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<人物・評伝

評伝 007

2018年4月11日改訂

​杉山好(よしむ)

 

自叙伝

〖駒場、41年のわが学舎〗

​〔-出会い・人格的真理・学問的精神-〕

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詩歌バッハ〖イエスよ、わが喜び杉山好訳

杉山 好

 恵泉女学園大学にて

§ § § §

故郷富士山麓から(注1)片道切符で上京して駒場(こまば)の正門をくぐったのは、1945(昭和20)年4月26日のこと。

 

太平洋戦争末期の厳しい情況下、すでに東京大空襲は始まっており、もう二度と生家(せいか)の敷居(しきい)を跨(また)げないことを予期しての旧制第一高等学校入学だった(理科甲類)。


そして事実、一か月後の5月25日夜、南寮(現第一研究室)脇の小さな〔防空〕壕(ごう)で友人と二人で震えながら、帝大農学部時代からの典雅(てんが)な建物や美しい並木が、雷雨のような音を立てて降り注ぐ米軍機からの焼夷弾(しょういだん)の餌食(えじき)になって炎上し、破壊されていく地獄変(じごくへん)を目撃することとなった。


メメント・モリ」(死を銘記(めいき)せよ)はこうして、最も切実な感覚として16歳の少年の身につきまとう通奏(つうそう)低音となったが、それを中世の修道院なみの精神的自覚にまで深めてくれる契機(けいき)となったのは、駒場の門をくぐったからには、生来(せいらい)の古い自己に死んで、国家を始めとする一切の既成の権威とそれに依存、同調している「大人」や「世間」の行き方に、徹底した懐疑と批判の眼を向けよ、と説く先輩上級生の入寮生歓迎の演説であった。


やがて〔学徒勤労〕動員先で終戦を迎え、身も心も痩(や)せ衰えて駒場の地へ戻って来たが、そうした敗戦直後の混迷のさ中に、先輩から勧められて読んだ三谷隆正(たかまさ) 著『幸福論』や『問題の所在』は、人間一生の大問題への眼を開き、歴史と自然とその中に生きる人間実存(じつぞん)の不條理(ふじょうり)性に真向(まっこ)うから切〔り〕込んでくる聖書の今日(こんにち)的意義と、その中心にいる《悲哀(ひあい)の人》イエス・キリストの存在を教えてくれた。


偶々(たまたま)古本屋で見つけたルター訳〔ドイツ語〕聖書の言語と文体と内容に強く惹(ひ)かれて、これを読むためにドイツ語の勉強をしようと思い立ったのも、ちょうどその頃だった。


同じ聖書を今も読んでいるあの宗教改革〔者ルター〕の国の民(たみ)が、自国の敗戦をどう受けとめ、挫折と荒廃の中からどう立ち直るのか、比較思想史的に見究(みきわ)めていこうという動機も働いていたと思う。


ともあれ聖書自体を読み進むうちに、旧約〔聖書〕も(前6世紀初めのバビロン捕囚 )、新約〔聖書〕も(後70年のローマ軍によるエルサレム攻略とユダヤ教神殿の徹底的破壊 注5)、それぞれに敗戦による国家崩壊と共同体再建の問題を精神史的基軸として成立した、全人類的視野をもつ《古典》であるゆえんが呑(のみ)込めるようになり、これをルター以来の心あるドイツ人たちが歴史や人生の苦難の中でどのように釈義(しゃくぎ)し、自己自身の現在と将来を照らす光にしていったかを原資料に即して跡(あと)づけてみようというのが、広義のゲルマニスト〔Germanist ドイツ学研究者〕としての私の学問的課題となった。


また私なりの真理観と学問への取組みを大きく規定することになった師父(しふ)との出会いに恵まれたのも、当時の駒場においてだった。

 

真理とは客観的知識の量の多寡(たか)ではない。むしろそれら断片的情報を初めて意味のある全一(ぜんいつ)的語りかけへと変ずる、ある生ける人格的消息なのだという認識。

この事を「しん」の通った人格性と鮮烈な生き方をもって幼い私の心に刻まれたのは、天野貞祐と矢内原忠雄の両先生である。


ともに内村鑑三、新渡戸(にとべ)稲造門下として、自らがそのような質的、人格的真理の確信に生きながら、曲がれる悪(あ)しき世との妥協を排し、真理を畏(おそ)れかしこむことこそ、学問的精神の根本である、と教えられた。

この出会いから受けた全人格的感銘と霊的インパクトは、今なお私の生涯を支え導く力となっている。


とはいえ他方で、リベラリズムの伝統を守って、対立する両極世界のはざまを、公平と寛容と自主独立の詩的感性と哲学的思考力をもってねばり強く歩み通すべきことを、陰(かげ)に陽(ひ)に教えられた、より若い世代の恩師たちの存在も、まことに有難く貴重であった。

 

菊池栄一、竹山道雄、氷上英広、斉藤栄治、前田護郎その他の諸先達(せんだつ)は、世間知らずの田舎(いなか)者の私を宗教一辺倒のファナティズム(熱狂的心酔、狂信)から守って、あくまで地上の人間的現実の制約内に踏みとどまり、その矛盾した両面性を率直かつ柔軟にアクセプトして(受けとめて)取〔り〕組んで行く学問探究の道へと差〔し〕向けて下さった。

 

大学紛争の烈(はげ)しい嵐をもなんとか耐え忍び、当時のバッハ・ゼミの中からいくたの有為(ゆうい)な人材が育ち、そして今は駒場名物の一つになったパイプオルガンの寄贈(きぞう)付設にまでこぎつけられたのも、そうした恩沢(おんたく)のお蔭(かげ)だったのではないかと思う


最後に「三十七路たどりて駒場 貴(と)うとかり」の腰折(こしおれ)に万感(ばんかん)の想いを託して、永年お世話になった同僚諸賢、事務職員各位、そして学生諸君に心から感謝を申し上げ、天寵(てんちょう)のもと皆様の御活躍とわれらがウニヴェルシタスの健在とを祈ります。


你好(ニーハオ) 、駒場! 

1989・1・5

〔教養学部〕ドイツ語〔部会〕

 

♢ ♢ ♢ ♢

 (東京大学・教養学部報338号、1989年2月10日、「駒場をあとに(つづき)」より。( )、〔 〕内と下線は補足)

矢内原(やないはら)忠雄

​評伝005〖矢内原忠雄〗

 

杉山好愛唱の讃美歌

讃美歌520番「静けき川の岸辺を」クリックしてYouTubeへ

讃美歌352番「天(あめ)なる喜び」クリックしてYouTubeへ

 

讃美歌352番 あめなるよろこび

"Love Divine, all loves excelling"

歌詞:チャールズ・ウェスレー 1747年
曲: ジョン・ツンデル 1870年

1.(あめ)なる喜び こよなき愛を
(たずさ)(くだ)れる わが君イエスよ、
救いの恵みを 顕
(あら)わに示し、
(いや)しきこの身に 宿(やど)らせたまえ。

2.いのちを与うる 主よ、とどまりて、
われらのこころを 常
(とこ)(みや)となし、
(あした)夕べに 祈りをささげ、
(たた)えの歌をば 歌わせたまえ。

 

3.われらを(あら)たに 創(つく)り清めて、
(さか)さかえを いや増し加え、
御国
(みくに)(のぼ)りて 御前(みまえ)に伏(ふ)す日、
御顔
(みかお)光を 映(うつ)させたまえ。

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