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宗教改革者イエス

高橋 三郎

〔 1 〕

ローマ法皇を頂点とするカトリック教会は、「キリストの救いにあずかる道は、ここ以外にはない」という〈救済機関〉(Heilsanstalt ハイルスアンシュタルト)として(注1)、中世のヨーロッパ世界を支配していた。

 

しかし16世紀にルターによって遂行された《宗教改革》によって、各人がキリストのみを媒介(ばいかい)として直接、神の救いにあずかる道が開かれた事は、カトリックによる救いの独占を突き破り、各人がキリストを媒介として直接、神の前に〈責任の主体〉として立つ個人の解放を実現させたのであった。


その際その武器となったのは、「人はただ信仰のみによって神に義とされる(=救われる)」というパウロ的〔信仰〕義認論であったが、人々は〈法律的思考〉によって救いの問題を受け止めようとしていたから(注2)、救いにあずかるためには「いかなる信仰が必要か」ということが問題になり、その〈正しい信仰〉とは何か、ということが神学の中心問題となるに至った。

 

しかしこの問いに対する解答は一つに限定されないため、様々な意見が並び立つに至り、「これこそ正しい信仰」と信じるドグマ(教理)を信条(教派の信仰告白)として制定し、これを中心とする教会が結集されるという事態へと発展したから、多くの教派が並び立つという事態を避けることができなかった。

 

こうしてプロテスタント教会は、際限なき〈分裂の時代〉へと入っていくことになるのだが、〔プロテスタント教会もまた、〕それぞれのドグマを中核とする救済機関(Heilsanstalt)という性格を併せ持つことになった。

 

その故に、その〔自分たちの〕ドグマに合致せざるものを《異端》として断罪し処刑するというような事態が〔カトリック教会と同様〕、ここ〔プロテスタント教会〕でも続いたのである。

 

その著名な事例として、《再洗礼派》が弾圧された事や、セルヴェートスが火刑に処せられた事などが挙げられる。

〔 2 

以上、カトリック及びプロテスタントの歴史を大観してみるとき、〔両教会の歴史において〕一つの重大な事実が見失われていたことが分かる。

 

イエスこそ最初の真の宗教改革者であった、という事実がそれである。

 

イエスの在世当時、エルサレムの神殿に依拠(いきょ)する大祭司が、神の名によって罪の赦しを宣言する権限を〔独占的に〕握っていた。

つまりエルサレムの《神殿宗教》は、唯一の救済機関(Heilsanstalt)として民を支配していたのである。


しかし福音書の語るところによれば、イエスが中風の患者に向かって、「人よ、あなたの罪は赦された」(ルカ福音書 5:20)と宣言された

 

これを聞いた〔律法学者、〕パリサイ人たちは、神のほかに誰が人の罪を赦すことができるか〔、これは神への冒涜(ぼうとく)だ〕、と詰め寄った、と記されているが、実は大祭司の独占的支配を打ち破りイエスその人を通して〔直接、神の〕赦しが宣言された、という事実が決定的に重要である。

 

だからイエスが生涯の最後の課題として〔聖都〕エルサレムに突入し〔、神の権威を振りかざし、しかも腐敗の極にあった〕神殿の粛清(しゅくせい)を敢行されたのは、その必然的帰結であったと言うことができよう。

 

そして大祭司を頂点とするサンヘドリン(ユダヤ教最高法院)の要人たちが、イエスの出現に絶大なる脅威を覚えたのは当然の結果であった(注3)。  

    
彼らは救いの機関としての〔自らの〕神の権限を守るために、〔赦しを宣言する〕イエスの存在を許すことができなかったのである。

 

こうして彼らは総力を挙げてイエスに襲いかかり、彼を十字架の死へと追い詰めていった。

 

しかしイエスは、ここに結集された人間の罪を一身に受け止め、十字架の上から罪の赦しを宣言されたのである。

 

しかも3日目に 《復活》することによって、《神殿宗教》の根源的倒錯(とうさく)が白日(はくじつ)の下にさらされ、決定的に断罪されると共に、しかもこれを赦して下さるという驚くべき救いの恵みが宣言されたのである。

イエスが十字架に付けられる前夜、十二使徒と《最後の晩餐(ばんさん)》を行い、パンとぶどう酒を取り上げて「これは私の体」「これは私の契約の血」という謎のような言葉を残していかれたために、その復活以後成立した信徒集団の間において〈聖餐式〉なるものが制定され、この式に参与することによってキリストの救いにあずかることができるというドグマが形成されるに至った。

そして、聖餐式におけるパンが、いかにしてキリストの体になり得るか」という枝葉末節にわたる問題が神学論争の中心課題になるに至った〔のである〕(これを「聖餐論争」と呼ぶ)。

 

だが、イエスその人を通して、救いは人格的に媒介される(=生けるイエスが神と人の間の生命(いのち)の懸け橋となって、神の救いを人にもたらす)という中心問題は見失われ、サクラメント(聖礼典)についての議論がその後の神学史上中心を占めるに至った事は、実に嘆かわしい逸脱(いつだつ)であったと言わねばならない。


このサクラメント(聖なる儀礼)を中心として〔、エルサレムの神殿宗教と同様、〕教会が再び、救いの機関(Heilsanstalt)になる道を進むほかなくなったからである。

しかし、これは〔〈祭儀・律法宗教〉への逆戻りであって、注4〕イエスによる宗教改革の根本からの重大な逸脱(いつだつ)であった。この決定的誤解の上に、その後現代に至るまでの教会〔の歴〕史が形成されるという悲劇を招いたからである。

 

そこにおのずから〔教派〕教会同士の対立抗争という事態が生じ、現代世界においてもなも、ここから由来する争いが全人類の上に波及している。


キリストは、私たちの義と聖と贖(あがな)い〔、すなわち救い〕となられた」(コリントⅠ 1:30)というパウロの言葉は、救いは〔儀礼における水やパン、ぶどう酒などの物質的媒介によってではなく〕イエスその人を通して人格的に与えられる、という内容をぴたりと言い表す表現であった。

しかし、これを伝承した後世の教会は、〔このパウロの言葉によって〕救済機関としての教会の存立が根底から否定される〔のだ〕、という結論にまで突き進むことはでき〔ず、結果としてサクラメントを手放すこともでき〕なかったのである。

しかし無教会はこの誤りの根源を突き破り、〔礼典儀式によってではなく、〕イエスその人を通して罪の赦しが与えられると共に、〔イエスの愛が満ち溢れるときに〕まことの愛のエクレシアがそこに形成されることを、身をもって証(あか)しすべく召されているのではあるまいか。

 

十字架の真実によって罪の赦しと救いの恵みを与えてくださる〕イエスその人のみを信じ仰ぐとき(注5)、教会という〔名の〕〈救済機関〉は一切その根底を奪われ(注6)、〔したがって、教会人である・なしにかかわらず〕すべての人が主〔イエスの愛〕にありて一致し、一つに結ばれるという天来の愛が全人類を支配するに至るであろう。

 

内村鑑三の晩年、 《全人類教会主義》という言葉が、彼の念頭に浮かんだと伝えられているが、彼もまたこの同じ結論をすでに先取りしていたのではあるまいか。

 

キリストの 《再臨》によってこの世は最終的に《神の国》と化する、という歴史の最終目標に向かって進む道を証しすべく、無教会は召されているのだ、と私は信じている。


♢ ♢ ♢ ♢

(出典:『高橋三郎著作集 最終巻』教文館、2012年6月、795~797項。初出:『柿の木坂通信』2010年6月号。ルビおよび( )、〔 〕内、《 》、〈 〉、下線は補足)

注1 救済機関(Heilsanstalt ハイルスアンシュタルト)

救済機関とは、人々の宗教的救済を与奪(よだつ)、管理する仕組みとしての教会のことであり、中世のカトリック教会がその典型である。


教会は救済の独占的仲介者として、サクラメント(儀礼・聖礼典)を通じて信者に「救済」と「恩恵」を提供した。

中でも、洗礼や聖餐(聖体拝領)は、罪の許し神の恵みを受けるために重要とされていた。


教会は、信者が天国に行くために必要な「救済の鍵」を握っているとされ、教会が提供する儀式や教えを守ることが、人々が救われるための条件とされた。


一方、教会は破門などの手段で、人々を宗教的救済から完全に排除し、社会的にも孤立させた。破門は宗教的な制裁だけでなく、政治的な武器としても使われ、教会の影響力を強化した。

これらによって教会は秩序を維持し、その宗教的権威を強調した。


しかし、こうした問題が後に宗教改革》の引き金となり、教会の改革や宗教的権威の見直しが求められることになった。

注2法律的思考によって救いの問題を受け止める」とは

法律的思考によって救いの問題を受け止め」とは、信仰と救いの関係を法律的な因果関係によってとらえること、すなわち「正しい信仰(原因、前提条件)があってはじめて、人はキリストの救い(結果)にあずかることができる」、ないしは「キリストの救い(結果)にあずかるためには、正しい信仰(原因)が必要」と考えること、を意味すると思われる。

注3 イエスによる神殿粛清神殿宗教に対するイエスの聖なる怒り

イエスがエルサレム神殿から商人を追い出したできごとが、マルコ福音書に以下のようにされている。

「それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内(けいだい)に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを覆(くつがえ)された。

また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。

そして、〔イエスは〕人々に教えて言われた。

「〔聖書に〕こう書いてあるではないか。

 『私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』

 ところが、あなたがたは

  それを強盗の巣にしてしまった。」

祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀(はか)った。群衆が皆その教えに心を打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。

(マルコ福音書 11章15~18節、聖書協会共同訳)

この記事について、豊田栄は『マルコ福音書註解 2 』において、次のように述べている。

「・・イエスの行動は、預言者的、否、超預言者的権威をもって行われ、救世主(メシア)としての権威を暗黙のうちに主張されたものと言える。

聖なる神殿の境内で、商人たちは私欲を貪(むさぼ)り、祭司たちはその上前をはねて私腹を肥やすことに心を奪われ、その信仰的堕落(だらく)は極限に達していた。

このような状態に対して、イエスの聖なる怒りが爆発したのである。

商人たちはイエスの権威に圧倒されて、抵抗する術(すべ)を知らなかったであろうし、祭司たちもまた、イエスを支持する巡礼者の大群を前にして、施(ほどこ)すべき術を持たなかったであろう。

金儲け以外の何も頭にない商人と、聖職にたずさわる祭司たちとが、神聖なるべき神殿を強盗の巣としていたことに対するイエスの怒りが、『宮清め』(神殿粛清)となって外に表れたのである。

 

神殿の境内で、公認された商人に対してこのような乱暴を働くことは、当時のユダヤでは死の覚悟なしには到底(とうてい)できないことであった。

 

しかし、こうした『宮清め』をあえて行い、人の心に巣くう欲望で汚(けが)されていた神の宮を清め、真理の光を覆(おお)っていた厚い雲を吹き散らされたイエスによって、神の福音が本然(ほんねん)の光を放つ新約の時代が初めて到来したのである。・・」

(豊田栄著『マルコ福音書註解 2 』みすず書房、1984年、961~963項より抜粋)

人物紹介【豊田 栄】

4 祭儀・律法宗教への逆戻り

長らく版を重ねたキリスト教の教理解説書(伊藤忠彦著『キリスト教教理入門』ヨルダン社)に、プロテスタントの基本的な礼典理解(サクラメント論)が示されている。

これは、プロテスタント諸教会にほぼ共通の礼典理解と考えてよいだろう。

 

この本によれば、カトリック、プロテスタント両教会は、「聖礼典の不思議な力」(=水、ぶどう酒、パンなどの物質によって媒介され、付与される聖なる力)により各信徒に罪の赦しや救済、恵みを付与するこができる考え、教会の伝統として礼典を執行している。

 

そして、両教会は今も、儀礼(サクラメント)を教会の働きの中心に据えていることから、両教会がユダヤ教的な神殿宗教を含む〈祭儀・律法宗教〉の特徴を核心として保持していることは、明らかであろう。

サクラメント(聖礼典)に関する具体的な記述は、以下の通り。

「神の救済の恵みは、神の言葉を媒介とすると共に、聖礼典(サクラメント)を通してわれわれにもたらされる。聖礼典には洗礼(バプテスマ)と聖餐とがある。

・・・

洗礼(バプテスマ)持っている救済の媒介としての意味(=洗礼が救済を仲介すること)は、次のイエス・キリストのことばによって明らかである。

信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ 16:16)

(注:この言葉はイエスの真正の言葉ではなく、後代の付加であることが定説となっている→注*参照)

人は教会が行う洗礼にあずかることにより救いに入れられ、キリスト者とされる。

・・・

洗礼を受けるということは、恵みの本体であるイエス・キリストにあずかるということなのである。つまり、それは洗礼を通してイエス・キリストをうける、自分のものにするという真に不思議な行為のである。

・・・

聖餐もまた〈神の恵みの見えるしるし〉であり、それゆえ救済の媒介(=神と人の間にあって、救済を仲介するもの)である。

・・・

聖餐もまた洗礼と同様、神の恵みの本体である〈キリストのからだ〉にあずかることである。

 

したがって、〔教会が執行する〕この聖餐式に加わり〈聖別〉されたパンとぶどう酒にあずかる時に『キリストはわたしたちのうちに親しく臨んでおられます』(日本基督教団式文)と語る状況に置かれるのである。

 

物質であるパンとぶどう酒が、どうしてキリストのからだと血として今日のわれわれの前に示されるかは、常に議論がなされて来た。

カトリック教会は《化体説》、すなわち、聖別されたパンとぶどう酒は、神の力によって、その実体そのものがキリストのからだと血とに変化するという立場に立つ。

また、M・ルターは、《実在説》また《共在説》と呼ばれる理解に立つ。それは、パンとぶどう酒の中にまたその下にそれとともにキリストのからだと血とが実在するという考えである。・・・

これはカトリックの《化体説》でもなく、また、パンとぶどう酒は十字架上で裂かれたキリストのからだと血の象徴にすぎないとする《象徴説》にも組しない立場である」。

(元和泉短期大学教授・牧師 伊藤忠彦著『キリスト教教理入門』ヨルダン社、第11版、1987年、「Ⅴ 救済-三 救済の媒介-2 聖礼典」134~137項より抜粋)。

サクラメント(聖礼典)関するプロテスタントの教義的主張(サクラメント論)の骨子は、概略、以上の通りである。

 

では、このサクラメントは教会内において、どのように形成されたか。

この問いに対し、教会史の大家・イェーナ大学教授カール・ホイシ(古代教会史専攻、1877~1961)は、自著『教会史概説』において、キリスト教祭儀の歴史、特にその呪術的・密議宗教的特徴の形成史ついて、次のように言及している。

​「洗礼は最初から一つのサクラメント、すなわちこれを受ける者に超自然的な力を与える一つの手段とみなされていた。・・・

原始キリスト教時代の終わりとともに『霊の賜物を受けた人々』の支配(=カリスマ的な指導)は後退し、〔代わりに〕次第に固定化した礼拝様式、精巧に順序立てられ組織された〔荘厳な〕儀式が形成されていった。この〔ような礼拝と儀式〕発展の始まりは、〔紀元〕1世紀までさかのぼるであろう。・・・

 

重要なのは、紀元2世紀以降、キリスト教徒の集会が〔霊的生命の充溢した人格的なものから〕次第に祭儀〔宗教〕の性格を帯びてきたこと、すなわちその礼拝〔と儀式〕が教会の徳を立てるためばかりでなく、神に向かって何らかの〔神秘的・呪術的な〕作用を及ぼす目的を持つものとなったことである。

 

すでに紀元250年頃〔には〕、・・・〔キリスト教儀礼の〕魔術的・サクラメント的・密議〔宗教〕的特徴がますます強調されるに至った〔のである〕。・・・」(カール・ホイシ著、荒井献、加賀美久夫訳『教会史概説』新教出版社、第8版、1966年、29~30項より抜粋。〔 〕内は補足・敷衍)。

注*信じてバプテスマを受ける者は救われる」は、イエスの言葉か?

本来のマルコ福音書は、16章8節で終わっている。16節を含む16章9節以下は、最古の写本や初期の重要な写本(バチカン写本やシナイ写本等)には無く、後代の付加(補遺 ほい)であるというのが定説である。

最近の主要な日本語訳聖書でも、16章9節以下は補遺であることが明示されている(新共同訳、聖書協会共同訳、新改訳2017、岩波訳など)。

 

世界的に定評のある『ハーパー聖書注解』を始め、代表的な聖書註解(岩波訳新約聖書、NIB新約聖書注解、NTD新約聖書註解等)も、16章9節以下を「後代による補遺」として解説している。

また、新共同訳 新約聖書略解』(日本基督教団出版局、2000年)では、マルコ福音書の註解は16章8節までで終わっており、16章9節以下は註解の対象外である。

註解書の具体的記述は、次のごとくである。

「これらの節(16章 9~20節)は、最古のマルコによる福音書の結尾を構成していなかった。

それらはおもに他の諸福音書あるいはそれらの福音書によって使用された諸伝承からとられた言語やモチーフから成る模倣作品である(上掲日本語版『ハーパー聖書注解』、教文館、1996年、1053項)。

16章 9~20節は)明らかに後代の付加である(『岩波 新約聖書 改訂新版』2023年、73項)。

「古代の写字生は、マルコ福音書の結末に2種類の結尾を補填(ほてん)した。・・・

169~20節は・・他の福音書の復活顕現(けんげん)物語、ないし伝承の諸要素を〔モザイク的に〕結合して〔、紀元2世紀に〕成立したものである(『NIB新約聖書注解2 マルコによる福音書』ATD・NTD聖書注解刊行会、2000年、449項、〔 〕内は補足)。

以上より、制度教会が、「洗礼はイエスが命じたものである」として、その根拠に挙げているマルコ 16:16は、実は、根拠となり得ないことは明らかであろう。

したがって、洗礼はイエスの命令に由来する」という教会の主張は、きわめて根拠に乏しいと言わざるをえない。

原始キリスト教史の研究から、洗礼と聖餐の発祥(はっしょう)とその後の歴史的経過は、以下のように考えられている。


イエスの復活・昇天後に成立した初代教会の信徒たちは、かなり早い時期から定期的に集まって聖餐》(初期は、実際の食事であった)を行い、それによってイエスを追慕し、イエスの復活を記念していた。


また生前、イエスは人々に洗礼を授けることはなかったが、イエスの復活・昇天後、初代教会の早い時期に、弟子たちは、競合する〈バプテスマのヨハネ〉の弟子集団-ヨハネ教団-が行っていた洗礼運動から水の洗礼を採用し、イエスの名による洗礼を始めた(使徒 19:3~5、ヨハネ  4:2 参照。参考文献:『旧約 新約 聖書大事典』教文館、1989年)。


遅れて原始教会に加わった使徒パウロは、当時、教会ですでに一般化していた洗礼と聖餐に対し、その信仰的意味づけを行った(人は、洗礼、聖餐を通して、キリストの死と復活、またキリストのからだにあずかる、とする受け止め。ローマ  6:3~4参照)。


ほどなくして洗礼は洗礼という教会への入会儀礼となり、また聖餐は聖餐という教会の統合儀礼となった。

 

そして、これらの儀礼は強固な教会的伝統として、今日まで伝えられている。

5 解放の福音十字架の真実によって、すべての人は罪を赦され、救われる
人は、儀礼や己(おのれ)の信仰、善き行為によってではなく、ただ神の一方的な恵み(恩寵 おんちょうのみによって罪を赦され、救われる(これを〈恩寵義認〉と呼ぶ)。

そして神の救いをわが身のこと(pro me)として示され、その結果、私たちは神に対する全幅の信頼(信仰)を捧げるに至る。

 

こうして信仰もまた、神の恵みの賜物として与えられる(内村鑑三の言う「救いの結果としての、信仰」)。

ここで神の恵み(恩寵)とは、特に、神が御子(みこ)イエス・キリストをこの世にお与えになったことであり、イエスこそが世の光・世の命、空前絶後の恵みということである(ヨハネ福音書 1:3~4、14参照)。

神の恵みは、歴史においてイエスという恵み、すなわちイエスの恵みとして具体的に現れた。


そして私たちすべての救いのために〈十字架の道〉を歩まれたイエスの真実こそが、イエスの恵みの内容である(神の恵み=イエスの恵み=十字架に表れたイエスの真実、という関係)。
 

このことについて、聖書は以下のように証言している。


人が〔神の前に〕義とされる(=救われる)のは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。


これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として〔神の前に〕義とされないからです。」(ガラテヤ信徒への手紙 2章16節。聖書協会共同訳

しかし、私たちの救い主である神の慈(いつく)しみと、人間に対する愛とが現れたとき、神は、私たちがなした義の行いによってではなく、ご自身の憐れみによって、私たちを救ってくださいました・・


こうして私たちは、イエス・キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです」(テトスへの手紙 3章4、5、7節。聖書協会共同訳)。

信仰論 内村鑑三信仰と救いのコペルニクス的転回 / The Copernican turn of Faith and Salvation

6 制度教会はサクラメントを手放すか

サクラメント(洗礼式、聖餐式・聖体拝領等)を手放すことは、制度教会の救済機関としての存立理由を失うことを意味する。

それゆえ、制度教会は救済機関としての在り方を放棄しない限り、教義(サクラメント論)を固く身にまとって、容易にはサクラメントを手放さないであろう。

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