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最終更新日:2024年12月24日
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<信仰と人生
詩歌 076
2024年11月13日
水野 源三
Love of the Cross
〖十字架の愛〗
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本ページ下部に英訳掲載
English translation is posted at the bottom of the page.
* * * *
十字架の愛
水野 源三
1.
主イエスが歩まれた道は
昔も今も誰も歩いたことがない
主イエスが歩まれた道は
私を誠(まこと)の道へ導くため
歩まれた十字架の道
2.
主イエスが語られた言葉は
昔も今も誰も語ったことがない
主イエスが語られた言葉は
私を罪の中から救うため
語られた十字架の言葉
3.
主イエスが示された愛は
昔も今も誰も示したことがない
主イエスが示された愛は
私の心に愛を満たすため
示された十字架の愛
♢ ♢ ♢ ♢
(出典:水野源三第1詩集『わが恵み汝(なんじ)に足(た)れり』アシュラムセンター、1975年)
注1 第1詩集の序文
以下、詩集『わが恵み汝に足れり』より。
序
高橋 三郎
(元・高橋聖書集会主催者、『十字架の言(ことば)』主筆)
〔 1 〕
この詩集の著者である水野源三さんが、不治の病(やまい)に冒(おか)され、一切の行動の自由を奪われたのは、1946(昭和21)年の夏、小学校4年生の時であった。
赤痢のため高熱が続き、ついに脳を冒され、脳性小児麻痺(まひ)になったのである。
手足を動かせなくなったばかりでなく、ものも言えなくなって、外界に対する意思表示の手段としては、まばたきすることしかなくなってしまった源三さんと、彼を看(み)取る御家族の方々の悲嘆は、いかばかりであったろうか。
しかも戦後の貧窮押し迫るなかで、5人のお子さんをかかえたこの御一家苦闘はいかばかりだっと、お察しせずにはいられない。
〔 2 〕
しかし幸いなことに、そのご5年ほど経った頃、坂城町(さかきまち)で伝道しておられた宮尾牧師を通して、この御一家にキリストの福音が伝えられ、源三さんの閉ざされた世界に、一条の新しい光が射し込んできた。
幸い眼と耳は冒されていなかったので、この時から源三さんは、喜んで聖書によみふけり、またラジオの「ルーテル・アワー」や、「世の光」などの番組を聞くようになったばかりでなく、聖書の通信講座すら取り寄せて、勉強するようになられたという。
ただ最大の難関は、自分の意志を外界に向かって表現することであったが、「あいうえお」の五十音表を壁に掛け、お母さんがその字を順次指さして行って、自分の望む字まで来たとき目(まばたき)で合図するという方法を用い、一字一字を拾って行き、これで一つの文章を綴(つづ)るという方法が考案された(今では表を用いず、口頭でかなり早く、この操作ができるようになった)。
こうして源三さんは、通信講座の答案を書いたばかりでなく、実に多くの詩を生み出すようになったのである。
〔 3 〕
それを拝見して深く心打たれたのは、身の不遇(ふぐう)をかこち、苦痛を訴える言葉がほとんど見当たらず、主イエス・キリストと相まみえることを許された身の幸せを感謝し、同じく病に苦しむ人々の上に思いを馳(は)せる言葉で満たされていることである。
一瞬にして行動の自由と言葉とを奪い去られて以来、もう28年もの間、源三さんは寝たきりの生活を、続けて来たのである。この世的に見れば、それはたしかに牢獄(ろうごく)の生活であった。
それにもかかわらず、キリストの生命(いのち)を注がれたが故に、源三さんの全存在が、天来の光を放ち始めたのである。何という驚くべきことであろう。
〔 4 〕
ここまで源三さんを支えて来た最大の功労者として、御母上の献身的な愛の労苦に私どもは心から感謝しなけばならないが、その母上も、昨年以来、病(胃がん)の激痛に襲われ、昼夜を分かたぬ苦痛との戦いの中に投げ込まれて、今は二人床(とこ)を並べて臥(ふ)す身となってしまった。
この御一家の上に打ち下ろされた試練の鉄槌(てっつい)は、あまりにも痛ましい。
しかし、それにもかかわらず、主は必ずやその全能の御業(みわざ)を示し、その栄光を顕(あらわ)したもうであろう。
私どもはそれを固く信じて、この御一家のために祈り続けたいと思う。そして、かくも長きにわたる試練の中から、この濁(にご)りきった世に注ぎ出された真(ま)清水のような詩を通して、多くの人の心に天来の香気(こうき)が伝えられることを、切に願ってやまない。
1975(昭和50)年1月1日
おわりに
榎本 保郎
(アシュラムセンター・元主幹牧師)
”新聞のにおいに朝を感じ
冷たい水のうまさに夏を感じ
風鈴の音の涼しさに夕ぐれを感じ
かえるの声はっきりして夜を感じ
今日一日も終わりぬ
ひとつの事ひとつの事に
神様の恵みと愛を感じて”
〔 1 〕
すらすらと詠(うた)われた〔上記〕「今日一日も」という詩の中に、珠玉(しゅぎょく)のような信仰がうかがわれる水野源三さんの詩。
日頃深い共感を覚えていた私は、この人が28年間寝たきりの人であることを知り、毎月いろいろな雑誌に投稿される水野さんのうたに驚きにも似た感動を感ずるようになりました。
そして長い間、この人の詩がまとめられて世に出ることを願っていましたが、このたびはからずも、私がそのお世話をさせていただくようになり、多くの方々の協力によって、〔アシュラムセンターから〕その第1集が世に出ることになりました。
きっと〔この詩集が〕多くの人々の心に光や慰めを与え、神様のご威光のために用いられることと信じて感謝しております。
〔 2 〕
出版のお世話をするからには是非(ぜひ)一度お会いしておかねばと思い、今年(1975年)の1月6日、坂城〔町〕まで出かけて行き、源三さんやお母さん、妹の林久子さん、弟さん夫妻にお会いしてきました。
かつて私は野尻(のじり)湖畔で、路傍(ろぼう)にひっそりと咲いていた一輪のキキョウの花を見て、しばしそこを離れることができなかったことがありましたが、水野家を訪ねた時、ふとかつての時のこの経験を思い出しました。
聖書に、議会(=ユダヤ教最高法院)に引きずり出された〔最初の殉教者〕ステパノの顔は〔、さながら〕天使のように見えたと記されてありますが(使徒言行録 6:12~15)、耳は聞こえても、口がきけず、手足が麻痺して28年余り、6畳の部屋をわが世界として生きてきた、そしてこれからも生きて行かねばならぬ源三さんですのに、その顔は、まさに天使に顔のように〔輝いて〕見えました。
彼を訪ねてきたある人が道行く人から「源三さんは私たちの町〔坂城〕の宝です」と聞かされたそうですが、神様はこのような彼を今日の時代に「宝」として生かしておられることを見、〔神様の〕御名をほめたたえずにはおれませんでした。
〔 3 〕
〔本誌集の〕序文を『十字架の言(ことば)』の主筆高橋三郎先生と〔クリスチャン作家の〕三浦綾子さんに書いていただきました。
高橋先生は〔聖書集会での聖書講義の録音〕テープを通して源三さんの信仰を導かれた方であり、三浦綾子さんはご主人が水野源三さんが投稿される歌の選者であり、お二人とも〔源三さんと、その詩歌に対して〕深い理解をもってこられた方であります。
〔今回の〕出版については、〔愛媛県今治(いまばり)市の〕今治教会の数名の方々がご協力くださり、また、編集上のことについて「主婦の友社」の高下薫氏、上野善弘氏がいろいろとお世話くださいました。・・・これらの方々に心から感謝を捧げます。
1975年2月4日
* * * *
英 訳
English translation
Love of the Cross
By Genzo Mizuno
1.
The path the Lord Jesus walked is one
that no one has ever walked before, never before.
The path the Lord Jesus walked is the way of the cross
that he walked to lead me to the true path.
2.
The words the Lord Jesus spoke are one
that no one has ever spoken before, never before.
The words the Lord Jesus spoke are the words of the cross
that he spoke to save me from my sins.
3.
The love that the Lord Jesus showed is one
that no one has ever shown before, never before.
The love that the Lord Jesus showed is the love of the cross
shown to fill my heart with love.
♢ ♢ ♢ ♢
Source: Genzo Mizuno's first poetry collection, "Shu Ni Makaseyo Nagami Wo(Commit Yourself to the Lord,)" Ashram Center, 1975
Note 1 Preface to the first collection of poems
The following is from Genzo Mizuno's first poetry collection, "Commit Yourself to the Lord,"
Preface
By Saburo Takahashi
〔 1 〕
It was in the summer of 1946, when Genzo Mizuno, the author of this collection of poems, was in the fourth grade of elementary school, that he was struck down with an incurable disease and deprived of all freedom of movement.
He suffered from a high fever caused by dysentery, which eventually affected his brain and left him with cerebral palsy.
Not only could he no longer move his limbs, he could also no longer speak, and the only way he could express himself to the outside world was by blinking his eyes.
One can only imagine the grief that must have been felt by Genzo, and by his family as they cared for him.
Moreover, one cannot help but imagine how difficult it must have been for this family with five children amid the imminent poverty of post-war Japan.
〔 2 〕
Fortunately, about five years later, the gospel of Christ was shared with this family through Pastor Miyao, who was a missionary in Sakaki Town, and a ray of new light shone into Genzo's closed world.
Fortunately, his eyes and ears were not affected, so from this time on Genzo was able to devote himself with pleasure to reading the Bible and listening to radio programs such as "The Lutheran Hour" and "The Light of the World." He even ordered a correspondence course on the Bible and began to study it.
However, the greatest obstacle was expressing his will to the outside world.
A method was devised whereby a chart of the Japanese alphabet ("A, I, U, E, O") would be hung on the wall, and his mother would point to each letter in turn, and when she reached the letter he wanted, he would signal with an eye blink.
His mother would then pick up each letter one by one, and they would all form a sentence (they can now do this orally quite quickly without the chart).
In this way, Genzo not only wrote answers for the correspondence course, but also began to produce a great deal of poetry.
〔 3 〕
What struck me deeply when I read these poems was that there were almost no words complaining about the misfortune and pain he had endured.
Instead, they were filled with words expressing gratitude for the good fortune of having been allowed to meet the Lord Jesus Christ, and with thoughts of others who were suffering from the same illness.
Since his freedom of speech and movement was taken away in an instant, Genzo had been bedridden for 28 years, a life that, from a worldly perspective, was truly a prison.
Nevertheless, because the life of Christ was poured into him, Genzo's entire being began to radiate a heavenly light.
What an amazing thing!
〔 4 〕
We must be extremely grateful to his mother, who has been the greatest contributor to Genzo's support up to this point, for her devoted loving efforts.
However, since last year, she has also been stricken by severe pain from an illness (stomach cancer) and has been thrown into a constant battle with the pain day and night, to the point where the two of them now share beds together.
The hammer of trial that has fallen on this family is so painful, but in spite of it, the Lord will surely show His almighty deeds and reveal His glory.
We firmly believe this and will continue to pray for this family. We sincerely hope that through his many poems, which were like pure water that was poured out from such long trials into this murky world, a fragrance from heaven will be conveyed to the hearts of many people.
January 1, 1975
Saburo Takahashi; Former president of the Takahashi Bible Society and Editor-in-chief of "The Word of the Cross"
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