川 哲学 ことばと用語』山川出版社、2015年、275~280項。『倫理の要点整理 改訂版』Gakken、2013年、192~193項)