― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年11月11日
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7月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
7月26日~7月31日
(2021年 3月26日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【7月26日】目的は人生最大の
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【7月29日】希望と前進
兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた〔神の〕召(め)しと選びとを、確かなものにしなさい。
そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。
〔なぜなら、〕こうして、わたしたちの主また救〔い〕主〔である〕イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。(ペテロ第二 1:10~11 口語訳)
■人は希望の生き物である。
〔それゆえ、〕人においては、前方を望み見るのは自然であり、後方を振り返るのは不自然である。
希望〔に向かって前進すること〕は健全であり、回顧〔によって、過去に捕らわれること〕は不健全である。
「後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、」(ピリピ書 3:13)と〔聖書にある〕。
〔ゆえに、過去の〕罪を忘れ、病(やまい)を忘れ、失敗を忘れ、怨恨(えんこん)を忘れ、〔前方に在る〕神と、生命(いのち)と、成功と、愛に向かって、ひたすら進もう〔ではないか〕。
(原著「希望と前進」1909年 信7・167)
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【7月30日】キリストを聖霊として迎える
見よ、私(キリスト)は〔心の〕戸口(とぐち)に立って扉(とびら)を叩(たた)いている。
もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。
(ヨハネ黙示録 3:20 聖書協会共同訳)
■〔二千年前、地上を歩まれたイエス・〕キリストは〔今、〕聖霊(せいれい)である(注1)。
〔また、天地宇宙を創造し、秩序を保つ神の恵みの力である〕聖霊は〔今、復活の〕キリストである(注2)。
〔すなわち今、聖霊とキリストは一体である。注3〕
それゆえ〔われわれが〕聖霊を受けることは、〔生ける〕キリストを〔自分の内に〕迎えることである(注4)。
われわれは聖霊を受けることを願ってい〔るのであっ〕て、〔決して〕雲をつかもう〔など〕としているのではない。われわれは、ある明確な目的を達成しようとするのである。
〔つまり、〕われわれは〔聖霊を受けることによって、〕キリストをわが心〔の内〕に迎えようとするのである(注5)。
〔そして〕それには、適切な準備が必要である。〔また、〕適切な方法がある。
〔その〕準備〔と〕は、〔神の前に〕心を低くすることである。〔その〕方法〔と〕は、絶えず祈〔り求め〕ることである。
そして、この準備を為(な)し、この方法を尽(つ)くすとき、キリストの光来(こうらい)は確実である(注6)。
〔こうして、復活のキリストは聖霊として、世の終わりまでわれわれと共にいて、われわれを導き、生命(いのち)を与えて下さるのである。注7〕
* * * *
(信9・131、〔 〕、( )内、下線は補足)
注1 聖霊(せいれい)
人の霊(霊魂)と区別された、聖なる神の霊のこと。
聖霊は、人間の助け手、弁護者であり、苦難の時の励ましと慰めの力である。
聖霊は、苦難や人生の戦いに立ち向かう勇気とそれに勝利する力の霊を人間に与える。
注2 聖霊:復活のキリストの臨在
聖霊は、復活のキリストの臨在(りんざい)と力そのもの、つまり、今なお生きて働かれるキリストご自身である(コリントⅡ 3:17参照)。
(参考文献:William Barclay,New Testament Words,SCM,PRESS LTD,1964)
注3 聖霊:キリストの「分身」
「私は聖霊を信じている。・・しかし正直に言えば聖霊と常に現在(現臨)する復活の主〔キリスト〕を区別することは、むずかしいと思う。
使徒たちの孤独をとり去るのは、聖霊の来臨である(ヨハネ14:18)。
イエスの語ったことを〔後の日に〕使徒たちに思い出させるのは、聖霊である(ヨハネ14:26)。
人に自己の罪(神なき闇)を意識させ、またイエスの義(神の光)を悟らせるのも、聖霊である(ヨハネ16:7~11)。
主がそれを受け入れ、その用意がある時に、新しい真理を示すのも、聖霊である(ヨハネ16:12)。
G・H・Cマクレガーはその美しい文章の中で、聖霊はイエス・キリストの『分身』であると言っている。
そしてパウロも、同じように感じていたと思う。〔彼は、〕『主は霊である』(Ⅱコリント3:17)と言っているからである。
聖霊と復活の主(キリスト)を少なくともその働きにおいては一つであると考えることで、私は満足している。
〔なぜなら、聖霊は人間の思考・論理の枠を越えて存在し活動するので、人間の知性・理性だけでは、聖霊を十分に理解し把握することはできないからである〕。」
(滝沢陽一訳:ウィリアム・バークレー『奇跡の人生』ヨルダン社、1976年、「信仰の遺言」178項より引用)
注4 霊的な礼拝
「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ福音書 4:24 聖書協会共同訳)。
注5 神・キリストの霊を宿す者
「神の霊があなたがたの内に宿(やど)っているなら、あなたがたは肉の内にではなく、霊の内にあります。
キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません」(ローマ書 8:9 聖書協会共同訳)。
「あなたがたが〔神の〕子であるゆえに、神は「アッバ、父よ」と呼び求める御子〔キリスト〕の霊を、私たちの心に送ってくださったのです」(ガラテヤ 4:6 聖書協会共同訳)。
注6 賜物(たまもの)としての聖霊
「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物をあたえることを知っている。
まして天の父〔なる神〕は、求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ福音書 11:13 聖書協会共同訳)。
注7 同伴者イエス
「私(イエス)は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書 28:20b 聖書協会共同訳)。
注1~8 の〔 〕、( )内、下線は補足。
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