イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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謹賀新年
「公正を水のように
正義を大河(たいが)のように
尽きることなく流れさせよ」
(アモス書 5:24)
2021年元旦
この一年ばかり世界中がコロナ禍の危機に取り巻かれる中で、政治的・経済的・社会的な差別と分断、対立が広がっています。
「私たち人間のすることは万事問題だらけで、恥じ入るばかり、喜ばしいものではない。
それでいて、ときおり事が必然的で正しい結果になることを許されている。《神の摂理と人間の混乱によって》」(K・バルト『教義学要綱』注2)。
神の《大いなる肯定》という終末論的希望こそ(注3、5)、混乱を極める時代の只中(ただなか)で、私たちに与えられた馳場(はせば)に踏みとどまり(注4)、生き抜いていく力の源でしょう。
私たちは二人とも、比較的コンスタントな日常生活を元気に続けています。
本年もよろしくお願いします。
宮田光雄
道子
♢ ♢ ♢ ♢
*以下は、サイト主催者による注。
注1 宮田光雄
神学・論文013宮田光雄〖無教会の源流と現代 1〗付注1 へ
注2 《神の摂理と人間の混乱によって》
この「神の摂理(せつり)」という言葉には、逆説的な意味が込められていると思われる。
注3 神の《大いなる肯定》という終末論的希望
神の《大いなる肯定》:
神がこの被造(ひぞう)世界(宇宙とその中のすべてのもの)をご覧になり、「すべて良し」と肯定されること。
終末論的希望:
旧約聖書創世記によれば、神からの離反による人類の堕罪(だざい)によって、この世界に死と破壊と虚無がもたらされ(創世記 3章参照)、以来、人間も社会も自然界も共に、救いを求めて呻(うめ)いている(ローマ 8:19~23参照)。
それに対し、愛なる神はこの世界とわれら一人ひとりを救うべく、御子(みこ)イエス・キリストをこの世に遣(つか)わされた。
実際、2000年前にキリストはわれらと同じ人間としてこの歴史世界に降誕(こうたん)し、十字架の道を歩まれ、救済の業(わざ)を成し遂げてくださった。
キリストの救済の力は、われら一人ひとりのみならず、社会、自然界を含め、宇宙とその中のすべてのものに及ぶ。
来るべき歴史の終末の日、キリストによって罪と死と虚無は完全に克服され、人類と自然界は根本的に癒やされて、宇宙は新しい生命(いのち)に輝く。
この宇宙は、神が創造された本来の姿に復帰し、《新天新地》すなわち《神の国》は実現するであろう(ヨハネ黙 21:1~4参照、)。こうして、全宇宙の救いは完成する。
そしてこのとき、神は「すべて良し」との御声(みこえ)を発するであろう(神の《大いなる肯定》。ヨハネ黙 21:5、6参照)。
これが終末の日の救いに対する、われらの揺るがぬ《希望》である(終末論的希望)。
われらには、あらゆる状況に対する最終的・究極的勝利が約束されている。
この確固不抜(ふばつ)の希望によって励まされ、われらは目の前の混乱に右往左往することなく地に足をつけて、歴史の中を力強く前進するであろう。
注4 与えられた馳場に踏みとどまり、生き抜く
馳場(はせば)とは、各人が地上生活で具体的に与えられている持ち場のこと。各人の持ち場は、《天職》(M・ルター)でもある。
目の前の状況がいなかるものであれ、われらは落ち着いて自らの使命を果たすべく招かれている。
他者のために祈ること。それ自体、《天職》であり使命である。
☆パンデミック対策鳥海ヨシヲ〖新型コロナの流行が問いかけるもの〗へ
注5 《終末論的希望》についての証言
☆本の紹介008〖ヨハネ福音書と現代 第2巻〗注1自然は呻くへ
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